第14話
「ミチルちゃん、カラオケは初めてかしら?」
「はい」
「そっか、楽しいから、きっと好きになるよ」
「どうせだから、文化祭で何やるかもざっくり決めちゃおうか」
受付を済ませ、案内された番号の部屋に軽音楽部のメンバーはうきうきと向かう。
「それにしても、先生ってば相変わらずお堅いなあ。バスケ部なんて、顧問と部員がゴールデンウィークに合宿っていう名目でキャンプしたりしてんのに」
「うちの校風じゃ、食事やカラオケ行くくらいなら、目くじら立てられないと思いますよ」
「Fワード入ってる歌、平気で歌うくせに、そういうとこすげー真面目なんだよなぁ」
上級生たちは本人の不在ということもあって、ぼろぼろと本音が出てくる。
「あれだよな、そもそもプライベートが全然見えないっていうか……授業とクラス担任も含めて、二年くらい付き合ってるけどさ、家族の事とか自分の話、一切話題に出さないんだよな。一種のプロ根性なのかわからないけど、訊かれてもするっとはぐらかすし……」
紘輝がため息混じりにいぶかしむ。
「ほんとそれです。音楽に対する情熱はすごいし、練習にもちゃんと本気で付き合ってくれるんですけど、なーんかこう、壁があるんですよね」
太陽が同意しながら、部屋のドアを開けた。
「むしろ他が聞いてもないのに喋る先生ばっかだから、余計に気になるんだよなぁ。ねー、くるみちゃん。くるみちゃんには興津先生、そんな話しない?」
「ふぁい!?」
隆玄に突然話題を振られて、くるみは喉から変な声が出てしまった。
「いやぁ、だってさ、どう見ても先生、くるみちゃんのことお気に入りじゃん?そういう子には何か言ってたりしないかなーってさぁ」
「ななななななにも!?なにもしらないすよ!!っていうか何ですかお気に入りって!!!誤解もはなはだしいですって!!!!」
くるみは殆ど命懸けのつもりで、否定できないことを否定しようと試みる。
「え、俺、興津先生があんな近距離で話す子なんて初めて見たけど、違うんだ?だったら、嫌なら嫌って言わないとだめだよ、くるみちゃん」
「べ、別に嫌ではないすよ!!そんなこと一ミリも思ってないです!!!」
変に誤解を招きそうな気配に、今度は紘輝の言葉を肯定せざるを得なくなる。
「あはは、複雑ぅー」
実に楽しそうに笑う隆玄に、くるみは何も言い返せないままぱくぱくと口を動かす。
「まーどっちみち変わった先生っすよね、見た目がそもそも浮世離れしてるし」
「ていうか俺、髭生やしてる先生なんてアニメの中だけだと思ってました」
「髭がなければカッコいいのにー、とか女子が言ってるの、結構聞くよな」
隆玄と太陽に答えつつ、紘輝がソファーに腰かけ、タブレットを手に取って眺め始めた。
『わかってないなあ、あのヒゲが素敵なんじゃない……いや、わからなくていいのよ、うん』
ライバルはいない方がいい。くるみは部屋の暗さに紛れて一人うなずいた。
『……でも、そう言えば……確かに、先生から家族とかきょうだいの話って、一度も聞いたことないな……』
彼との会話で、たいてい自分だけが家族の話をしていることに思い当たる。
『いろいろと事情があるのかもなあ、……みんながみんな、家族と仲いいわけじゃないし』
そも、自分だって一般的な視点から見れば、かなり変わった家庭環境なのだ。そしてそれをコンテンツのように消費して面白がるような人間に話したいとは思わない。
『でも、……いつか、聞けるかな。話してくれたらいいな……もっと知りたいから……』
帰りしなの愁いを帯びた目を思い出して、ふっと息をつく。
『あんな目をして見つめられたら、……抱きしめたくなっちゃうよ、先生』
切ない痛みに、くるみの胸の奥はきゅんと音を立てた。
「くるみちゃん、何飲む?」
祐華の声に、くるみは慌てて顔を上げる。
ドアのところに店員がひざまずいて、飲み物の注文を取っているようだ。
「あ、えっと、イチゴミルク」
「ミチルちゃんは?」
「アイスココアにします」
「あ、そっちもおいしそう……二杯目はココアにしよっと」
「ポテトの大盛りもお願いしまーす」
「よーし、俺から歌うけどいい?」
「どうぞどうぞ」
目の前の画面が切り替わり、スピーカーから『島国DNA』のイントロが流れる。
部屋の中はあっという間にパーティームードに切り替わった。
「いやー、歌ったなぁ」
「カラオケだとエフェクトあるから上手く聞こえるんだよな、俺らの歌も」
三時間ほどがっつりと歌って、結局文化祭の曲目は決まらないまま部員は帰途につく。
