タイムラインに乗って 〜だから、今ここで俺はあなたに好きと言う〜
石嶋ユウ
第1章 2024/11/11 → 2023/5/11
第1話 「君の臆病さが嫌になった!」
「健太! 君の臆病さが嫌になった! 別れる!」
二〇二四年十一月十一日、大学の食堂。昨日終わった文化祭の後片付けのために来ると作業が終わってから彼女の美玲に呼び出された。そしたら突然こう言われて俺は何も言い返せなかった。
付き合い始めてから今日で丁度一年。これまで喧嘩という喧嘩は無かった。交際はうまく行っていたと思っていた。それなのにどうして急にこんなことを言われるのかがわからない。茶色のセーターにスカート、ストレートに長い黒髪の彼女はいかにもな怒り顔だ。それから彼女は何も言わずにテーブルに置いてあったコップの水を俺の顔に向かってふっかけた。顔中が冷たくて痛くないはずなのに痛い。
「ついでに言うとその黒ずくめの格好もなんとかしなさい! じゃあ、さよなら!」
こう言い残して美玲は緑色のコートを羽織って、食堂を後にした。確かに言われた通り俺はグレーのセーターに黒いズボンとコートという黒ずくめである。去っていく彼女の後ろ姿が実際よりも遠く見える気がする。食堂には顔が濡れたままの俺だけが残された。壁に掛けられた時計を見ると時刻は午後十三時十一分だった。
夜になって俺は同期で同じ読書サークルに所属している樹とサークルの先輩で彼の恋人である紗奈さんと飲みに出かけた。樹はラフなオレンジのTシャツにジーパン、紗奈さんはセミロングの黒髪に紫のトップス、白のロングスカート姿である。樹と紗奈さんとは服と食の趣味は全然違うが、話はとても合った。だから俺は今日の昼間に起きた事をありのまま話した。すると、樹は驚きの表情を見せた。
「そりゃあ全く理解できないな。お前が臆病で黒づくめだってのは確かかもしれないが」
「やめなさいよ、たっちゃん。健太くんに失礼でしょう」
「そうだな、紗奈。すまない健太」
「いや、今日はこれで良いんだ。樹、紗奈さん、どうかこっ酷く振られたこの俺を笑ってくれ」
「そう言われると笑えないな」
「そうね。ひとまずはみんなで乾杯しましょう」
紗奈さんの一言で俺たちはビールの入ったジョッキで乾杯をした。一口飲んでビールの苦みが妙に心に沁みる。正直二十歳になったばかりなので、自分がどこまで飲めるのか不安ではある。
結果として俺たちは二時間以上ああでもないこうでもないと話していた。幸い俺は酔っ払うことなく、ただただ失恋した悲しみを二人と共有し続けている。
「それにしてもなんで美玲ちゃんは、急に振ったんだろう。二人ともうまく行っていたんでしょ?」
紗奈さんが俺に聞いてきた。
「俺も今日までうまく行っていたと思ってたんですけどね。なんで急にこうなるのか俺も全くわからなくて……」
「そうよね。二人には幸せになって欲しかったんだけどな……」
俺と紗奈さんが話している間、樹は何かを言いたげな表情をしつつも何も言ってこなかった。紗奈さんが腕時計に目を向ける。
「明日は朝から用事があるから今日はもう帰るね」
「わかりました。今日は話を聞いてくれてありがとうございます」
「お金はここに置いておくね。健太くんじゃあね。たっちゃんはまた明日」
「ああ、また明日、紗奈」
樹と紗奈さんは軽くハグをした。ハグを終えると紗奈さんは自分の代金を置くと席を立って店の外へと出ていった。紗奈さんが店を出て数分経ってから樹はこう言った。
「しかし、まさかこんなことになるとはな……」
樹は何杯目かもわからないビールのジョッキを置いた。その言葉に俺はどこか意味深めいた意味、というより妙な気配を感じた。俺も何杯目かのビールを一口飲む。
「まさか、とはどういうことだ。この間まで樹の方が紗奈さんと別れるリスクが高かったろ」
「そりゃあ、そうだが。それについてはもう何とかなったよ」
樹と紗奈さんの関係には少し不安定なところがあった。具体的にいうと紗奈さんの元彼が大分しつこいらしいのである。樹と付き合い始めた後も絡まれてしまい紗奈さんは自分のことに巻き込んで申し訳ないと樹との距離が縮まらないままでいる。だから樹は「例えば四年後くらいも俺たちは付き合えているのだろうか」とよく言って不安になっていた。
