第3話 「今日の運勢は凶なんだ!」
列車が到着した。ここは二〇二三年五月十一日午前十時。列車を降り、改札で切符を回収してもらって駅舎を出た俺は辺りを見回した。駅の名前は「ときの」のままだった。だが、さっきまで夜だったのが完全に朝である。俺の体感ではあの列車に乗ってから一時間程しか経っていないのに。それから俺は、ひとまずコンビニで朝刊の新聞を見た。スマホが時間移動したせいか動かなかったためだ。日付は確かに二〇二三年五月十一日だった。どうやら本当に時間移動をしたらしいと改めて認識する。
「ねえ、ママあの人何?」
すると子どもの声がした。振り向くと、その子どもはお母さんらしき人に早足で連れられて店を後にした。完全に不審者扱いだ。まあそれも仕方がない。今の俺は真っ赤な薄手のジャケットにアフロのカツラ、サングラスをかけた姿である。車掌が用意してくれた衣装は変装には成功しているのかもしれないが、少々目立つ。まあ、誰かを特定されるような格好よりはマシかもしれない。
何としてでも美玲を探さなくてはいけない。俺は新聞を元の場所に戻してコンビニを後にした。目指すは俺たちの大学である。
真っ直ぐ歩き続けていたらそれほど時間が掛からずに大学の正門が見えてきた。歩き続けていたらそれなりに汗をかいてしまった。今俺がいるのはかつて過ごした五月なのだということを実感させられる。キャンパスの中に入ると構内は大勢の学生や先生たちによる喧騒でかなり賑やかだった。五月特有の爽やかな雰囲気を纏った校舎の数々がとても懐かしく感じられる。この頃の俺は入学したてで右も左もわからないままただ流れについていくだけで精一杯だった。
確かこの日は、二時間目に哲学の授業を受けていた。行きの電車が遅延してしまい遅刻してしまったが、なんとか間に合って受けることができた。その授業中、先生がなぜか俺に質問を投げてきた。授業に遅刻してきたのがいけなかったのだろうか。途中から来たので内容もよくわからない状態だった。仕方なくわからないなりに答えるとその答えは間違っていた。先生は「今の学生はこんなこともわからんのか」と激昂された。その授業終わりで声をかけてくれたのが美玲だった。
チャイムが鳴った。つまり二時間目が始まろうとしているところである。自分の記憶が正しければ、当時の俺がもうすぐ走ってくるはずだ。現在の美玲が見つからないので、ひとまず過去の自分が走って授業に間に合う瞬間を見届けようと思った。件の授業が行われている校舎近くのベンチに腰掛けて待つことにする。そうしようと思って腰掛けてみたが、気になることがある。
今、自分の目の前にはうさぎの着ぐるみが一人で立っている。おかしい。普通の着ぐるみならば、周りにもっとちゃんとしたスタッフがいても良いはずだ。それからその着ぐるみは、しきりに正門の方をチラチラと見ている。まるで誰かが来るのを待っているかのように。
程なくして、過去の俺が慌てた様子で走ってきた。グレーのシャツに黒い薄手のジャケットとズボンである。確かにこうして見ると自分の格好は黒ずくめである。走る自分を見ていると、どういう訳かうさぎの着ぐるみは過去の俺の行手を阻んだ。過去の俺は先へ進もうと左右に行ったり来たりするが、うさぎもそれに合わせて動いてくる。過去の俺が言う。
「あの、通してください。道を急いでいて……」
着ぐるみはその声を聞いてもなお通そうとしない。ようやくわかった。あの着ぐるみの中は二○二四年の美玲である。
俺は慌てて着ぐるみと過去の自分の元まで駆け寄った。それから、着ぐるみを取り押さえ、何も言わずにその場を離れた。過去の俺は困惑した様子で俺たちの様子を見てから、また急いで校舎の方へと走り出した。
ひとまず誰もいなさそうな空き教室に俺と着ぐるみは入った。着ぐるみを解放して頭の被り物を取ると、中はやはり美玲だった。彼女は困惑した表情を浮かべる。
「あんた誰!」
「俺だよ!」
「どなた?」
