ダイナー・ポップス

地の底マントル

第1話 静寂のスラムに響くのは

「な、なんなんだよ、あいつは…!?」


「知るかよ!さっさとアジトまで戻らないと…!」


 舗装もされず、外灯も無いスラムの夜道を二人の男が駆ける。


 新緑の季節はとうに過ぎ去り、葉は紅く染まり始め、夜の気温も下がってきたが、彼らは全身を汗でびっしょりと濡らして、息を切らしていた。


「いや、いつものアジトに行くのはやめよう、はぁはぁ…」


 男のひとりが少しでも多くの酸素を取り込もうと必死に呼吸をしながら提案する。


「場所を知られている可能性もあるし、ここからだとアジトCが近い」


「そうだな!一度落ち着ついてから、ガイさんに連絡しよう」


 彼らは最後の力を振り絞り、目的のアジトへと走る。


 途中、何度か振り返って追っ手を確認したが、その姿は無かった。それどころか、気配すら感じない。


 がしかし、先ほど遭遇した"奴"を思い出すと身の毛がよだつ。取り越し苦労かもしれないが、念には念を入れることにした。


 それから3分ほど走り、目的のアジトCに到着した。ここは、スラムに乱立する木造アパートの一つであり、同じような建物が多いだけでなく道も入り組んでいるため、仲間の人間でも迷ってしまう場所だ。


 アジトに入った瞬間、男たちは倒れ込んだ。


 毎日、フィルターの無い紙煙草を喫して、粗悪な酒を浴びるように飲んでいる彼らは、スタミナが圧倒的に無かった。にも関わらず、全速力で走り続けた反動が今になって、むち打ちの様に現れた。


