第4話 「それでも俺は追いかけるよ」
過去の俺たちは二人で食堂の方へと歩いて行った。俺と美玲は過去の自分たちの姿が見えなくなるまで見届けた。姿が見えなくなったところで美玲は被り物を外して一呼吸した。
「ねえ、健太。私たち、ここから徐々に言葉を交わすようになったよね」
「ああ、そうだな」
この日を境に俺と美玲は会うたびに言葉を交わすようになった。俺にとっては彼女の話す日々の出来事や蘊蓄があまりにも面白かった。彼女も楽しそうに話してくれた。程なくして美玲から読書サークルに入らないかと誘われた。それまで読書にはあまり興味が無かったが、彼女とならそこに入るのも良いかもしれないと思い誘いに乗った。そこで樹や紗奈さんとも出会った。
色んなことを思い出していると美玲からこう聞かれた。
「私たちにとって次に大きな出来事は七夕だったよね?」
「そうだけど、ってまさか」
「そう。今度は七夕に行って私たちがうまくいくのを邪魔してやる」
美玲は立ち上がった。俺も立ち上がって彼女の行く手を塞ぐ。
「おいおい、待ってくれ」
「待ってやらない」
美玲は俺のことを突き飛ばした。俺はあっけなく地面に倒れ込む。彼女は被り物をまた被って正門の方へと走り出した。着ぐるみを着ているというのにかなり素早い動きである。俺は起き上がって彼女の行方を追いかけた。
美玲を追って、俺は大学から走り続けた。彼女自体は見失ったが、きっとときの駅に向かうはずだ。普段走らないものだから、全速力で走ったせいで息切れがかなり激しい。動けなくなってしまったので道の途中で足を止める。流れる汗を手で拭って周りを見渡した。
その場所は並木道だった。おそらく、ここは時間移動をする前に緑色のコートを着た女性とぶつかって切符を拾った場所である。五月のその場所は若葉が生い茂る木々の様子が爽やかで心地が良かった。あの女性は結局誰なのだろう。美玲のようなそうでないような。いつか、また会ってわかる時が来るのだろうか。息切れが収まったので俺は再び走り出した。
程なくして俺はときの駅へと戻ってきた。美玲はどこだろうか。そんなに大きくない駅舎を遠くから見ると彼女は券売機で切符を買っていた。彼女の格好はいつの間にかいつも通りのスタイルに戻っている。よく見ると、俺を振った時の格好のままだった。緑色のコートが前に見た時よりも気になって見える。
俺はすぐにそのそばまで近寄り彼女の左側に立った。券売機のパネルを操作しながらも彼女の強気な目が俺に向けられる。
「何」
俺はカツラとサングラスを外してからこう言った。
「おい、本気で七夕の日のことを無かったことにするつもりか?」
券売機を操作する彼女の手が止まった。それからやや間を置いてこう答えた。
「そう通り。それ以外の理由であの日に移動する訳ないでしょ」
このままだと彼女は二〇二三年七月七日に飛んでまた過去の俺たちを邪魔しようとする。それは何としてでも止めたい。
俺は彼女が使っている券売機の右隣に有るもう一つの券売機の方に移った。券売機の画面には行き先の日時を設定してくださいと書いてある。彼女が移動するであろう日付と時間を入力する。美玲は俺のやっていることに気づいたようだった。
「追いかけても無駄。私は絶対にやり遂げてみせるから」
「それでも俺は追いかけるよ。美玲が心配だからな」
「なにそれ」
美玲はそれ以上何も言わなかった。俺もあなたが心配だからとは言ったものの自分でもなんでこんな言葉が出たのかわからなかった。彼女は一足先に発券を終えてホームの方向に歩き出した。俺も発券を終えて美玲を追いかける。ちなみに発券にはどういう訳かお金が掛からなかった。
「待ってくれ美玲」
彼女の右横まで追いついてこう言うも美玲は聞く耳を持たずに進もうとする。すると彼女の行く手を塞ぐように前方から車掌が歩いてきた。美玲と俺は足を止める。