「何とかなったということは、樹の中で不安が解消されたということだろ」
彼は一瞬だけ目を逸らした。
「まあそういうところだ」
「なるほどな……」
俺はどういう具合に彼の不安が解消されたのかまでは聞く気にはなれない。俺は今、自分の身に起きたことを整理するので精一杯だからだ。樹は話を続ける。
「それよりもだ。今、ここで飲んでいるのは健太の話をするためだろ。お前、振られたのは自分が原因だってちゃんと理解しているか?」
「はあ、なんだよ急に。説教でもするのか?」
「いや、というより今こうなったのは、健太が美玲さんに対してちゃんと意思表示をしてこなかったからだろ。していたのか? その、例えば健太の方から大好きとか愛してるとか言ったこと有ったのか?」
思わず顔が引き攣る。
「それは……。まあ、お前の言うとおりかもしれない……」
それっきり俺は何も言えなかった。俺は俺自身が思っている以上に臆病なのかもしれない。
お開きになってから俺は一人で夜中のよく知らない並木道を歩いている。木々の葉は紅葉を迎えておりもうすぐ枯れ落ちようとしている。暗くてよくは見えないが、日中に見たら綺麗な並木道なのだろうなと思う。腕時計で時間を見ると時刻は午前零時を過ぎたところだった。その瞬間だった。前方から女性らしき人が走ってきた。暗がりで顔はよく見えない。ただ、見覚えのある緑色のコートを着ていた。
俺は咄嗟に顔を見ようとして立ち止まった。すると俺とその女性はぶつかってしまった。二人ともその場で倒れてしまう。
「大丈夫ですか?」
俺は立ちあがろうとしながら女性に聞いたが、女性は何も言わずにすぐに立ち直ってまた走り出してしまった。結局、女性の顔はちゃんと見えなかった。
あれは、美玲だったのだろうか。だが、美玲にしては雰囲気が違う。美玲は快活な雰囲気だ。だが、さっきの女性はその逆で弱っているような雰囲気だった。俺はその後ろ姿をただ見つめた。何も言わずに去るのは失礼だなと思いつつ、急いでいる様子だったことが心配になった。
女性が見えなくなってからなんとなく目線を下に向けると、そこには切符が落ちていた。俺は切符を持っていないので、おそらくさっきの女性が落としたのだろう。勝手に見るのは申し訳ないと思いつつそれを拾う。切符には出発駅と行き先は書いておらず、その代わりに年月日と時刻が二つ記されている。
一つ目は二〇二四年十一月十二日午前零時三十分。つまり今日のこの後の時間である。二つ目は二〇二三年五月十一日午前十時。なぜか去年なのだ。それからその日は奇しくも俺と美玲が出会った日だった。これが一体何なのかはわからない。ただ、これをあの女性に渡さなくてはいけない気がした。俺は女性が走って行った方向に向かった。
それからしばらくその方向を走り続けたが女性は見当たらなかった。走るのをやめて辺りを見回すと駅を見つけた。駅の名前は「ときの」。こんなところに駅なんて有っただろうか。そもそもここはときのという地名だっただろうか。そんな些細な疑問よりもさっきの女性のことだ。
彼女はもしかしたらこの駅の中へと入ったのかもしれない。俺は駅舎へと入る。すると、紺色の制服を着た駅員らしき男が待ち構えていた。
「お待ちしておりました。お持ちの切符を拝見いたします」
「いや、俺はこの切符を落とした人を探していて……」
「そうでしたか。しかしながら今はあなたを待っていたのです」
「は、はあ……」
この駅員らしき男が掛けてくる圧には人を従わせる強力な力があった。俺はこの圧に屈して切符を見せた。男は切符を見るやすぐにそれを切った。切られた切符を差し出される。
「五分後に一番線に参ります特急列車にお乗りください」
「……はい」
俺は切られた切符を受け取った。こう言う他に選択肢は無いように感じられた。構内の時計に目を向けると時間は零時二十五分だった。
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