「ここまでくれば…大丈夫だ…」


「あぁ、なんとか最悪は乗り切ったな…」


 二人は、カビがみっしりと生えた天井を仰ぎながら、安堵している。


 ガチャン


 「「…!?」」


 部屋の奥、キッチンに方から冷蔵庫を開ける音がした。男たちは、驚きで飛び上がり、音のする方を見た。


 二人はアイコンタクトで「誰かいるか確かめよう」「お前が行け」「いや、お前がいけよ」と問答をする。


 諦めた一人が勇気を振り絞って、キッチンの方に呼びかける。


「ガ、ガイさんいるんですか…?」


 彼らのリーダーの名を細い声で呼ぶ。


 返事はないが、冷蔵庫から何かを取り出して、包丁で食材を切る音が聞こえる。


「あ、あの…」


 男は声を掛け続けるが、一向に返事はない。


 二人は再びアイコンタクトを取った後、ジュエスチャーを使って、キッチンの方へ向かうことで同意する。


 足音を立てないように壁際を進むが、築何年経っているかも分からない老朽化が進んでいる木造アパートの床は歩く度に軋んでしまう。


 包丁が食材を断ち、まな板に当たる時に発する音に合わせて、歩を進めていく。


 二人ともキッチンへ飛び込める位置につくと、持っていた拳銃を手に取り、一斉に突入したが、その光景を見て驚愕する。


「な、なんで…?」


 キッチンに立っていた人物を見て、男たちの青白い肌からさらに血の気が引く。


 その人物こそ、彼らが恐怖していた”追っ手”であった。


 深いネイビーのシャツに映えるシンプルな紅のタイ、黒いベストとスラックスを着用した紳士。かび臭いアパートには場違いな格好で、その異様さを際立たせている。


「冷蔵庫にリンゴが入ってたから頂いてるよ」


 追っ手は振り向きもせずに、いたって冷静に話し始める。


「は…?なんでお前がここに居るんだ!?撒いたはずじゃ!?」


「お前らのような奴の思考は手に取るように分かる。アジトの位置も全て把握しているし、お前らに逃げ場なんて最初から無かったのさ」


「うるせぇ!!ここでお前を殺しちまえば何の問題もないだろ!おい、やるぞ!」


「………」


 相方からの返事が無い。


 それどころか、横に居たはずなのに、いつの間にか視界から消えていた。


 男はそっと後ろを振り向くと、また別の男がこちらに銃を向けながら椅子に座っていた。


 消えた相方は、その椅子の下で倒れている。


「ひぃっ!いつの間に!?」


「アンタが "ジャック" に夢中になってる時から」


 椅子に座っている男が胸ポケットから煙草を取り出しながら言った。


 次の瞬間、後頭部に強い衝撃が走る。


 何が起きたか分からないが、恐らくキッチンに居た男に殴られたのだろう。男はそのまま気を失った。






「で、なんでお前はリンゴなんて切ってるんだ?」


「いやー、スラムのチンピラって普段何を食べているのか気になって冷蔵庫を開けたら、大好きなリンゴが入っててさ」


「だからって、敵のアジトの食い物を食べようとするなよ…」


「コルトが遅いのも悪いんだからな!危うく撃たれるところだったぞ」


「俺のせいにするなよ!お前が指示したアジトに誰もいなかったから、急いでこっちに来てやったんだろうが!」


 リンゴ好きなスーツの男ジャックと、変な言いがかりをされているコルトが言い争っていると、倒れていた男が起きた。


「た、助けてくれ!俺たちはあのファミリーとは関係ないんだよ!ただ、あの娘を攫って身代金を…」


 話の途中でジャックが男の頭を蹴り飛ばすと、男は再び気を失った。


「おい、のしちまったら娘の居所を聞き出せないだろ」


「その必要は無さそうだ」


 ジャックがそう言うと、勢いよくドアを蹴破って女性が入ってきた。身長は小中学生ほどに見えるが、その肩には大きさが倍近くある成人男性を抱えていた。


 女性は連れてきた男をジャックとコルトの前に投げ出すと、イラついた様子でジャックに近づいた。


「アンタ!なんでアタシに面倒な仕事ばかり押し付けるのよ!か弱い乙女が倍以上の男を抱えて、ここまで歩いてきたのよ?」


「悪い悪い。まさかナナミの所が当たりだとは思わなくて」


「コルト!あんたもよ!なんでアタシの所じゃなくてジャックの所に来てるのよ!」


「…お前も俺にあたるのかよ」


 コルトが半ば呆れながら、投げ込まれた男をのぞき込む。


「こいつがリーダーなのか?」


 ナナミが背伸びしながらジャックの襟を掴もうと手を伸ばしながら答える。


「ええ、そいつで間違いないわ。手下に「ガイさん」って呼ばれてたもの」


「こいつらもガイって名前を言っていたな。じゃあ、さっさと娘の居場所を聞き出すとするか」




 ジャックとコルトが、ガイと呼ばれる男を椅子に縛り付け、顔に水をかける。


「がはっ!!」


「本当に水かけたら起きちゃったよ」


 ジャックが驚いたように、水で濡れたガイを見つめる。


 ガイは、自分の状況を察して諦めたのか、抵抗する素振りは無さそうだった。


「お前らは犯罪組織ファミリーの人間なのか…?」


 ガイは口に入った水を吐き捨てながら言った。


「いいや、俺たちは別の組織さ。そんなことより、お前らが攫った娘はどこにいるんだ?」


「あの娘なら、スラム第3地区にある運送会社の倉庫にいる。教えてやったんだから、今回は見逃してくれよ?な?な?」


 ジャック、コルト、ナナミの3人は表情ひとつ変えずにガイを見下している。


 その姿を見て、ガイは自分の認識が甘かったと察した。スラムの犯罪組織ファミリーでなければ、命までは取られないと思っていたが、この3人の目は違った。明らかに、人を殺す目だ。


「本当に悪かったよ!娘には一切手を出していないし、金さえ貰えたら傷ひとつつけずに帰すつもりだったんだ!本当だ!信じてくれ!」


「お前らは身代金を受け取った後、一度も女性を帰していない。それどころかファミリーに売り渡しているな?」


「そ、それは…」


 ジャックがガイを縛っている椅子を蹴ると、ガイは手下たちの上に倒れ込む。


「うっ!ゆ、許してくれ!」


「ジャック、こいつらどうする?」


 ナナミがジャックに問いかけると、その名前を聞いたガイが目を見開いて、顔中に脂汗を滲ませる。


「ジャックだと…?やっぱりファミリーの人間だったのか!?」


「さぁね」


「そんな大物が関わるほど重要な娘だったなんて…!!」


 ガイが何かを思い出したのか、全身に電気が走ったかのように身を震わせる。


 ジャックはそれを無視して、アジトを出て行く。


「待ってくれ!お願いします!」


 ナナミがジャックに続いて歩き出すと、ガイの方を向いて悪戯に舌を出す。


「ばいばーい」


 ガイは必死にもがきながら叫び続ける。


「何でもしますから!なぁ!」


「殺しはしないさ。まぁ、生きていられるかは分からんがね」


 コルトはそう言い放つと、吸っていた煙草を部屋の奥に投げた。火はボロボロなった綿のカーペットに燃え移り、黒煙が上がり始める。


「頼む!待ってくれぇぇ!!」


 夜のスラムに男の叫び声と、木が燃える水蒸気爆発の音が響き渡った。




 ガイたちのアジトを後にした3人は、女性が捕らえられているという倉庫にやってきた。


 スラムの運送会社なだけあって、倉庫のセキュリティーは無いにも等しく、倉庫内を居住スペースにしている人さえいた。


「ねぇ、こんなところに本当にいるの?あいつ嘘言ってたんじゃない?」


「まぁまぁ、餅は餅屋っていうし、その辺の人に聞いてみようか?」


 ジャックは、倉庫の外で座り込んでいる老人に話しかける。


「すみません。こちらに女の子が来ませんでしたか?高校生くらいの」


「………」


 老人はジャックを無視して、遠くを見ている。


「あ、チップね。はい、どうぞ」


 ジャックが小銭差し出すが老人は見向きもしなかった。口が堅いのか、そもそも喋る事が出来ないのだろうか。


 見かねたコルトが煙草を差し出すが、そちらも効果がなかった。


 「そのおじさん喋れないんじゃないの?諦めて、しらみつぶしに探しましょうよ」


 ジャックも諦めて、老人の元を去ろうとしたとき、コルトが何かに気づいたようだった。


「このおっさん遠くを見てるんじゃない!ナナミを見ている!」


 老人の視線を辿るとナナミの胸に行き着いた。

 