「美玲さん、あなた過去の出来事を無かったことにしようとしたでしょ。それはルール違反です。本当なら乗車拒否にしてこの時間に置き去りにしているところです。ですが、まあ今回は健太さんもいて未遂で済んだので、乗車拒否にはいたしません。ただし、着いた先では健太さんと必ず一緒にいてください」
車掌の声はあまりにも感情がこもっておらず平坦だった。この世の住人ではないと思える程に。実際、この世の住人ではないらしいが。
「はあ? なんであいつと一緒に!」
美玲はもちろん反発したが、車掌はすぐに圧のある言い方でこう続けた。
「良いですね」
流石に、美玲もこれ以上は反発できないと思ったのだろう。口をもごもごさせて何かを言いたげだったが、彼女はそれを押し込んだようだった。それから頷いた。
「……はい」
彼女の返事を聞いて車掌はさっき俺が乗った時の少し澄ました表情に戻った。
「健太さん。ちょっとこちらへ」
そう言って俺と車掌は美玲から距離を取ったところに移動した。この距離だと何かを小声で話してもおそらく美玲には聞こえないだろう。車掌は小声かつもとの話し方で話し始めた。
「美玲さんを泳がせましょう」
「はい?」
驚いた。車掌には焦っていそうな割にはそういう選択肢が有ったのか。いや、もしかしたら初めから泳がせているのかもしれない。
「彼女の意思はとても強い。ですので一旦、彼女の好きなようにさせてください。もし、あなたから見てこれはまずいと思った時は彼女を止めてください」
確かにその通りなのだ。美玲は一度やると決めたら止まれない。だからこそ俺に止められるのか自信がない。
「でも、それで大丈夫なんですか?」
「まあ、先程の状況を踏まえて健太さんがそばにいてくれれば大丈夫だろうと判断しました。それに、彼女も時間移動を必要としている乗客であることには変わりはないので」
「は、はあ」
「では、頼みましたよ」
俺は頷いた。いざという時に美玲を止められるかはわからないが、止めるための最善は尽くしたかったからだ。
話を終えた車掌はさっきの場所で待っていた美玲のもとに戻って切符を切った。ついでに車掌を追いかけて戻ってきた俺の切符も切った。
「この後二番線に参ります特急列車をお待ちください」
車掌はそう言うと駅員室の中へと入って行った。
俺と美玲は二番線のホームに移動した。俺たち以外誰もいない。そんなに離れずに少し手を伸ばせば相手の肩に届くくらいの距離で横に並ぶ。それでもお互いに何も言わなかった。目すら合わせなかった。俺と美玲の物理的な距離は近いはずなのに心理的な距離はあまりにも遠い。俺の時間から見て昨日から何度も思うのは、なんでこんなことになったのだろうということばかりである。
ふと俺は考えた。そもそもなんで美玲はこんなことをしようとしているのか。車掌から最初に話を聞かされた時は俺を振って思い出を消したいからだと思っていた。だが、いざ実際に美玲の様子を見るとそれだけの理由でやっている訳ではなさそうだった。その根拠になるかはわからないが、彼女は過去の俺の言葉を聞いて出会った時と同じように笑ったのだ。
人は嫌になって振った相手の言葉で笑い泣くものなのだろうか。俺には、美玲はまだ何かを迷っているように見えた。彼女には今の言動の裏に何かもっと複雑な理由があるような気もしている。それらを知る手立ては今の俺にはないが。
俺は結局、無理をしていそうな彼女のことが心配なのかもしれない。
そう考えているうちに、アナウンスが流れた。
「まもなく、二番線に特急二○二三年七月七日午後十三時行きが参ります。黄色い線の内側までお下がりください」
一見普通な見た目の特急列車が近づいてきた。程なくして所定の位置で停車する。扉が開いた。俺たちは何も言わず列車に乗り込んだ。発車のメロディとアナウンスが流れる。
「二番線、ドアが閉まります。ご注意ください」
ドアが閉ざされた。列車はやや揺れてから動き出した。
行き先は二○二三年七月七日午後十三時。俺と美玲が初めてデートをした日である。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます