第29話 お引越し(※美女も)
「はあ、とりあえず竜斗。急で悪いんだけど、諸事情によりいまから屋移りしてもらうわよ。おんなしホテルじゃ、そろそろ情報的にヤバいかもしれないしね。とりあえず、マンションと部屋を用意したから、そこならセキュリティがっちがちだから、まあ、大丈夫よ。わたしと旦那はこれから仕事があるからつきそえないけど、後のことは月見里さん、よろしくね」
それだけ言い残すと、竜斗とサヤカはホテルに回された黒塗りのベンツに放り込まれて急遽、引っ越すことになった。
「お、おお。ここが今日から俺の城になるんか……?」
竜斗は、某高級地区のタワーマンションに案内されると、部屋から見渡すことのできる東京の輝く夜景を目にして感慨に耽っていた。
「リュウトさま。とりあえず、必要なものはすべてそろっているので、足りないものがあればお申しつけください。業者に連絡して、速やかに用意させますので」
「お、おお?」
そこには軍服からシックなパンツスーツに着替えたサヤカがソファに飲み物を運んでいた。
「ぬほっ!」
「どうかいたしました?」
「いえ、なんでもござらんよ」
――眼福眼福ゥ!
サヤカの着用しているスーツのシングルボタンは開けられているので、たわわな胸元がこぼれそうになっているのを見て竜斗はたわいなく目尻を下げていた。
サヤカの腰に黒革のホルスターが吊ってあるのを目にして竜斗はわずかに興奮の度合いを下げた。
車中で道々に竜斗はサヤカから男性護衛官の意義と重要性をとっくりと聞かされた。
この世界で男性が特殊訓練を受けた専任の護衛官をつける意味合いは、まず、単純にひとりで行動することが危険であるからだ。
確かに、竜斗はダンジョン内ではほぼ単独で魔王にトドメを差すほどの魔術とスキルの持ち主であるが、それはあくまでダンジョン内でしか有効でない限定的なものだ。
竜斗たち探索者が、突如として世界に現れたモンスターから身を守るために大賢者シリウスから与えられた精霊の加護の力はダンジョンの中でしか効果を発揮できない。つまり、地上にいる時の竜斗の戦闘力は超人的なものであるが、襲撃者が強力な銃器を持っていたら抗することなどまったくできないのだ。
魔力を伴わない竜斗の身体能力は確かにずば抜けているが、それはいずれも人間の範疇に入るもので、火器を突きつけられればあっさりと敗れ去る程度のものだった。それを補うのが、特別に拳銃やそれに類する刃物の携帯を国家に認められた男性護衛官だけである。
――わーってるよ。英雄だって地上に出れば、ただの人ってね。
「いろいろ雑用に使って悪いね。月見里さん」
「いえ、リュウトさま。このようなことはすべてわたしにお命じください。それと」
「なんだ?」
「あの、わたしのことはサヤカと呼んでください。そのように月見里などと他人行儀に呼ばれると、居心地がよくありません」
凛とした容貌のサヤカはどこか自信なさげな視線を送ってくる。リュウトはなにげなく手の中で弄んでいたグラスをガラステーブルの上に置くと、「んん」と軽く唸ってからこめかみをぐりぐり指先で揉む。
「まあ、他人行儀って言やあ、そうかもだが。月見里さんのことを俺はまだ良く知らねえんだ。まだ寝るには時間がはえぇ。ちょいとお話すんべ」
「え……! あ、はい」
サヤカは緊張した面持ちでアイスペールとトングを持ったまま竜斗の前に立ち所在なげにしていた。無意識なのか手に持ったトングをカチカチと鳴らしている。初対面の時に感じた堅さはそこになく、むしろこれがサヤカの素に近いのだなと竜斗は思う。
無論、童貞である竜斗とて女の扱いに長けているわけではないが、それでも学生時代は人並みに女生徒と交友があったのでサヤカよりかはマシだろう。
「まあ、とりあえずかけて。な?」
「はい」
「月見里さん」
「……」
「アンタ、思ったよりずっと感情が表に出るタイプだな」
「そう、でしょうか」
「なんか嫌なものかがされた時の犬みたいだぜ。こんな風に」
竜斗が歌舞伎役者が見栄を張る時のようなおおげさなしかめっ面をして見せると、それがツボに入ったのかサヤカは初めてわずかにくすりと微笑んだ。
「それだ」
「え?」
「アンタは笑ってたほうがかわいいよ。そっちのほうがずっといい」
途端に、サヤカが耳たぶまで真っ赤にしてうつむいた。それを見た竜斗は呆然とするしかない。わざとジゴロっぽい胡散臭さを前に出した臭いセリフを顰蹙覚悟で言ってみたのだが、サヤカの反応が初心すぎた。
「――その、わたしは実家とは折り合いが悪く、できれば名前で呼んでほしいのです」
「んん」
「この名前は、亡くなった父がつけてくれた唯一のわたしの宝物ですから」
「そっか。じゃあ、遠慮なくサヤカって呼ばせてもらうぜ」
「ご随意にお呼びください」
「なんか固いな」
竜斗がふにゃっと笑うとサヤカも笑みを浮かべぬまでも、なんとなく和らいだような表情になる。
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