第4話 更なる特訓

軍の訓練兵になってから一週間が過ぎた。

その間に徐々に体が慣れて、訓練も楽になるかと思っていたが、全くそんなことはない。


なぜかというと、訓練初日に魔力のオーラが視えるようにはなったが、身体強化は使いこなすことができなかったからだ。


このイシュタル世界には魔法が存在する。


リスラティア王国の軍人であれば、ほとんどの者が魔法によって身体を強化できるそうだ。

その中でも魔力を体外に放出できる者は稀であり、ファンタジー小説のように、魔法一発で街を崩壊させるような魔法はないらしい。


そして軍で兵隊を続ける最低条件は、まず身体強化ができること。

しかし、俺はまだ兵としての条件をクリアしていないわけで。


今日も今日とて、オルト伍長にしごかれているのだった。


「おらおらおら! 今日のノルマは腕立て伏せ千回だって言ってるだろ!」


「この前まで軟弱な暮らしをしてたんだから、そんな筋力も体力もあるか!」


「ほお、上官の命令に文句を言い返すとはいい度胸だ。レン、お前のノルマだけは腕立て五千回な! 意識を失っても俺が起こしてやるから安心しろ。クリアーするまで付き合ってやる」


「千回も無理な人間が、五千回なんてできるか! 頭の中で計算してから命令しろ! この脳筋め!」


軍では上官の命令は絶対であり、それを破った者は懲罰にかけられる。


訓練が始まった当初は俺もビビッて反抗することはなかったが、毎日のように厳しいシゴキに遭い、俺の心は壊れて、ブチ切れた。


その結果、腕立て伏せで体力を使い果たし、大地に仰向けになったまま、オルト伍長に向けて悪態を吐くことに。


それからしばらく訓練は続き、精魂尽き果てた俺は何度目かの意識を失った。


そして、地面の土臭い匂いではなく、なんだか甘い爽やかな香りに鼻をくすぐられ意識を覚醒させる。


すると、エリナ少尉の顔が近くにあり、どうやら俺は彼女の膝に頭を置いているらしい。


「すみません……倒れてしまって」


「それはいいのよ。レンのことはオルト伍長から報告を受けているわ。身体強化もできないのに、よく厳しい訓練に耐えて頑張ってるって。彼も褒めていたわよ」


そんな誉め言葉で騙されないぞ。


だって、あの脳筋野郎がSっ気を発揮して、倒れている俺を叩き起こすから訓練が続くのであって、俺としては早く意識を失って、この場から逃げたいんだよ。


心の内で悪態をついて不貞腐れた表情をする俺を見て、エリナ少尉はクスクスと笑う。


エリナ少尉は誰もが認める美少女だと思うけど、今日の彼女は一段と美しく、まるで天使のような輝きを放っていた。


一週間もむさ苦しい男と一対一での厳しいシゴキで、俺の心は水分を失った荒地のように乾いてひび割れていたのだろう。


思わず目から汗が流れ出てきた。

それを見られないように腕で隠し、俺は素早く立ち上がる。


「もう大丈夫です。ありがとうございます。それで今日は俺に会いに?」


「もちろんそうよ。オルト伍長から、アナタに特別に指導してあげてほしいとお願いされたの」


彼女の言葉で、近くにオルト伍長がいないことに気づき、俺は周囲を見回す。

すると訓練場の東側で、伍長は別の訓練兵を指導していた。

そして俺と目が合うと大きく頷いて、拳を突き出し、ニヤリと笑って親指を立てる。


鬱陶しい男よりも美少女に教えてもらう方が意欲が出るに決まってるよな。

これは、なんだかんだと文句を言いつつ、辛い扱きを耐えてきた俺に対してのご褒美だろうか。


オルト伍長のことを誤解していたよ。

良い男じゃないか!