「あ、そうか」
カツラとサングラスを外すのを忘れていた。急いでそれらを外す。
「健太! 君は二〇二四年の健太でしょ。どうしてここにいるのよ?」
「俺だってよくはわからないが、とにかくこの時間に来た。美玲を止めるために」
「はぁ?」
美玲はかなり苛立っているようだった。
「落ち着け。状況は時間鉄道の車掌から聞いた。美玲がこの時間に移動して、俺たちの思い出を無かったことにしようとしてるって……」
「そう。その通り。あの車掌からはそれは絶対するなって言われたけど、私は絶対やってみせる」
ああ、こうなると美玲は止められない。彼女はスイッチが一度入ってしまうと、自分が納得するまで止まれないのだ。俺は一応の説得を続ける。
「だけど、それでどうなるかも聞いたんだろ?」
「ええ、もちろん。だけどね、こうしないと私の気が済まない!」
「美玲さあ! そうやって自分のやりたいことを押し通してさあ! 俺や周りが今までどんだけ大変だったか覚えてないのか!」
「なんだって!」
それから俺たちはかなりの言い争いをした。内容はまあ、これまで溜まっていたお互いへの不平不満の数々である。美玲とここまで言い争ったのはもしかしたら初めてかもしれない。なんで、こんなことになるまで俺たちは話し合うことをしなかったのだろうか。
彼女が溜め込んでいた数々の不満が俺の心にぐさぐさと刺さっていく。こんなに一気に言われるくらいなら、もっとちゃんと話して欲しかった。かく言う俺ももっと彼女に対してちゃんと不満なんかも言っておくべきだったと後悔した。
やがてお互い言うことが無くなって、しばらくの間沈黙が流れた。それから俺は申し訳ない気持ちになって彼女にこう言った。
「さっきは、あんなことを言って悪かった……」
美玲はそっぽを向きながら、こう返した。
「いいのよ。私もこれまで周りに迷惑かけていたってわかってるし、今は、色々と言い過ぎた……」
しばらくしてチャイムが鳴った。二人揃って時計を見ると二時間目が終わったところだった。
「ねえ、私たちの出会いを見に行かない?」
美玲からそう言われた。そこに過去の自分達を邪魔しようという意思は感じられなかった。
俺は頷いてそれに応じた。お互い、頭の被り物やカツラ、グラサンを付け直してから空き教室を出た。
さっきまで哲学の授業が行われていた校舎前に戻ってきた。少し離れたところでは、よそよそしい様子で会話をしている過去の俺たちがいた。今の俺と美玲は、少し遠くからその様子を見守ることにした。そばにあったベンチに二人で腰掛ける。かつての自分たちを見て美玲は着ぐるみの中からくぐもった声でこう言った。
「ねえ、覚えてる? 当時私がなんて言ったか」
「ああ、覚えてる。こんなことで気にするな! とか何とか」
「健太、授業終わりに落ち込んでたよね。遅刻してきていきなりあんな風に名指しされて、挙句の果てに怒られて。私、それがなんかかわいそうに思えて。それで声をかけたの」
「初めて聞いた」
「あ、見て、ちょうどその瞬間」
俺たちは耳をすました。過去の俺が過去の美玲に言った言葉である。
「安心してほしい! 俺の今日の運勢は凶なんだ! ただそれだけのこと!」
俺の声が遠くからも聞こえてきた。懐かしい。向こうから過去の美玲が大笑いしている声も聞こえてくる。俺は心配して声をかけてくれた美玲を安心させたくて、こんな嘘を咄嗟についた。本当は遅刻して怒られて自分の気持ちは大分落ち込んでいた。そんな状況で心配してくれた美玲を俺はなんていい人なんだろうと思った。
俺は今ここで二〇二四年の美玲にそのことを打ち明けようかと思った。それで、美玲の方に顔を向けた。すると、美玲は腹を抱えて思い切り笑っていた。被り物をしていて顔は見えないがきっと笑い泣きをしているようだった。今は明かす時ではないなと思った。
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