「はぁ!?きもいんですけど!◯ねよ!」


 ナナミが老人に容赦なく言い放つと、老人は急に立ち上がりお辞儀をし始めた。


「ありがとう。君たちが言う娘なら、この奥にある仮眠室に連れていかれたよ」


「なんなの、このオッサン…」


 老人はどうやらMマゾ体質だったようだ。




 仮眠室は倉庫内の二階にあり、部屋の中では従業員らしからぬ男がベッドで寝ていた。見たところ、ガイの仲間だろう。ナナミは、そいつの首を絞めて気絶させ、部屋の外へ投げ出した。


 一方のジャックとコルトは部屋の奥に不自然に置いてある大きな木箱の前に立つ。


「多分、この中かな?」


 箱の中からは僅かに呼吸音が聞こえる。


 コルトがハンドガンを構え警戒しながら、ジャックが箱を開けると、中には下着姿の女性が縛られていた。




「「「………」」」




 3人は眼を合わせて黙り込んでいた。




「なになに?中にいた…の?」


 ナナミが箱の中を覗いた瞬間、すべてを察してジャックとコルトの顔面に拳を入れる。


「この変態どもが!なに黙って見てんじゃぁぁ!!」


・・・


「「ごめんなさい」」


 ジャックとコルトが正座して、ナナミと木箱に入っていた女性に謝罪する。女性は、部屋の棚にあったシーツを羽織っている。


 コルトは納得がいかないのか、若干不貞腐れているようにも見えた。


「あなた達はいったい…?」


 女の子はナナミの陰に隠れながら、心配そうに尋ねた。


 ジャックは前髪を指先で整えてキメ顔になる。


「孤児院のシスターからの依頼で、君を助けにきたのさ!辛かったろう!さぁおいで!」


 ジャックは逞しい両腕を彼女に向けて広げる。


 ナナミはまるでドブ川を流れる汚物でも見るような視線をジャックに送る。


 一方のコルトは八つ当たりを警戒して、離れた所にあるベッドに腰掛けていた。


「ママがあなた達を…?」


「そうよ。まぁ、直接アタシたちに依頼してきた訳ではないんだけどね。孤児院まで送るからもう安心していいわ」


「………必要ありませんでした」


 女性が俯きながらボソッと呟く。


「え?」


 思わずナナミが聞き返すと、女性はしっかりと前を向いて真剣な眼差しを3人に向けた。


「助けは必要ありませんでした!私はもう…」


 そう言うと、大きな瞳から大粒の涙が堰を切ったように流れた。


 それは、決して安堵感だけから来るものでは無さそうだ。


「ちょっと!どうしたの?助けは要らなかったって…」


 突然の出来事にナナミも慌てる。


 すると、ジャックがポケットからハンカチを取り出して彼女に差し出す。


「俺たちは君を無事に返すのが仕事だから、それはキッチリとやらせてもらうよ。だけど、それとは別で君のお話を聞かせてもらっても良いかな?」


 女性は涙で霞んだ視界をハンカチでぬぐい、ジャックを見つめるが、返事はしなかった。


「俺はジャックって言うんだ。君は"カンナ"ちゃんで間違いないかい?」


「…はい、そ、そうです…」


 嗚咽がまだ止まらず、途切れ途切れではあったが、なんとか言葉を紡いだ。


「カンナちゃん。こんな所で話すのも嫌だろうから、場所を変えるのはどうだろう?近くに良い店があるんだ」


 それを聞いたナナミがジャックに懸念の顔を向ける。


「え、もしかしてフレッチャーの所?あんなドブ近くの店なんて嫌よ」


「…一応補足するとドブじゃなくて、入り江ね」


 カンナは少し考えた後で、小さく頷いた。


「よし!じゃあ、コルトは上への報告よろしく」


「また俺かよ。…はいはい」


 コルトは独りそそくさと倉庫を後にした。その背中には何故か哀愁が漂っていた。


「ナナミはどうする?」


「私はパス。今日は疲れたから早くシャワーを浴びたいの。…それからさ」


 ナナミはカンナに聞こえないようにジャックに耳打ちする。


「話を聞くのは構わないけど、早くシスターの所に戻さなくて大丈夫なの?今回の仕事は緊急だからってシスターが相当な額を出してるのよ。わざわざアタシ達を指名してね」


「大丈夫、遅くはならないさ。それに苦しんでいる子を放っては置けないだろ?」


 ナナミは呆れた顔でため息をつく。


「分かったわよ。アタシも途中までは付いて行くわ。…あと、この子に変な事するんじゃないわよ」


 ジャックは満面の笑みで親指を立てる。


 ナナミは先ほどよりも深い深いため息をつく。


「さてと、敵はあらかた片付けたし、カンナちゃんが落ち着いたら出発しようか」


 コルトが離脱して、残った3人は倉庫で少しだけ休んでから、入り江でかいドブの側にある店に向かうことにした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ダイナー・ポップス 地の底マントル @sho070704

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