第10話
「……簡単に言えば、軽音楽部は吹奏楽部の顧問の先生から、ちょっと逆恨みされていてね。原因は二つほどある。……島田はもともと吹奏楽部だったんだよ。でも、去年のコンクールの前に退部して、こっちに移ってきたんだ」
興津がちらと太陽を見ると、彼はうなずいて口を開く。
「俺、パーカッションで、まあそんなに大きな役じゃないけど、楽器を受け持ってた。でも、あの先生に……原因はわからないけど、何故だか嫌われちゃってさ。一緒に演奏するのが嫌になって、練習中に大喧嘩して、コンクールの十日前に自主退部したんだ」
一瞬、隆玄が太陽に目線をやるが、太陽はそれを無視して続けた。
「最初は迷惑かけて申し訳ないって思ってたけど、誰も何も言ってこなかったし……別に俺がいなくてもあの部は上手くいって、全国大会に行ったから、最初から俺は必要なかったのかもしれない。……で、夏休みめちゃくちゃ暇になった時に、りゅーげんに誘われて軽音楽部に入ったんだよ。音楽好きなのに、何もしないのは張り合いないだろって」
「こちらとしても、夏休み前にドラムの子が急に退学したり、ギター担当だった生徒が転校してしまって、いよいよ部活動としての体裁が保てなくなってきたところだったから、島田が来てくれたのはとてもありがたかったんだ。そこからは毎日、血反吐を吐くような練習をして……指、かなり酷使してたな。頭が下がる思いで見てたよ」
「いえいえ、そんな。俺は自分のやりたいことをやってただけです」
興津の誉め言葉に、太陽は首を横に振る。
「夏休みから練習しただけで、あんなに弾けるようになったんですか……」
文化祭のステージでの演奏を思い出し、くるみは驚きで目を見張った。
「理由もなく嫌われたのムカついて、絶対にあの顧問を見返したかったんだ。貯金はたいて、ギター回り一式買って、剣道の稽古に差し支えがないときは徹夜して弾いてたっけ」
太陽はかすかに自嘲を含んだ笑みを浮かべると、言葉を続けた。
「言い方は悪くなっちゃうけどさ、実際、俺の中では充分見返すことができたと思ってる。くるみちゃんも見てくれてたと思うけれど、あん時すごく盛り上がったから」
「はい。すごかったです」
「でもな……問題はそこなんだよ」
今まで黙っていた紘輝が口を開く。
「俺らが盛り上がっちゃったせいで、あの顧問の先生すげーへそ曲げたらしくて。よっぽど悔しかったんだろうなあとは思うけどさ、次の授業から当たりがキツいのなんの」
彼はそう言うと、困り顔で腕を組む。
「前期は5だった音楽の成績が、特に提出物忘れもないし、筆記テストだって満点取ったのに、後期で2に下がってたのはさすがに笑えなかったなぁ。わざと1にしないあたりも小狡い感じがして好きじゃない」
隆玄が膝に肘をつき、顎を乗せてぼやく。
「ひどい……そんなめちゃくちゃなこと、やっていいんですか?」
祐華が怒り心頭といった様子で興津を見る。
「残念なことに、教科をまたいで成績に口を出すことはできないんだよ……私も手助けしてやりたいんだが……」
苦虫をかみつぶすような顔で興津が言葉を吐きだす。
「あの先生、やっぱ性格悪すぎ……」
思わず本音が出てしまった口をくるみは慌てて抑えるが、興津はそれを咎めるでもなく話を続ける。
「正直な感想と事実を伸べると、あの時、吹奏楽部が演奏した曲目も少し盛り上がりに欠けるものだったんだ。その年のコンクールの課題曲と自由曲に、クラシックを吹奏楽にアレンジしたものばかりで、お祭りというよりは純粋なコンサートのようだったから、生徒が退屈していたのは否めないだろう。もちろん、クラシックを否定するつもりは毛頭ないが、やっぱり演奏する曲目はTPOに合わせることが必要だ」
先ほどの曲目決めの時の会話を思い出し、くるみはうなずいた。
その気配を受けて、興津はまた話を続ける。
