第9話

「ほんっと、何っなのあいつ!!!くっそむかつくんですけど!?」

「そうよね、失礼しちゃうわ!!」

「お二人とも、落ち着いてください、声が大きいです……」

派手に切れ散らかしながら部室へと向かうくるみと祐華を、おろおろとミチルが宥める。

「『軽い音楽だからさぞかし頭からっぽにして楽しめるんだろうね』とか、何あの言い方!?からっぽなのはお前の頭の中身の方でしょうが!!!!」

「そう!!それ!!その言い方すっごくむかついた!!!」

「しかも人の声聞いて笑うとか、まじありえないんですけど!?ないわー、まじないわー!!小学生男子でもいまどきもうちょっと手の込んだ嫌がらせするっつーの!!!」

「まあ……随分失礼な方ですね、その先生」

くるみの言葉を聞いて、ミチルもかちんときた様子だった。

「あんなのが吹奏楽の顧問なの!?おかしくない!!!?」

「おかしい!!ぜったいおかしい!!!」

「興津先生が仰ってましたね、『形は違えど根っこは一緒』って……わたし、その通りだと思います。音楽を愛する者として許せません……!」

くるみと祐華のボルテージに合わせて、ミチルもひたひたと怒りを現わし始める。

「ミチルちゃん、芸術の選択授業は?」

「音楽です。……わたしも覚悟しておかないといけませんね」

ミチルはそう言って前をきっと見据えた。

「ていうか、お兄ちゃんから聞いててわかってはいたし、みんながみんないい先生ばっかりじゃないとは思うけどさ、あんな爆弾みたいな人がいるとは思わないよ、普通……」

「ほんと、最悪よね」

「どうしてそんな方がこの学校の教職についてるんでしょうか、不思議です」

部室の前までついたとき、三人は同時に深いため息をつく。

「あとで先輩たちに話聞こう。なんであの先生が軽音楽部のこと、あんな言い方するのか、何か理由があるはずだもん」

「そうね」

「はい」

顔を見合わせて部室の鍵を開け、中に入る。

「とりあえず音出すまでは、換気でもしようか」

くるみは鍵を教卓の上に置くと、窓を開けた。

そこに、

「お、来てるねぇ、お疲れー」

ひょいと軽い動作で隆玄が入ってくる。

「「先輩!!」」

「おわ、なんだ!?」

同時に振り向いて彼に向かってきた三人に、隆玄はたじろいだ。


「……あー、それかぁ……」

隆玄は困ったように明後日の方向を見上げると、眼鏡のブリッジを抑えてため息をついた。

「俺の口から話していいこんかどうか、ちょっと判断しかねるんだよなぁ。先生が来てから相談してみるから、それまで待って欲しいっていうか……まー、とりあえず音楽の成績、期待できないって思ったほうがいいかもなぁ。俺、現在進行形でやられてるから」

「……まじですか」

「うん。……あの先生、すっげータチ悪いんだよなぁ。先生同士のことは知らんけどさぁ、生徒に好かれる人じゃないよ。俺もあいつ、大っ嫌い」

そう言うと隆玄は、いーっ、と歯をむき出して嫌悪感をあらわにする。

「多分三人とも芸術の授業の選択は音楽だろうなぁと思ったけど、入学前に教えられるもんでもないしねぇ。まー大丈夫、くるみちゃんと祐華ちゃんのクラスで、あの先生、好きになった子はひとりもいないと思うよ。さっきの話を聞く限りじゃ、いい大人が、しかも先生が生徒にやっていいこんじゃないからさ。……さーて、先生来る前に準備しちゃおっか」

「「はい」」

隆玄の言葉に従って、三人はがたがたと音を立てながら机を片付け始める。

「ごめん、祐華ちゃん……わたしがキレちゃったから、一緒に目付けられちゃったよね」

「謝るこんじゃないわ、多分、くるみちゃんがあそこで怒っても怒らなくっても、結果は変わんなかったと思うから」

くるみの言葉に、祐華はこともなげに笑った。

「ミチルちゃんも気を付けてね」

「そうだな、ミチルちゃんは逆にあいつに気に入られないように気を付けなよ。バイオリン弾けることは黙ってたほうがいいな。あいつ、何か知らんけど、管弦楽やってる女子にはやたら馴れ馴れしいんだ。多分そういう趣味の変態だから、下手したらセクハラされかねない」

