第2話 「ようこそ時間鉄道へ」

 俺は言われるがまま一番線のホームに立った。ホームには俺以外誰もいない。よくよく辺りを気にすると人気そのものがない。零時半前ならば、人気がもっと有っても良いはずなのに。それに加えて、俺が追いかけていた女性の気配も、さっき会った駅員らしき男の気配も無い。あの女性はどこに行ってしまったのだろうか。そうこう考えているうちに定型的なアナウンスが鳴り始めた。


「まもなく一番線に特急、二〇二三年五月十一日午前十時行きが参ります。黄色い線の内側までお下がりください」


 遠くの方から列車が勢いよくやって来た。その列車は遠目から見てもいかにも普通な見た目の特急列車だった。ホームに近づいてきたところで減速をし、所定の位置らしきところで停車する。列車のドアが開いた。俺は戸惑った。これに乗ると一体何が起きるのだろうか。


 発車のベルが鳴る。まずい。俺はいつも列車に乗る時の癖でつい飛び乗ってしまった。

「一番線、ドアが閉まります。ご注意ください」


 アナウンスの直後、ドアが閉ざされる。数秒の間が有ってから列車が発車した。その揺れで身体がふらつく。乗ってしまった。乗ってしまったものは仕方ないので、俺は適当に右側の窓際の席を見つけて腰掛けた。どこに向かうのかもわからない特急列車。俺は暇を潰すために車窓からの景色を眺めることにした。窓際に肘をついて頬杖をつく。その瞬間だった。


「なんだこりゃ」

 そこには確かに景色が有った。だが、その景色は昼と夜が目まぐるしい速さで繰り返す奇妙な景色だった。


 俺はその景色を食い入るように眺めた。車窓から見える人や車は恐ろしい程の速さで動いている。よく見ると人や車の動きはまるで動画の逆再生のような動きだった。これは一体どういうことなのか。


「ようこそ時間鉄道タイムラインへ」

 後ろから声をかけられた。

「うわ!」

 俺は振り向いて思わず叫んでしまった。よく見ると、さっき会った駅員らしき男である。どうしてここに。


「申し遅れました。私、この列車の車掌です」

「しゃ、車掌……」

 車掌と名乗るその男はにこやかな笑みを浮かべている。普段なら気にならないが、こういう状況だと少し不気味に感じてしまう。


「さっき会った駅員と同じ顔をしていることに驚いていますでしょう? 実はあれも私なんです」

「ど、どういうことですか?」

「私はあなた方とは違う次元の住人でしてね。好きな場所、好きな時間に瞬時に移動できるのです」

「は、はあ」


 車掌の言葉には普段なら何言っているんだこいつはと思うところだが、車窓からの景色を見るとこいつの言っていることは本当かもしれないという説得力が有った。車掌は「お隣良いですか」と俺の左隣の席を指さして座ろうとしてきた。俺は頷いてそれに応じる。車掌は「では」と言って隣の席に座り足を組んだ。


 この人は本当に列車の車掌なのだろうか。車掌は話を続けた。

「車窓からの景色を不思議に思っておいででしょう。これは今、我々が時間を移動しているからこんな景色になっているのです」

「時間を、移動する?」

「そうです。今、我々は二〇二三年五月十一日午前十時に向かって時間を遡っているのです」


 時間を遡るってそれはタイムトラベルということになる。普段なら嘘だあで済ませてしまうところだが、これまた、今目の前で起きていることを踏まえると本当らしい。今、自分は一体何に巻き込まれているのだろうか。


 車掌はそれから一息つくと、ここからが本題と言わんばかりに話を再び始めた。

「私はいわば時の管理人の一人です。時の管理人の使命は時間の流れ、時間線の運行を滞りなく行うこと。それから、時間移動することを強く求めている人に対して時間移動のサービスを提供することです。時の流れは多かれ少なかれ分岐を繰り返していましてね。常に新しい時間線が増え続けているのです」