「みんなで楽しめるような定番の曲や、ヒットナンバーのひとつでも入っていればまた違ったのかもしれないけど、どうやらあの先生はそういった曲が好みではないらしい。むしろ馬鹿にしている節さえある。ひどい話だが、ロックやポップスなんて騒音でしかない、なぜ教科書に載っているんだ、と言っていたのを、たまたまだっけが、私は聞いてしまったからね」
「ふーん、……なんか音楽に勝手な優劣付けてる感あって、嫌だなあ。だから『軽音楽は頭からっぽ』なんてひどいこと言えるんですね」
くるみがむすっと膨れたのを横目に見て、興津はうなずいた。
「文化祭、吹奏楽部も、決して演奏は悪くなかったんすけどねぇ、生徒はほとんど聴いてなかったと思いますよ。なんかこう、お祭りっぽくなくて、印象に残らなかったというか……」
「俺らの後に演奏した先生っちの方もかなり盛り上がったからね。自分っちが前座扱いされたような気分だったのかもしれないな」
隆玄と太陽が渋い顔でため息をつく。
「おかげさまであれから、挨拶しても返事が返ってこないよ。参ったね」
興津は肩をすくめて苦笑した。
「……そんな幼稚な方が、どうしてこの学校で教師をしていられるんでしょう?他の先生方だって、そんな方がひとりでもいたらご迷惑でしょうに」
丁寧な口調ながらも呆れと軽蔑のこもった声でミチルがつぶやくと、紘輝がそれに答える。
「理由は多分、吹奏楽部の成績にあると思う。慎先輩の話だと、いつも地区予選で銀賞止まりだったのが、あの先生が来てからいきなり全国大会まで行ったらしいんだよ。それで今のところ毎年、全国出場できてるから、学校も切るに切れないんじゃないかな」
「人格破綻してても才能ある奴って、ごくまれにいるっすからねぇ」
「うわあ、厄介」
隆玄の言葉に、くるみはまた本音が漏れてしまった。
「……とまあ、こんなわけがあるんだよ。ごめんな、くるみちゃんも祐華ちゃんも、それからミチルちゃんも。俺が喧嘩なんかしないで、吹奏楽部にいられれば良かったんだけど……」
「謝らないでください、先輩は何も悪くないです。一方的に嫌っておいて、ひどすぎるわ」
憤慨する祐華の隣でミチルがうなずく。
「その先生、みなさんのお話を聞く限りでは、全く良い印象がないです。おまけに生徒であるくるみさんのことを笑うなんて失礼千万ですよ。教師のすることとは思えません」
「……何かされたのか、牧之原」
強い怒りと共に放たれた言葉を拾った興津が、鋭い目でくるみを見た。
「あ、はい……一言喋っただけで笑われたんで、思わずキレてしまいました……あはは……」
「……」
「……先生?」
「……いや、ちょっと……申し訳ない、……」
興津はそれきり沈黙する。
その横顔にとてつもない怒りが滲んでいるのが感じられて、くるみは背筋が凍るような思いだった。
『……あの野郎、絶対許さないからな』
目の前に本人がいたら掴み掛かってしまいそうなほど、興津の腸は煮えくりかえっていた。
自分が相手に何を言われようが、どう当たられようが、そんなことは気に留めるほどでもないが、生徒を――とりわけ彼女を侮辱したことは許しがたい行為だった。
『身体的特徴を揶揄するとか、前々から思ってたけど、いよいよ教師うんぬん以前に、人間として最低だ。……本当に、なんであんな奴がこの学校で教鞭をとってるんだ……!』
他の教師からも不満の声は聞こえているのに、どうもその報告は理事会に届いてはいないか、もみ消されているようである。誰がそれを止めているのかはわからないが、つまるところ上役や理事会の中に、似たような思考の人間がいて、平然とこの学校で働いているのだ。
そんな者が教師を名乗っていると思うと、不愉快で仕方がない。
不意にジャケットの袖に何かが触れた感触があって、彼は我に返る。
「……大丈夫ですよ、先生。そんなに怒らないでください。わたし、こういうの慣れてますから」
宥めるような口調で、くるみは少し悲し気に笑う。
「……」
そう言って二の腕をするりと撫でた指先に、どう言葉を返したらいいか、興津は戸惑ってしまった。