「……はい」

明らかに怖気が走った表情で、隆玄のもたらした情報にミチルが答えた。


「お疲れー」

「お疲れさまー」

ややあって、紘輝と太陽がやってきた。

「「お疲れ様です」」

くるみとミチルは一旦手を止めて頭を下げる。

「いいよいいよ、そういう堅苦しいのナシ。運動部じゃないんだから気楽に行こう」

紘輝は笑って彼女たちを制し、自分たちも荷物を置いてステージづくりに加わる。

その時、隆玄が一瞬だけ、太陽の姿を見て顔を曇らせたのを、くるみは見た。


やがてステージが出来上がり、部員たちはそれぞれチューニングや指慣らしを始める。

ミチルはケースからバイオリンを取り出し、ヘッドにクリップチューナーを付けて、机の上で弦を弾いたり、本体についている何かを動かしている。

「……本物のバイオリン、近くで見るの初めてだなあ」

目を輝かせるくるみに、

「よかったら、弾いてみます?」

ミチルがバイオリンからチューナーを外し、弓と一緒に差し出してきた。

「え、いいの?」

「はい。ちょうど調弦も終わりましたし」

にこにこと笑うミチルから、くるみはおそるおそるバイオリンを受け取る。

「こう、顎と肩の間に、この部分を挟み込んでください」

「……うああ、難しいね、これ」

「大丈夫、いい感じです。そうしたら、ここにボウを当てて」

「うん」

「そのまま力を入れずに動かしてください」

「わかった」

くるみは弓を弦に当て、手前側に引いた。


「……なんか、死にかけのヤギの鳴き声にしか聞こえない……」

あんまりにもあんまりな音が出て、くるみは鳥肌が立った。

「いえいえ、最初はみなさん、こんな感じですよ。わたしもそうでしたから」

「……ありがと。満足しました。わたしには無理です」

「そんなことおっしゃらないでください、また弾きたくなったらお貸ししますので、ご遠慮なさらずにお声をかけてくださいね」

さっきと変わらず屈託のない笑顔を浮かべるミチルに、くるみはひたすら苦笑いを返すしかなかった。

「……なんか、慎先輩にギター貸したときみたいな空気だな」

紘輝がクリップチューナーを外しながら笑う。

「まあ、気持ちはわかりますよ。俺も慎先輩のベース借りましたけど、調子乗ってタッピングしたらバカ笑われましたっけ」

少し離れたところでチューニングを終えた太陽が、くすくすと笑いながらギターをスタンドに立てる。

「くるみちゃん、あとでドラムもやってみるー?バイオリンよりは簡単だよ、叩くだけだし」

「あはは、……遠慮しときます……」

楽しそうな隆玄に、くるみは顔の前で弓を持ったまま手を振ってみせた。

そのとき、

「みんなお疲れさま。……誰か学校にヤギ連れてきてないか?鳴き声がしたぞ」

半分笑いながら、ギグバッグを背負った興津が部室に入ってくる。

「「お疲れ様です」」

全員が彼にあいさつを返す。

彼は部屋の中を見回し、バイオリンを持ったままのくるみを見ると、

「飼い主は牧之原か」

そう言って可笑しそうに笑った。


ミチルの弾く『タイスの瞑想曲』の旋律が、部室の中に響き渡る。

『癒される……意識持ってかれそう……同じ楽器なのに、弾く人間でこうも違うとは……』

うっとりとその音色に浸りながら、くるみは隣の興津を見遣る。

『……なんか、感じ方が同じって、ちょっと……ううん、かなり嬉しい』

さきほどの酷いバイオリンの音を、彼が自分と同じ例えで笑ったことが、ほんのりと心の中で温かい。

『この間もミチルちゃんのピアノを聴いて、懐かしいって言ってたっけなあ……今、先生はこの曲を聴いて、何を思ってるんだろう』

少なくとも、この間のような悲しい雰囲気は感じられない。

くるみは心の中でほっと息をつく。

『もっといろんな曲を聴いて、話をしてみたいな』

その中に、二人が同じように感じることはいくつあるだろう。

