第36話 月に向かって吠えろ

「だ、だいじょうぶかな、彼女」

「あ、へいきへいき。どうせすぐ、けろりと起きるから」


 リオンがグラスに焼酎の水割りを作って竜斗に差し出してくる。口に運ぶとかなり強かった。リオンの大きな瞳は熱っぽく潤んでいる。竜斗は足の裏がムズムズし出した。当然の股間のあたりも。


「お話もいいけど、リュウトさんもどんどん食べて。いい鶏肉さんを分けてもらったんだよ。どうぞどうぞ、取り分け取り分け」


「おお、やっぱこんくらいの季節だと鍋って感じだよな。俺も誰かと食卓囲んで鍋つつくのは久しぶりだ」


「リュウトさん、ポン酢、使って。私が手作りした」

「おお、あんがとな。はふはふ……旨いぞ」

「あは、喜んでもらえてうれしいよう」

「にしても、リュウトさんの髪は長いわ。しゃらしゃらや」


 いつの間にか復活したキョウカが竜斗の背中に抱きつき髪を撫でていた。竜斗は20年もの間髪を切らなかったので、異常なまでに伸びていた。リオンもキョウカに負けじと腰のあたりに抱きつき、竜斗の髪に顔をくっつけている。


「うふふ。ながーい」

「こっちも?」


「こら、キョウカ! めっ。リュウトさん、放っておいてください。このふたり、そのうち寝ちゃいますから。本当のところあんまし、お酒は飲めないんです」

「ふにゃあ」


 キョウカはこてんと横になるとすうすうと音を立てて目を閉じた。ベッドにもたれかかったことで、大きな胸が重力に負けて左右にぐでっとする。


 ――漫画みてぇな乳だな。


 リオンも酒がいい感じで回ってきたのか、隣で舟を漕いでいる。竜斗の肩に頭を乗せて目を閉じている姿はなんともかわいらしかった。


「あ、リオンも寝ちゃった。今日はもうおやすみかな?」

「……そんなことはない。リュウトさん、お願いがある」


 真剣な目をしてリオンが言った。

「なんだ?」


「私と勝負を。もし、私が勝ったら、その、えええ、映画を一緒に見に行ってほしい」


 グラスをぐいと突き出している。酒の勝負ということだろうか。竜斗はネクタイをゆるめると言った。


「んなことしなくてもいいよ。無理に呑んだら楽しい酒じゃなくなっちまう。映画でもなんでもつき合うさ。目下失業中の身の上だからな」

「本当に!? あ、でも国に申請すれば男性がお金に困ることなんて、ないと思う」


「そうみたいだけどさ。俺はペットじゃねえんだ。金は欲しいけど乞食じゃない。なにかできることで、貢献したいんだ。けど、ずっとダンジョンに潜ってばっかだったからなあ。俺にできる仕事があるかなあ」


「――それでもリュウトさん。もし困ったら、なんでもわたしたちに相談してください。わたしも、キョウカもリオンもリュウトさんの味方ですから」


「なんなら私が養うまである」

「あはは、リオンたら。リュウトさんには会ったばっかりでしょ。そこまで言うのは、ちょっと過剰じゃないかな」


「過剰ではない。リュウトさんと私が出会ったのは星のお導き。つまり運命共同体。だって、だって、男の人にこんなに優しくされたのは生まれて初めてだもん」

「もんって。あ、リオンも寝ちゃった」

「すやすや」

「すやすやぴ」


「いや、かなり飲んでるし、食ってるからな。ハルカもホストをさせちまって悪かったな。ロクに喋れなかっただろ?」


「でしたら、リュウトさん。お詫びに1杯だけつき合ってもらえません?」






「公園ね。確かにここなら静かだ」

「では、改めまして。かんぱいっ」

「おう」


「実は今日、リュウトさんに会えたらいろいろ話したいことがあったんですけどね」

「はは、あのふたりにかき回されちまったな」


「どう、思いました。ふたりともいつもはもうちょっと落ち着いてるんですけど、リュウトさんを見たら舞い上がっちゃったみたいです」


「はは。ハルカたちみたいなカワイイ子にそんなこと言われる日がくるとはな。昔の俺からしたら、考えられないぜ」


「ホントですか? リュウトさんてカッコイイからどこでもモテモテじゃなかったんですか?」


「ンなことねーよ。ハルカもキョウカもリオンもメチャクチャ美人だし。中学の時や高校の時にも、ここまでの美人はいなかった。ま、ウチのねーちゃんはかなりモテてたみたいだったけどな」