「なるほど」

「あなたには本来、時間移動をする必要性は無かったのです。ですが、あまりにも予想外のアクシデントが発生してしまいまして。あなたに急遽、時間移動してもらう必要が生じてしまったのです」

「アクシデント?」


「はい。アクシデントというのは、簡単に言うと時の流れを変えようとしている人がいましてね、その人があなたに関する時の流れを無かったことにしようとしています」

「それって、大丈夫なことなんですか? まあ、大丈夫じゃないからアクシデントと言っているのでしょうけど……」


「その通りです。時の流れを無かったことにするのはダメです。例えば、過去のある時点での出来事を現在から時間移動して無かったことにしました。すると、その時間線はそれまでとは全く違う時の進み方をしてしまい、その時点から分岐して続いていた時間線が大幅に変わります。その行為による影響の規模は断ち切った時点の出来事によって程度があります」


 俺はここで手を挙げた。

「質問です。例えば、本能寺の変で織田信長は死んでしまいましたよね。その状況を変えたくて、本能寺の変が無かったことにする。そうすると、今俺たちが生きている二〇二四年は存在しなくなり、全く別の物になるのですか?」


「いい質問です。その場合は大きなケースなので仰る通りのことになります。逆に言うと歴史的観点から見れば些細な出来事を無かったことにしても当事者たちへの影響は大して出ません。ですが、その些細な出来事もどこかの時間線に影響を与えていますからそれはそれで大変なことになるのです。もし、時間線が増えるではなく、消失と改変が連鎖してしまったらどうなると思いますか?」


「それって、俺たちが生きている時間が丸ごと変わって、俺たちが俺たちじゃなくなるということですか」

「ご名答。その通りです。時の流れがすっかり変わってしまうのです。それを防ぐために我々は、乗客に対して一律で過去や未来で起きる出来事そのものを無かったことにするのを禁じています。ですが、今回の件です。一便前の列車の乗客が到着先で出来事そのものを無かったことにしようとしている」


 これはかなり面倒な話だな。だが、一体誰が俺に関する時間の流れを消そうとしているのだろうか。

「あなたには目的時刻に到着次第、この人を見つけて、止めて欲しいのです」

 そう言って車掌は制服の内ポケットに手を入れて一枚の写真を取り出した。その写真が目に入る。するとそれには見覚えのある顔が写っていた。


「美玲!」

「二〇二四年時点の美玲さんです。彼女は諸々のことがきっかけであなたと交際していた事実を消そうとしている」

「えっ」

「交際していた事実を無かったことにしても、あなたや美玲さんがこれまで過ごした時間や未来が大幅に変わることはないのですがね。なぜか彼女はそれを実行しようとしている」


「どうしてですか?」

「それは私にもわかりません」

 美玲、そんなに俺のことが嫌いになってしまったのか。自分の顔が少し引き攣ってしまう。車掌は喋り疲れたのかどこから持ってきたのかわからないペットボトルの水を一口飲んだ。それから、また話し始めた。


「とにかく、到着次第美玲さんを探して連れ戻してきてください。彼女はおそらくあなた方の大学に向かうはずですから」

「……わかりました」

「それと、過去の自分たちには極力顔を見せないように。過去の自分達が混乱するだけです」

「はい」


「念のため、変装して美玲さんを探してください。変装用の服や道具はこちらで用意します。探してくるので少しお待ちください」

 そう言い残して車掌は席を立ち、前方に向かって歩いて行った。


 一人になった俺は考えた。美玲が過去の自分たちの思い出を消そうとしていることに対して、まあ振られたからそれくらいはされても仕方がないとは思う。だけど、それは自分たちの楽しかった思い出を否定されたようで嫌な気分になる。なんで、楽しかったことまで否定しようとするんだよ。


 俺は決めた。美玲のやろうとしていることを止める。それからちゃんと話を聞く。もしできそうであれば仲直りする。そうしようと決めたら俺の気持ちはこの列車に乗る前より幾分か楽になった。

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