「じゃあ、俺たちはここで失礼します」
「お疲れっすー」
「ミチルちゃん、また月曜日にね」
「はい」
店の前から去って行く隆玄と太陽の自転車に、残りの四人はそれぞれのあいさつを送る。
「祐華、俺たちも帰ろうか」
紘輝がそう言って自転車の鍵をポケットから取り出した時、
「……あの、みなさん」
ミチルが何か、思い詰めた様子で口を開いた。
「うん?どうした?」
「なあに?」
「……実は、お話したいことがあるんです。と、いいますか……この問題をわたしひとりで考えるのは、絶対に良くないことのような気がして、内密にご相談をさせていただきたいと思いまして……」
「え?」
回りくどい物言いに、三人は思わず顔を見合わせる。
「……とりあえず、店の前じゃ通行の迷惑になるから、どっか移動しよう。すぐそこの公園でいいかな?」
「……はい……」
ミチルは重々しくうなずいた。
「……太陽先輩のことで、みなさんにもお話ししないといけないと思ったことがあるんです」
そろそろ日暮れに差し掛かる光に翳る葉桜の下のベンチに腰掛け、ミチルは下を向いたまま口を開いた。
「太陽のことで?」
「はい。以前、先輩が吹奏楽部を辞められたのは、顧問の先生と仲たがいをされたからだとおっしゃっていましたが、……この間、わたしに本当のことをお話ししてくださったんです」
「本当のこと?」
「あの先生に、一方的に嫌われたんじゃなかったの?」
ミチルは目を伏せてうなずいた。
「……でも、あの、……ごめんなさい、わたしが言ってしまったということは、秘密にしていただけませんか。誰にも言わないで欲しいとおっしゃられてもいたので……」
「それは内容によるな。……とりあえず、話してくれるかな、ミチルちゃん」
「……何があったの?」
紘輝とくるみの言葉にミチルはわずかに逡巡した後、続きを話し始めた。
「……去年、吹奏楽部のコンクール前に、合宿があったそうなのですが、そこで当時の三年生が数人、就寝時間の後に……お酒を飲んだり、タバコを吸ったりしているのを……たまたまそのときに起きてきた太陽先輩が、目撃してしまったそうなんです」
あまりのことに、三人は息を呑んでその場に竦んだ。
「その人たちに見つかることはなかったそうですが、そのまま黙っているわけにはいかないと思われて、先輩は翌朝になってから、顧問の先生……あの先生に相談されたんです」
「……それで?」
嫌な予感しかしない、と言った口調で、紘輝が先を促す。
「飲酒と喫煙をしたのは、当時の吹奏楽部の主力メンバーで、そのうち二人は課題曲のソリストだったそうです。……その人たちが停学処分になって、コンクールに出られなくなれば、賞は取れなくなる。それ以前に、飲酒喫煙なんていうことが公表されれば、コンクールに参加すること自体が出来なくなる。だから……太陽先輩は、何も見なかったことにされて、その場で自主退部をするように言われたそうです。もしも他の先生方に報告したら、逆に飲酒喫煙をしたことにして退学させてやる、と脅されて……代わりはいくらでもいる、名誉を守るための犠牲は付き物だ、とまで言われてしまったと……」
「!……なに、それ……」
「……ひどい……」
くるみと祐華は、それ以上の言葉を発することができなかった。
「くそっ、太陽……なんでそんなヤバいこん、これまで黙ってたんだ、あいつ!」
怒りに燃えた目で憤る紘輝を見上げて、ミチルは首を横に振る。
「……それまで一緒に、あの先生のひどい言葉や脅しに耐えながら、コンクールに出場して賞を取ろうと頑張ってきたお友達の姿をずっと見ていたから、ご自分一人の発言のせいで、その努力を無駄にしてしまうのは申し訳ない、と思われたそうなんです。だから、先輩は顧問の先生に言われるまま、退部されたんです。周りの人には本当の理由を言わずに……それに、みなさんに素直にお話したら、受験を控えられた部長さんや、藤枝先輩や興津先生にご迷惑がかかって、お勉強やお仕事に差し障りがあるだろうと思われて、ご相談されることも……」
「……太陽先輩、それじゃあ吹奏楽部の人たちに、自分勝手にコンクール前に退部したって誤解されたままじゃない……」
くるみの言葉に、ミチルは涙を浮かべてうなずいた。