俺が感動していると、エリナ少尉はスタスタと歩いて少し距離を取り、手に持っていた木剣を構える。


「これから私が剣を打ち込むから、必死でその剣筋を見切って躱すこと。訓練場の中ならどこに逃げても構わないわ。ただし逃げおおせることができればだけどね」


あれ? 俺の予想に反して、訓練がもっとハードモードになっていませんか?

ヤバイ! ヤバイ! ヤバイ!


一瞬で体中から冷や汗が流れてきた。


真っ直ぐに向けられる眼差しから、彼女の本気が伝わってくる。


「変に防御しないほうがいいわよ。身体強化のできないアナタなら、私の攻撃を受けたら致命傷になりかねないから」


「そんな命懸けの特訓をしなくても……」


「この方法が身体強化を習得するには一番早い方法なの。私もオルト伍長も、同じ方法で覚醒したわ。だから『できる』と自分のことを信じてね。決して『できない』って思ってはダメよ。その時点で怪我するから」


いやいやいやいや……ちょっと待ってくれ!


つい先日まで戦闘や戦争などと無縁な国で暮らしていた、俺は平凡な一般庶民なんだよ!

今はオーラは視えるようになったけど、体内の魔力も使えるベテランの兵士でもないのに、エリナ少尉の攻撃なんて受けたら大怪我するに決まっているじゃないか!


「もう少し穏便な方法でお願いしたいんですけど……」


「いきます!」


言葉を発したと同時に跳躍し、エリナ少尉が木剣の先を俺に向ける。


その瞬間に、俺の脳内に赤ランプが点滅し、慌ててその場から逃げると、彼女の振り抜いた木剣が、地面に突き刺さった。


ダメだ、こんな攻撃をまともに受けたら、大怪我どころか致命傷だ。

そう判断した俺は、一目散に彼女から逃げることにした。


必死に逃げる俺の背めがけてエリナ少尉が剣を振り上げる。

後ろを振り向きながら、その一撃を体を捻って避けると、彼女は嬉しそうに笑んだ。


「そう、その調子で躱すのよ! 心の悲鳴が引き金となって、体内の魔力が爆発するのを感じてね!」


「死の危険があるのに、そんな悠長なことを感じられるか!」


「だから死の恐怖に慣れてって言ってるでしょ。強力な魔獣との戦いなんて、体中が悲鳴をあげるぐらいに凄いんだから」


「そんな経験、一生したくねーよ!」


必死に大声で言い返すが、彼女は笑顔で木剣を振り下ろしてくる。

逃げても逃げても追いつかれ、俺は生命の危機を生まれて初めて感じることになった。


ヤバイ! ヤバイ! ヤバイ! 逃げろ! 逃げろ! 逃げろ!


エリナ少尉って戦闘に入ると、バトルジャンキーに性格が変るタイプじゃないか。


オルト伍長め、それを知っていて彼女に指導を頼んだな!

少しでも良い奴と思って損したぞ!


「ちくしょーーーーーーーーーーー!」


悔しさ、腹立たしさ、情けなさ、様々な感情が心の奥から湧き上がり、俺の中で何かがブチ切れた。


その瞬間に俺の心の中で何かが弾け、五感に一気に変化する。

集中しなくても彼女の体の周囲から薄いオーラの膜が視える。


今なら身体強化を使えるかも!


俺は体に意識を集中させ、魔力が体内を循環し、筋肉が強化されるイメージをして、一気に加速を試みた。


すると普段の三倍ほどの速さで周囲の景色が流れ始める。

これでやっとエリナ少尉の魔の手から逃れられると思って後ろを振り返ると、彼女は嬉々とした笑顔を浮かべ、猛烈な勢いで追いかけてきた。


そうと知って、俺は手足を全力に動かし、必死に逃げる。


「もう! 身体強化はできましたってーーー!」


「待てー!」


後ろに死神がいるのに速度を落すなんてできるはずがない。

俺は目から涙、鼻から汁を流しながら、訓練場を突っ切り、宿舎を目指して必死に走るのだった。

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