4発目 初戦


  2つの拳を顔の前に構える。手のひらを内に、平行に位置させる。ガードを上げ、片足を軽く曲げたスタンダードなスタイル。体重は後ろに下げた足に乗せている。この世界の素手での闘い方がどういうものかは分からないが、周りの反応を見るにこの姿は初見のようだ。

 これを素人が見れば拳を警戒するようなオフェンシブな構えに見えるだろうが、それは少し違う。上半身での攻撃は想定していない。重心の見れる人ならば簡単なことだが、今の私は足技を放てる状態にある。相手の剣を、体を反らせて躱し、曲げていた足でスナップを利かせた前蹴りをする。狙うは鳩尾。足先を刺すように深く減り込ませる。まあ、もちろん上の攻撃でジャブをすることだって出来るには出来るが。

 サイファーと呼ばれた男。奴は見るからに猪突猛進タイプ。だが上からの振り下ろしにしろ、下からの切り上げにしろ、大きな挙動で剣を振るだろう。それを簡単なスウェーで避ければいいだけ。

「んじゃまあ、行くぞ! 女ァ!」

 やたら意気揚々と猛ってからサイファーが迫り来る。鞘の先はこちらを向いている。

 初手が肝心。私の蹴りで迎撃する。


 え?


 足が動かない。水中にあるみたいに重い。何か膜が張ってるみたい。まるでスローモーション。私の挙動に私がついてこない。これじゃ相手の攻撃が先に当たる。

 すると鈍痛。腹部に掛かる強い圧。

「……うっ」

 私は前屈みになる。そこにさらなる衝撃が加わる。上半身、視界が揺れ、倒れる。

「ぐっ、がはっ!」

 何が起こったか。奴は“突き”できた。真正面、距離感覚の難しい攻撃ながら、あの性格で大きく剣を振るのでなく私の鳩尾を突いてきたのだ。

 そして隙が出来たところに、上げたガードの上から剣を思い切りぶち当てた。この体格差で直撃を許した。私が倒れるのも無理はない。

「ぐうぅ……こほっ」

 口から胃液が飛び散る。奥からせり上げたものに抗えない。何度も咳き込み、えずく。

 痛い。痛い。痛い。

「おい」

 サイファーの声。低く、重たい声。

 ゆっくり相手を確認するべく目を向けると、顔の前に足があった。

「ぶっ!」

 顔面を蹴られた。鼻から血。

「おいおい、あれだけ大口叩いてこれかよ。お前めちゃくちゃ面白えな。ははっ!」

 男3人の笑い声が聞こえる。周囲の人達の憐れみの表情が見える。

 剣を抜かれてたら死んでた。たぶんだけど、ここでの死は本当の死。次の異世界は……無い。想像の域を出ないけど、直感でそう感じる。

 何故負けた? あんな奴に。油断はしてない。動体視力は良いし、反射神経も悪くない。ならなんで? 体が動いてくれなかった。

「……」

 そうか。

 人と対峙するのが初めてだったからだ。だから無意識のうちに億劫になった。相手を気遣ってしまった。だって私が負ける筈ないもん。

 今までずっと“魔物だけを倒してきてたんだから”。

 てか格闘技って対人が想定なのに、魔物相手に鍛えたんだから最初くらいズレが出ちゃっても仕方ないよね(早口)!? 偉人レベルなら動物相手に武術を使う人も居たかもだけど……。

「これが、負け……」

 あの頃を思い出せ。頑張って頑張って、社畜状態がピークのまま急性アル中で死んだ。馬鹿みたい。運動は出来ない、勉強も出来ない。面白くもなく、人望も無い。夢も無い私は、陰で生きた。影“と”、生きた。

 見返すんだろ? 誰に?

 謳歌するんだろ? 何を?

 私は格闘技っていう好きだったものを用いて親孝行する。そんでもって私が嫌いなもの全てを、腕っぷしで黙らせる。

 鼻血を拭う。大丈夫、折れてはない。この“負け”で感覚は掴んだ。私の戦績。一敗。初めての闘いで負けたのは悔しいけど、格闘家や武術家はこういう気持ちを常に味わってきたんだ。私の12年も、それだけ真剣だった証じゃないか。

 ゴンゾウ。私もう、負けたくない!

