第23話 ―ひとまずのエピローグ―

「え、紘輝先輩、実家継がないんですか!?」

 代休明けの火曜日の放課後、部室にやってきた紘輝の話に、軽音楽部員は驚愕した。

「ああ。卒業したら、三年間だけ東京に行かせてもらえることになったっけ」

 すっきりと前髪を上げて額を出した彼の目は、これまでにないほどの強い意志に満ちている。

「東京って、もしかして……」

「ギターの勉強したいから、音楽の専門学校に行くことにした。三年でものにならなかったら、うちに戻ってきて修行のやり直しって約束でな。ま、親父とすげー大喧嘩になったけど」

「うわあ、なんかドラマみたいだ……!」

「それで祐華ちゃん、朝からなんかお疲れ気味だったのかあ」

「うん、お父さんもお兄ちゃんも、ずーっと怒鳴ってるんだもの……胃が痛くて……」

「大変でしたね、祐華さん」

「あー……悪かったな、祐華。本当なら三者面談の時にでも言えばよかったんだろうけどさ」

「興津先生が可哀想だから言わなくて正解よ、お父さんのあの剣幕じゃ」

 祐華の言葉に紘輝は肩をすくめた。

「でも、なんでまた急に進路変えることにしたんすか?」

「なんかさ、文化祭で演奏してたら、やっぱ俺のやりたいこんはこっちだって思ったんだよ。うまくいくかなんてわからないけど、実家のために全部諦める前に、好きなことは全力でやり切っておきたくなってさ。だから、クリスマスくらいまでは、ここに顔出すつもりだ」

「じゃあ、まだしばらく先輩と一緒に演奏できるんですね」

「演奏はするけど、部長はお前か隆玄に引継ぎすんぞ。もう会議とか絶対出ないからな」

「わかってますって。先生には話してあるんですか?」

「いや、これから話すよ……あ、ちょうどいいところに」

 そう言って紘輝が見やった先に、いつものようにギグバッグを背負った興津が現れた。


「そうか、……プロになるっていうのは、きっと君が考えているよりずっと厳しいはずだ。でも、挑戦する価値はある。頑張れよ。ここにいる間は、私も出来る限りサポートするから」

 興津はそう言って、力強く微笑む。

「せっかくだから、大井先生や安倍先生とも、もっとじっくり話をしてみたらいい。ギターは私よりも、あの二人の方がずっと詳しいからね。プレイスタイルも参考になるはずだ。あとで声をかけておくもんで、向こうが都合が良さそうな時を狙って、会いに行ってみなさい」

「はい、ありがとうございます」

 まっすぐな返事をした紘輝の肩を、興津はぽん、と叩いた。そして、

「……さて、それじゃあみんな、今日はどうする? 本来なら藤枝の引退ライブを撮影する予定だったけど、そういうこんなら、せっかくだから次のステージの話でもしようか」

 そう言って興津は、すぐ傍の椅子に腰かけた。

「次のステージ? 文化祭で今年度の活動は終わりじゃないんですか?」

 部員たちは首をかしげる。

「その予定だったけど、今日、藁科先生からひとつ、面白い話を持ちかけられてね。再来月の吹奏楽部の定期演奏会に、君たちも一緒に参加しないかって言われたんだ。どうかな?」

「ちょっ!?待ってください先生、私ピアノしかできませんけど!?なんか吹くですか!?」

 興津の提案に、くるみは仰天して素っ頓狂な声を上げる。

「いやいや、違うよ。吹奏楽部に混ざるんじゃなくて……っ、あっはっは……」

 くるみの勘違いがツボに入ってしまったのか、興津はそのまま大声で笑い始めてしまった。

「えっ、あ……! やだ、もう! そんなに笑わなくったっていいでしょ、先生!」

 顔を真っ赤にしたくるみにぺちぺちと肩を叩かれつつ、彼はそれでもまだ笑い続ける。

「はーい先生! 俺、あれやりたいっす、カーッて鳴るやつ!!」

 悪乗りした隆玄が楽しそうに手を上げた。

「だからビブラスラップな。……でも、俺も久しぶりに、打楽器やりたくなってきたかも」

 太陽が冗談を言いつつ身を乗り出す。

「先生、エレキギターが参加できる曲ってありますよね? アコギでもいいですよ」

 紘輝がつられて笑いながら手を上げる。

「あの、エレベが弾ける曲ないですか? わたしも参加したいです!」

 祐華は素直に目を輝かせて会話に加わる。

「はい、先生。バイオリンは吹奏楽に入れますか?」

 明らかに面白がっているトーンでミチルが手を上げた。

「うああ、みんないじるのやめて!!先生も笑ってないで止めてください!」

 部員全員の悪ふざけに困り果て、くるみは興津の肩を揺する。

「あはは、ごめんごめん。……せっかくだから、私もウッドベースで参加しようか?」

「だーかーらー! もう、先生の意地悪!!……ふふっ」

 いたずらっぽい笑顔の興津に、くるみはとうとう根負けして吹き出してしまった。


 海から吹く晩夏の色濃い風が部室の外を抜けて、空はそろそろ日暮れの気配がし始める。

 茜色と水色に街の西が染まるころには、朝と同じメロディのチャイムが鳴り響くだろう。

 その音色を幾度も数えながら、二人の距離は一日ずつ近くなっていく。

 そうして日々を彩る音楽は、彼と彼女の心を昨日よりも深く、強く繋ぐのだ。


 やがて、二人の恋に幸せな結末が訪れたその日も、今日と同じチャイムが街を包んでいた。

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