「それならリュウトさんだって!」


「俺はおふくろじゃなくておやじに似たんだよ。ほら、姉ちゃんに比べればしょっぱい顔だろ」


「そんなことありませんよ。キリっとしてて眼も綺麗で、わ、わたしは、好きな顔です」


「あはは、冗談でもアリガトな。でも、昔にゃ高校にも中学にも俺よりモテるツラしたやつは一杯いたんだ。けど、終わりのころにゃ、戦争やら探索でほとんど死んじまった。将監や頼明はしぶといから生き残ったけど、もう俺のクラスのやつはほとんど死んじまっただろうな」


「大変な時代だったんですね。いまからじゃ考えられません」

「なにしろ、モンスターが多すぎたんだ。放っておけばわらわらとあっちこっちから湧いて来るし、地上じゃ軍隊がドンパチやって、俺たちは死に慣れ過ぎた。交通事故よりも頻繁に、ニュースにゃ死者数が毎日何百人と流れるうちに、朝飯食いながら、今日は東京の死亡者が3桁かあ、なんて話してたくらいだ」


「厳しいですね」


「俺が中坊くらいの時に、初めて大神殿で加護を受けた。ジョブはなんと魔術師だ。そりゃおかしくなっちまうよな。ゲームや漫画ばっかり読んで育った世代なんだ。俺の魔術で世界を救ってやるって! そりゃあもうスゲエ鼻息でさ。世間の大人たちも、ガキどもを煽る煽る。世間のことなんかよくわからない、意気のいいガキどもが勝手に地下に潜ってバケモンたちを殺してくれてんだ、けど、ガキどもの親たちは辛かっただろうな。政府も世論も、スキル持ちのガキを英雄だなんだと持ち上げてさ。軍の疲弊も凄まじかった。若い男は、18でドンドン兵隊にとられて地上戦でバンバン死んでった。俺はそれが普通だったけど、平和な昭和や平成を生きてきたおじさんおばさんにゃ受け入れられなかったんだろうな。なあ、ホントにいまって男が少ないのな」


「はい。それは間違いありません。わたしも、同年代――じゃないけど、若い男性とこうやって親しくなったのは初めてです。たぶん、普通に暮らしていたらほとんどの若い世代は男性を見ずに一生を終えるんじゃないでしょうか? 映像では見たことあるんですけど、こうしって接するのは、もしかしてわたしの人生にとっても最初で最後になるかもしれません」


「おお」

「リュウトさん、そっちに行ってもいいですか」

「ああ、いいぜ」

「あったかい」

「……だな」


「男のヒトって、こんなにあったかいんですね。太陽みたい。こうして触れているだけで、わたしの胸ドキドキしてます。わかります?」

「お、おお。ハルカはおっぱい大きいんだな」


「リュウトさん。そんなふうに言われちゃうと、わたし期待しちゃいますよ?」

「うおっ、マジか。昔じゃこんなこと女に言ったら速攻フラれるどころか、訴えられてたかもな」


「くす。その人たちはリュウトさんの良さなんてまったくわかってなかったんですよ。わたしは、リュウトさんに毎日感謝してますよ? それだけじゃないですけど」

「なあ、なんか話があったんじゃないか」


「ああ、そだそだ。わたし、探索者としてはE級なんですよ。これって、実は可もなく不可もなくってところなんです。実際は、E級で得られる月の給料はコンビニで一か月週休二日で働いたのと大差ないんですが、わたし、今月中にD級を目指します。だから、もし、今月中にわたしがD級に昇格できたら――わたしたちとパーティーを組んでくれませんか?」

「いいよ」


「あ、あ? 簡単?」

「いや、どうかな。じゃあ、ちょっとだけ考えさせてくれるか。正直、この先どうやって生活していくかもあんま考えてねえんだ。あ、それとは別に、来週くらい、今日のメンバーで映画でも見に行こうぜ。これは約束な」


「はい」

「じゃあ、指切りしよっか」


「うふ。リュウトさんてかわいいんですね。ますます好きになっちゃいました!」

「――は。困った子猫ちゃんだぜ」


「あ、それと、ちょっとだけ向こうを向いててくれませんか」

「なんだ? のどかな夜の公園に殺人ピエロでも出たか?」

「ちゅ」


 ハルカがそっと竜斗の頬に口づけた。


「う」

「うおおおおおっ!」

「きゃ」


 竜斗は月に向かって吠えた。


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