「……私はね、なぎさでありビーデルなの……」

 立ち上がる。足に力は入る。上出来だ。

「なんだ? まだやんのか?」

 サイファーは鞘付きの剣を肩に担いでいる。腰巾着と共に、もう勝って私を陵辱する気だったに違いない。

「根性が女の武器なの……」

「あァ? 何だって? また同じ結果になるだけだぞ。抱く女のツラァ、あんま傷つけたくねえんだよ、萎えるから」

 私は再度構える。今度は左拳を口元に、右のガードを下げたデトロイトスタイル。もう絶対に負けない。サウスポーの本領見せてやる。泣き言言っても知らないから。

「〇〇キュアとか〇〇ゴンボールとかを見て育ったのよ!! 片方は再放送だけど!」

「はァ? 意味不明だぜ、懲りねえ馬鹿女がよ!」

 サイファーが剣を振りかぶる。先程より速さが増している。一応は立ち上がった私を見てエンジンが掛かったのか。

「諦めないってこと!」

 体を半身に、左肩を捻らせて攻撃を避ける。サイファーが下ろした腕の上から右拳を侵入させフリッカージャブ。鼻から出血させることに成功。

「はっ、速……!?」

 周りのどよめきが聞こえた。サイファーはもちろん、腰巾着を含めたその場の全員が私の動きに驚いている。やっぱり。魔法や武器での戦闘がメインで発達してる以上、ここでの素手の闘いってのは多分殴り合う程度のもの。前世で見た路上喧嘩の延長がいいとこね。モンクにしても体を強化してのパワーファイトだったんじゃないかしら。だから、格闘技や武術といった技術わざを見るのは初めて。

 私は思わず鼻歌のようなものを口ずさんでしまった。鏡に映る姿はさぞ調子に乗っていることだろう。

 動揺も収まり、怒り狂ったサイファーが剣を振り回す。連続攻撃。一つだって当たってあげない。もうリーチとか対人の感覚は分かった。あんたの攻撃は全部のろま。ウスノロ。

「く、くそっ!」

 ジャブ。

 ジャブ。ジャブ。ジャブ。ジャブ。アウトボクシング。

 合間にフック。顔狙いやボディブロー。そしてジャブからストレートのワンツー。

「うぐっ! ごほっ! ふっ、ざけんな!」

 剣の横薙ぎ。さっき味を占めた突きを数発。どれも遅い。

 私の蹴り。狙うはサイファーの左脇腹。

「くっ」

 サイファーが腕を畳んで腹部を守る。想定内。左の軸足を少し捻るように踏ん張り、右足の軌道を直前で変え、上から斜め下に頭部を蹴る。

「な……ぐふっ」

「ブラジリアンキック。格闘漫画なら初歩中の初歩でしょ」

 蹌踉めくサイファー。そこへ左のアッパー。顎の骨に私の拳骨がごつんと当たる。

「ぐ、ぐはあっ!」

 マウスピースも着けてない相手に力の入ったアッパーなんて普通じゃありえない。でもね、私はこの世界で敵の心配をしてやれるような優しさは持ってないの。とうの昔に捨てちゃった。捨てることにしちゃった。

 サイファーは倒れた。腰巾着は唖然としている。若干の沈黙の後、周囲は歓声に包まれた。

(でも舌切ってなくて良かった〜)

 勝った。全くもって問題はない。これだ。この結果が当然なんだ。やはり経験とは大事だ。人と闘ったことがあるかないかだけで格下に負けてしまうのだから。でももう金輪際敗北は無い。

 “加減はしても遠慮はしない”。……ん? これカッコいいな。座右の銘にしよ。

 騒ぎ声はかなりの音量だ。耳を埋める程の声。数人が駆け寄ってくる。やけににこやかだ。皆、心配はしてくれていたのだろう。そして番狂わせに私が勝利したことが驚きでもあるが、嬉しいのだ。

「すごいな君!」「いやまさかあの男を倒しちゃうなんて!」「しかも最初と違って人が変わったように強かったぞ!」「別人て感じ!」「貴重な瞬間を見たわ!」

 その勢いに私は押された。中身はそこまで成長している自信はない。これだけの人数にチヤホヤ褒め立てられるのは初めてのことで、どぎまぎした。陰気な女なのだ。

「君! 見ない顔だけど名前はなんていうの?」「有名な冒険者なの?」「可愛いお顔!」

 すごい圧力。

「い、いや……全然有名とかではなくて……数時間前に旅に出てきたばっかりで……」

「ええ!」「ホント!?」「なんでこんなに強いのー!?」

 しっかりしろ私。ビッグネームになるんだろ。世界を救う気概でいるんだろ。それで自慢の娘になるんだろ。

「えと、名前は〜」

 しまった。決めてなかった。偽名を使うんだった。この異世界で旅していく上での名前。唐沢眞桜。ハンドルネーム魔王。レイチェル。どれも私である。

 前世の呼び方がやっぱり愛着があるな。でもそのままだと味気ない気もする。今の私の特徴。黒髪ボブで襟足が外側に跳ねている。

「う、ウルフの魔王マオ……」

 尻窄みにそう言った。すると男性の1人が高らかに声を上げた。

「ウルフノマオ……この闘い、ウルフノマオの勝利だー!!!」

「ウルフノマオ!」「ウルフノマオ!」「ウルフノマオ!」

 周りも同調するように私の名を叫んでいく。繰り返される名前。何度も何度も彼らは楽しげに同じ文言で声を張り上げている。

「え? え? そんな馬名みたいに……」

 困惑した。けど、これは望んでたことだった。早くも名声を得た。武器を持たない若い女がゴロツキを圧倒したことで、民意を味方につけた。

「なんか不満げだな」

 違う男性が私に声を掛ける。

「ちょっと長くないですか? もっと短く呼んでもらってもいいかな〜なんて」

 私はやはり前世の名前に未練があるようだ。男性は少しだけ考えた様子を見せてから、名案が浮かんだような顔をした。

「じゃあウルちゃんだな!」

(しかもそっち取るんだ……)