「だめだめ、くるみちゃん。慣れてても許しちゃいけないラインだよ」
紘輝の声と同時に、くるみの手は興津の身体から離れた。
「許してはないですよ。今、どうやってあの先生を困らせてやるか、じっくり考えてます。どうせいい成績取れないんなら、開き直ってやりたい放題やってやりますよ」
「くるみちゃん、たくましい……でも、そうよね。逆に考えれば、何も怖いものなんてないんだわ。……わたしも真似していい?」
「祐華ちゃんもくるみちゃんも、停学にならない程度にねー」
「ほんとごめんな、三人とも」
「大丈夫ですから、お気になさらないでください、先輩」
部員たちは共通の敵を得たことで、妙に結束力が高まった様子だった。
『……落ち着け、今ここで怒ってもどうしようもない』
興津は頭を振って気持ちを切り替える。
『僕がしなければいけないことは何だ?冷静になれ、大地』
そう心の中で独り言ちてから一つ咳払いをして、彼は会話に加わった。
「……いや、二人とも授業はちゃんと真面目に受けなさい。わざわざ自分からデメリットになる行動を起こすのは得策ではないよ。いざというときに守ってやれなくなる」
「はーい」
くるみが肩を竦めて笑ったのを見て、興津は胸をなでおろした。
「それから、この件があるからと言って、吹奏楽部員と軋轢を生むような行動だけは控えてほしい。……時々、泣きながら練習している子を見かけるからね。彼らも全国大会目指して、厳しい指導に耐えながら、それでも音楽が好きで、必死にやってるんだよ」
興津の言葉に太陽がうつむいたのが、くるみの目の端に映る。
「吹奏楽も軽音楽も、同じ『音楽』なんだ。さっきも牧之原が言ってたように、優劣はない。変に張り合おうなんて考えないで、ちゃんと敬意をもって接するようにね」
はい、と全員が興津の言葉にまっすぐな返事をした。
そう言いつつも、彼はこの先の授業でくるみたちが被るであろう不利益を憂いた。
『僕に出来ることは、傷つけられた時に慰めるぐらいしかない。本当はあんな奴の授業になんて出て欲しくないけど……』
今から音楽教師にはなれなくとも、せめて自分がくるみの担任だったら、と彼は内心歯噛みする。
『向こうの方に実績があるのが、本当に厄介だ。才能があるからって、それで人を傷つけたり、ないがしろにしていい理由にはならないのに』
興津はどうにもならない事態に苛立ちを覚え、それを隠さずにため息をついた。
「さあ、これでこの話は終わりだ。……まだ時間はあるな。それじゃあ、何かやりたい曲があったら、前に出て一人ずつ披露しようか」
「あ、ていうか先生、久しぶりにみんなでレッチリかホルモンやりませんか?」
興津の不満気な表情を見て取ったのだろう、紘輝が声をかける。
「そうそう、まだ一年生は弾ける曲も少ないし、観ててもらいましょうよ」
隆玄がそう言って両腕を上げ、ひょろりと長い身体をさらに上へと伸ばした。
「……そうだな、今ちょっと、思い切り暴れたい気分だ。そうしよう」
彼らの提案に、興津は乗ることにした。
「何演ります?」
「よし、じゃあ今日はレッチリだ。『Around the World』でいいか?」
「了解です。そんじゃー、オフボーカルで」
「駄目だ、誰か歌え」
隆玄に笑ってそう返すと、興津はギグバッグを手にする。
「先生歌ってくださいよ、最初のシャウトだけ俺やりますから」
「あ!……あの、わたしも聴きたいです、先生の歌」
紘輝の発言の尻馬にくるみが慌てて乗った。
「わたし、そう言えば聴いたことないわ」
「わたしもです」
祐華とミチルも期待の眼差しで興津を見る。
「……じゃあ、たいしたものでもないけど、歌おうか」
その後、興津の歌声と激しい演奏に目いっぱい痺れたくるみが、自宅で歌詞の和訳を調べて赤面するのは、また別の話になる。
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