彼女は目を閉じて、甘い夢を思い描いた。


ミチルのリサイタルの後、部員と興津はまた椅子を円座して部屋の中央に集まる。

「……それで、みんなセットリストは考えてきたかな?」

興津の質問に、一年生は全員肩をすくめた。その横で、

「はーい先生、俺らが演奏できるんだったら、ジャンルは何でもいいすか?」

隆玄がうきうきと手を上げる。

「……まあいいけど、文化祭じゃないからヘビメタとかハードロックは勘弁してくれ。一応外で演奏するものだし」

「あー、大丈夫っすよ、お子様でも問題ない曲なんで。日曜朝の変身ヒロインアニメっす」

「は?」

興津が彼らしくない間の抜けた返事をした。

「ちっこいときに妹が見てたやつなんすけど、この曲、編成がロックバンドなんすよ。いま再生しますね」

そう言ってポケットからスマートフォンを出すと、隆玄は音楽アプリを立ち上げて再生ボタンを押し、音量を最大にして、明るくファンシーな歌声と軽快なサウンドを聴かせた。

「……ほんとだ、ロック編成だ。ちっちゃい子向けのアニソンにも、こんなのあったんだ」

冒頭から聴こえたギターの華やかなアルペジオと、しっかり歪んだ音のリフに、既に弾きたくてたまらなそうな紘輝の顔が、ぱあ、と輝く。

「ボーカルにギターが二本に……ベースと、ドラムと、あとはシンセサイザーですね。うちの人数とちょうどぴったりだ」

太陽が楽器の数を聴きながらカウントしてうなずく。

「ね?シンセは無理かもだけど、キーボードで出せる音だけ拾えば、なかなかいい感じになりそうじゃないすか?」

隆玄は自慢気にふんぞり返った。

「すごーい……これ、わたしも見てたけど、さすがに気が付かなかったわ」

祐華が感慨深げにつぶやく。

「はー、懐かしいなあ……変身するときのおもちゃ、サンタさんからもらって持ってたよ」

メッキが剥げるまで遊んだ記憶が蘇り、くるみは懐かしさにため息をついた。

「くるみちゃんも!?わたしも持ってたー!」

「祐華ちゃんも?あれ可愛いよねえ、帰ったら探してみようかなあ、……」

顔を見合わせた二人の隣で、ミチルは黙って音楽に耳を傾けている。

「……ミチルちゃんは……やっぱ見てないか」

なんとなくそんな気がしてくるみが話題を振ると、ミチルは残念そうにうなずいた。

「はい、すみません。……でも、お友達がキーホルダーやおもちゃを持ってて、羨ましかったのは覚えてます」

「「せつない……」」

くるみと祐華は我が事のようにしおれた。


「なるほど、私はアニメに疎いからわからないけれど、君たちの共通認識ではあるのか」

全部聞き終えたところで、興津が口元に手をやった。

「はい。保育園くらいの頃に見てた子も多いと思うからウケますよ、多分」

「で、バンドスコアはあるのか」

「ないっす。コードだけは売ってました」

「だろうと思った。……藤枝、ギターパート、両方とも今週中に耳コピできるか?」

その問いに、紘輝は胸を張って答える。

「いけますよ。他はどうします?」

「そうだな……ドレミがわかって楽譜が書ける、って人は手を上げて」

興津の呼びかけに、隆玄とミチルが手を上げるのに合わせ、くるみもおずおずと手を上げた。

それを見回してから、興津も肩の高さまで左手を上げると、

「じゃあ、藤枝はギターで、伊東がドラム、菊川はシンセのとこをキーボードへ書き起こしてもらって、牧之原はコーラスの譜面を頼む。ベースは私がやろう」

「えっ」

「出来るだろう?」

「あ、……はい……が、がんばります……」

いたずらっ子のような目でこちらを見る興津に、くるみはうなずくことしかできなかった。


「よし、一曲目は決まった。あともう一曲、何かないかな?」

興津の問いかけに、

「いやあ、俺、ガールズバンドはあんま詳しくないもんでなあ……太陽、なんかあった?」

紘輝が肩をすくめて傍らの太陽を見ると、

「あ、はい。最近のじゃないですけど、出来そうな曲見つけました」