「はい……そのせいで、悪い噂を流されて、お友達だった方たちとも、お話しすることはなくなってしまったとおっしゃられていました。たった一人、伊東先輩だけがこの話を信じて、変わらず接してくださったと……わたしがこのお話をうかがうまでは、伊東先輩だけが本当のことをご存じだったそうなんです。……わたしも、お約束通り、黙っていればいいと思っていましたが、今日、ステージの袖でお話ししてるときに、先輩、打楽器の方を見て、とても悲しそうなお顔をされていて、それを見ていたら、わたし、あの先生のことがとても許せなくって、……悔しくって、仕方ないんです……」
とうとう堪えきれなくなって、ミチルは泣き始めてしまった。
祐華が隣に座って、彼女の小さな背を撫でる。
くるみは紘輝と目を合わせると、互いに大きなため息をついたきり、黙り込んでしまった。
『太陽先輩が隠してたことって、これだったんだ……』
もたらされた真実のおかげで消えた違和感の代わりに、ますます吹奏楽部の顧問に対する嫌悪感が強くなる。
『そんなに賞を取るのが大事なの?悪いことしてるのを隠してでも、コンクールに出なきゃいけないの?……おかしいよ。頑張ることは大事だし、それに対して見合ったものがもらえるのも大事だと思う。けど、そのために悪いことを見逃すなんて、あの先生は間違ってる……!』
怒りに握った拳に爪を食い込ませ、くるみは身体を震わせた。
「……ミチルちゃん。これは俺たちだけで黙ってちゃだめだ。ちゃんと先生に言わないと」
紘輝が真剣な目でミチルを見遣る。
「えっ……でも……」
「ミチルちゃん。俺、あんまこういうこん訊きたくないけどさ、太陽が好きなんだろ?」
「……」
ミチルは真っ赤に頬を染めて、かすかにうなずいた。
「そんで、俺らに今の話をしたら、太陽から裏切ったって言われて、嫌われるって思ってるよな?だから黙ってた。違うか?」
もう一度同じ仕草をしたミチルに、紘輝は微笑んで言葉をかける。
「あいつはそんな奴じゃないよ。どうしてミチルちゃんが俺たちにこの話をしてくれたのか、あいつならわかると思う。……もしも何か文句言ってきたら、俺らが味方になってやる。こんなかわいい彼女、心配させて泣かすなよ、って」
兄の言葉にうなずきつつ、祐華がミチルの背中をぽんぽん、と優しく叩く。
「ミチルちゃん、月曜日、先生に話をしましょう。解決の糸口が出来るかも知れないわ」
紘輝が腕組みをして大きく息を吐き、
「俺、あとで太陽と一緒に、隆玄の奴も詰めておく。……あいつも知ってて黙ってたなんて良くない。もっと早く先生に相談すべきだったんだ。なんだよ、慎先輩や俺にだって、話してくれたってよかったじゃないか……迷惑だなんて思うわけねえだろ、ばっきゃろう」
悲しさと悔しさの混じった言葉を地面に打ち捨て、くるみを見遣る。
「くるみちゃんも、今の話の段取りでいいか?」
「……はい。……でも、今から話をしても、証拠はもうないですし、どうやって誤解を解けばいいのか、難しいですね」
「そうよね……」
「誰か録画とか録音とかしてくれてたら、どうにかなるかもしれないのになあ……」
四人はそれぞれに知恵を巡らせるが、そうそうすぐに妙案は出なかった。
「……とりあえず、来週先生にこのことを話してから考えよう。今日はもう日が暮れるし、二人ともできそうなら、電話して迎えに来てもらいなよ」
「はい」
くるみはポケットからスマートフォンを出す。
「……あの、みなさん、本当にすみません。お時間を取らせてしまって……」
ミチルが立ち上がって、三人に頭を下げる。
「謝らないでよ、ミチルちゃん。お話ししてくれてよかった。ずっと内緒にしたままじゃ、辛かったでしょ?」
「はい……」
くるみの言葉に、ミチルはまた泣きそうな顔をして、それを堪える。
「大丈夫。興津先生だったら、きっと力になってくれるから」
そう言ってミチルの前髪を撫でると、彼女は少しだけ安心したようにうなずいた。
と、その言葉を拾った紘輝が、
「おっ、さすが先生の彼女だ。説得力があるね」
思いっきりくるみのことをからかった。
「はあぁ!?ばっ、えっ、なななななに言ってるですか先輩!?なんでそうなるですか!!!?」
「あっはっは、冗談だって。いや、でも、本気だったら応援するよ、俺は」
「や、やめてくださいって!!!冗談でもダメですよその発言!!!!先生に迷惑がかかるじゃないですか!!!!」
夕暮れ時の公園に響き渡るくるみの悲鳴に、
「くるみちゃん、わかりやすいのよね」
「……はい、本当に」
祐華の言葉に慰めの響きを捉え、心の重荷が消えたミチルは、涙を拭いて小さく笑った。
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