 騒ぎは暫く続いた。


 近くの料理屋で食事をご馳走になった。悪い気はしなかった。腹一杯食べた。お金を使わずに初日から空腹を凌げるなんてツイてる。

 お礼を言って退店してからも、道の先々で何人かから笑顔で会釈をされた。私もペコリと返した。先程の噴水広場にはかなりの人が居たんだと実感する。顔が知られた。それは恐らく良いことだ。サイファーという男が仕返しを企んでる様子はなかったし、念の為近くにいた男性に聞いても、特にバックに悪そうな組織がいるわけではないようだったので、報復の心配はしなくてもよさそうだった。一安心。

 初戦闘に勝ってお腹も満たすと随分と世界が綺麗に見える。カラフルで鮮やか。空気がおいしい。

 そんなことを思っていると、ふいに妖精さんみたいな声がした。

「あ、あの!」

 私はぴたりと歩みを止めた。こんなに柔らかい声で私を止めるのは一体誰だ? そして振り回る。

「え、え……えっとぉ……」

 時が止まった。

 いや、これは比喩。実際はとんでもなく驚いたのだ。私は(倒置法)。

「う、嘘でしょ……」

 目の前にいるのは幼い少女。

 背丈は小さい。160cmちょいはある私と比べ、15cm以上小さそうな体躯。前髪を七三でぴっちり分けてる。留めてるピンと相まってとんでもないキュートさ。綺麗な黄色と檸檬色が二色構造で交互に揃ってる髪。そして三つ編みにしたポニーテール。美しい。

 格好だってシスターと冒険者っぽいヒロイックな服を掛け合わせたようなデザインが愛おしい。

(か、可愛い!!)

 なんだこの可愛さは。この年代の子をこっちの世界で初めて見たというのもそうだが、なんて清楚で瑞々しくて麗しい女の子だろう。

 オタクのくせしてコスプレとかを目にする機会の無かった私。イベントも何も行ったことなんてなかった。クオリティの高いものはいくらでもあったんだろうけど、お金の使い途は格闘技関係だったからなあ。てかほぼゴンゾウ関係。ファンタジー少女ってのはこんなに可憐なのか。

「あ……どうか、しました?」

 きゅるるんとした目でこちらを覗き込む。

「え!? あ、ううん! ごめん、で〜何か用かな」

(もうこの子ならお金せびられてもお姉さんあげちゃうな〜)

 あどけない少女は言いにくそうにしていた。そしてやがて口を開いた。

「さ、さっきの……1時間くらい前の……み、見てました」

 決闘のことだろう。この年齢には少し暴力的なものを見せてしまったと、お姉さん反省。

「あ〜あれね」

 思わず目が泳ぐ。

「ウルフノマオさん! 折り入ってお話があります!」

 少女が凄む。こちらに前のめりになる様も絵になる。

「う、うん?」

(この世界の美女はレベルが違う! いや私が単に調子乗ってただけで、実はそこそこの可愛さだっただけなの!?)

 少女は意を決したように話し始めた。

「……お、お婆ちゃんの右手の甲におできが出来ちゃったんです」

 随分と要領を得ない切り出し方だった。

「おでき?」

 それから少女は自分が現在ここに至るまでの経緯、その背景を事細かに思い出して私に伝えた。


「あー、これは良くないねえ。数年で死んじゃうかな」

 町医者が告げる。向かいには高齢の女性と幼い少女。

「ええ!? ホントですか!? 先生!」

「うん」

「大変! どうにかならないんですか!?」

「うーん」

 町医者は首を傾げる。なんとも興味なさげに。高齢の女性は焦りを見せる少女に穏やかに話し掛ける。

「大丈夫よお、シーロちゃん。お婆ちゃん元気だし。ぽっくりいっても頃合いよ」

 祖母の言葉に大声を上げる孫。

「駄目! ダメダメ! そんなのいいわけないよ!」

 鼻をほじりながら思案を巡らせていた町医者が一言を添えた。

「そうだ。西の、ず〜っと行った先のイゼワームって山に咲いてる花を使えば何とかなるかなあ。あそこの山草は薬草としての効能が高いからね」

 朗報だった。少なくとも少女にとっては。

「ホント!? なら私そこに行きます!」

 少女は身を乗り出す。祖母は孫を宥める。

「あらあら。そんな随分と遠いし危険そうな場所行かせられないわよ」

「行く! 今まで育ててもらったんだもん! お婆ちゃんの為なら私、冒険してみせる!」

 少女は祖母の為に山草の採取を決意した。


 以上が事の全容。

(なんていい子……)

 少女は両手を組み合わせて私に向かって願いを唱えた。

「だから……だから、一緒について来てくれませんか!」

 私は人からの頼み事を断れないという性格をしている。それは短所であり、長所かもしれない。

「……へ?」


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