彼は待ってましたとばかりに、スマートフォンを取り出す。

「何かな?」

「『Hello!Orange Sunshine』です」

興津の問いに太陽が応えると、すぐさま彼は膝を打った。

「あー!あれか!」

「ガールズバンドって言われて、今聴いてるものの中だったら、やっぱこれかなあと思って。調べたらバンドスコアも販売してますから、書き起こす必要もないですし、ジュディマリならくるみちゃんの声質にも合うんじゃないかと思って」

そう言いつつ、太陽はスマートフォンを操作して、音楽アプリを立ち上げる。

「そうだな。とりあえず、みんなで聴こうか。島田、頼むよ」

はい、と興津に返事をして、太陽は再生ボタンを押した。


「このアタマのチューブラーベルのとこは、キーボードで似たような音に置き換えればいいと思います。音色の切り替えが難しいかもしれないけど……」

演奏を聴きながらの太陽の提案に、興津がうなずく。

「その辺は練習すれば何とかなるよな、ミチルちゃん」

「やってみます」

紘輝の言葉に、ミチルは頼もしげに答える。

「コーラスも多いし、賑やかでいいんじゃないっすかね」

「くるみちゃんは?この歌知ってる?」

「……ジュディマリなら、お母さんのiPodに何曲か入ってたはずだから、あるかも知れません。帰ったら探しますね」

くるみもうなずいて、スマートフォンのリマインダーに曲名をメモした。

「後半のギターソロ、どっちがやる?太陽、弾くか?」

「先輩どうぞ」

あっさり太陽に突き返されて、紘輝が焦る。

「なんだよ、お前の方がこういうの得意じゃん、楽譜読めるんだから間違えないだろ」

「いやいや、アレンジが得意な先輩に譲りますって。こういう時花を持たせるのが筋ですし」

「どっちでもいいから、後でジャンケンしなさい」

興津が笑いながら二人の押し付け合いを止めた。

「……この二曲、ボーカルに集中すれば歌えそうかな、牧之原」

「たぶん大丈夫です」

二曲なら歌詞を覚えることも難しくないだろう。くるみは答えながら、こくりとうなずいた。

「そうか、じゃあ頼んだよ」

そう言うと、興津はこちらを見て、目一杯に優しい期待を込めた目で微笑む。

『うああ、不意打ちしないで……!』

ぼっと頬が燃え上がったような気がして、彼女は慌ててうつむいた。


「よーし、それじゃあこれで決まりだな」

興津は手を叩いて、やや前にのめっていた身体を起こす。

「二曲目のバンドスコアは今夜中に私がダウンロードしよう。明日の放課後には渡せるように用意しておくよ」

「「よろしくお願いします」」

全員が頭を下げる。

「何か質問はあるかな?なければこれで今日の話し合いは終わりにして……」

興津がそう言いながら立ち上がろうとするのを、

「あー先生、ちょっと話変わるんすけど、一個いいすか」

隆玄が止める。

「うん?何だ?」

「いやー、今年の一年生、全員芸術の選択、音楽取っちゃったんすよ。んで、さっきくるみちゃんと祐華ちゃんが授業で、『あいつ』から先制攻撃受けたらしくて」

「……」

興津の顔が曇るのと同時に、太陽がわずかに身を竦めた。

「俺から説明してもよかったんですが、先生から話したほうが視点がフラットかなと思ったもんで。……どうします?」

「……いずれは言わなければいけない、とは思っていたけどな……」

歯切れの悪い興津の物言いに、場の空気が淀む。

「……島田、話してもいいか?」

「構わないですよ、先生。事実は事実ですから。むしろ、今知っておいてもらう方がいいと思います」

太陽が諦観の滲む笑顔を浮かべる。

「……じゃあ、ここからの話はオフレコで頼む」

一年生が並んで座る方を見て、興津は極めて真面目な顔をした。

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