第28話 私のご主人さま

 そういう道がある。サヤカは厳しさだけではなく、どこか実の姉妹のように接してくれる上官に肉親以上の信頼を抱いていた。彼女が望むのであれば、どんな道でも歩み抜いてみせよう。それから、化粧のイロハから礼儀作法、最新のファッションや最低限恥をかかない常識などを叩き込まれた。


 とはいえ、実はサヤカはこれを楽しんでいた。自分を、もし、誰かが必要としてくれるのならば、必ず、誠心誠意仕えて役に立ってみせよう。どのような凶刃を前にしても怯まず、身を捨てて、自分を望む人に仕えよう、と。


 だが、サヤカの思いは、19歳で初めて担当した少年に打ち砕かれた。男性警護官が任務に就く確率は道を歩いていて落下した隕石にぶち当たるほど確率は低いと言われている。


 事実、サヤカが選ばれた時は同期からも相当に強いやっかみや嫌がらせを受けた。けれども、サヤカは誇らしい気分と自分を透明人間扱いしてきた実家に一矢報いれるのではと、喜びに満ちあふれていた。


 配属された警護官は担当の男性と生活を共にする。勇んで、自ら積極的にアプローチしたサヤカであったが、甘い蜜月は三日ともたなかった。


「デカい胸が気持ち悪い」

 ショックであった。サヤカは密かに自分の容姿とプロポーションには自信があったのだが、愛らしい顔をした自らが担当する少年から嫌悪に満ちあふれた言葉で面罵され自信を喪失して、己を呪った。


 この少年の美意識はそれほど歪んだものではない。男性の数が減り、結果として女性優位の社会においては旧来の美女の典型――すなわち、胸が大きく腰が細く尻が大きな、いわゆるグラマラスボディよりも、抱きしめれば砕けそうな、いわゆる未成熟な胸も尻も儚いお人形のような少女体型が好まれるようになっていた。


 実生活では、男性は常に女性から社会的にも経済的にも政治的にも軍事的にも押さえつけられていた。


 事実として政財界はいまだ老爺と呼べる男性が牛耳っているにもかかわらずだ。


(わたしは、存在自体が気持ち悪いの……?)


 三日後に担当を外されたサヤカは寮に戻ると熱いシャワーを浴びながら、自分の人並み以上に大きい乳房を両手で鷲づかみにしながら泣いた。ぎゅうぎゅうと五指を食いこませても、張り出した乳房が小さくなるわけでもない。


 一方、体型の好みから叩き出されたと理由を知った、同職の仲間たちはサヤカに優しかった。ミューテーションとしか言いようのない肉体変化を遂げた乙女たちのほとんどは、サヤカと変わりのないグラマラスな体型であり、出戻りの彼女を否定することは天に唾するのと同じなのだ。


「おめでとう、月見里少尉。あなたは再び男性の護衛担当官として選ばれました」


 3年後、再びサヤカは上官より警護官として猛烈な倍率を勝ち抜き、選ばれたと知った時は、喜びよりも恐怖がはるかに優っていた。


「呆けた顔をしている暇はないわよ、月見里少尉。これは、国家機密に相当するプロジェクトよ」


 手渡されたデータに暗号を入力して解凍する。プロテクトは二重三重にかかっており、閲覧も、3人の担当官の元、機密室で行われた。


 まず月見里は担当する男性のデータに目を通してその端正な面を奇妙に歪ませた。男性の名は、坂崎竜斗。軍に入隊した兵士たちが、まず最初の座学で脳髄にその名を叩き込まれる、魔王を討伐した、地上におけるもっとも崇高な英雄の名前だった。


「担当殿。この、データは?」

「まずは、すべてに目を通して。質問は最後にまとめて聞きます」


 そこにはサヤカが知っている英雄坂崎竜斗の基本データと寸分違わぬ、むしろ現在生存している実姉である旧姓坂崎、現弦間一姫として与党で活躍する代議士の協力がなければ知ることのできない詳細な情報が詰め込まれていた。


 基本的なストーリーは割愛されていたが、そこには坂崎竜斗が仲間である救世主パーティーを救うために自己犠牲のもと、魔王の住む深層階に身を投じた後、昨日、ダンジョンより奇跡の生還を遂げたことが記されていた。


 マウスを動かすサヤカの右手が汗でじっとりと濡れた。稀代の魔術師にして勇者と呼ばれるレジェンド坂崎竜斗はサヤカの心の支えであり、初恋の王子であった。


 事実、魔王を斃して世界を滅亡から防いだ坂崎竜斗は、各種新興宗教団体からは神格化され、その強さと魅力は勝手に肥大していった。


 毎年、坂崎竜斗がダンジョンに消えたとされる命日には、日本各地でイベントが行われ、毎年、数十人から数百の殉死者が出ているほど、その人気は圧倒的だった。添付された画像に映るポートレートの少年は、腰まで届きそうな長髪であったがメディアや教本に乗っていた不鮮明な英雄そのものであるといっていいほど、生命力に満ちあふれた表情を切り取っていた。


(ああ、リュウトさまはこのようなお姿をしていらしたのですね)


「落ち着いてよく聞きなさい。政府と親族である弦間議員の強い要望で、数千いる警護官から月見里少尉、あなたが選ばれました。この意味をよく考えて任務に就きなさい。まったく、あなたは自分が不運であると思っているようですが、そんなことはまるでありません。私たちから言わせてもらえれば、日本で一番幸運な星の元に生まれたラッキーガールですよ」


「そんな……」

 担当官たちの言葉にモニタから顔を上げる。彼女たちは、悔しそうに羨望の眼差しをサヤカに送っていた。


(わたしが、リュウトさまの担当官、つまりは寝食を共にするお世話係に? となれば、嘘、でも可能性として――わたしがリュウトさまのお手つきになることも、ありえるっていうの?)


 サヤカが護衛官として配属されるのは2度目である。当然ながら、病院で処女検査を第一に、綿密な身体検査は行われ、軍と政府が太鼓判を捺したのだ。


 準備は慌しく行われ、サヤカは身ひとつで指定された帝室ホテルまでハイヤーで送られた。その際、少なくとも体調のコンディションを整えるために、5時間の睡眠時間を取る特別室まで与えられたが、サヤカは横になって、一睡もできなかった。超特急で採寸を行われ、まずまずといった身体にぴったりした軍服を用意され、急いで着込んだ。髪、肌、爪、体毛などのチェックも専門のプロを呼び寄せ、念入りに行われた。これはある意味、サヤカが神に捧げられる供物であることが証明されていた。


(神、カミサマ。いいえ、サヤカ。リュウトさまはこの地上で神以上の権威と貴き存在。それを忘れてはいけない)


「坂崎竜斗だ」

 サヤカの神は笑っていた。嘲るでもなく、蔑むでもなく、自然な笑みだった。実年齢は38歳と聞いていたが、直近のポートレートと同じく、自分とそう変わらない20前後の、いまだ少年の面影を残す姿だった。


 竜斗の笑顔は見ているこちらまで和らぐような太陽を思わせるあたたかな日差しのようだった。いけない。神がわたし如きに微笑んでくださっている。なんというもったいなさなのか。なにかを喋っているが、サヤカの頭にはまったく入って来なかった。


 手を伸ばした。拒否されたらどうしよう。しかし、すぐさまサッと、右手を差し伸べられた。サヤカはそれだけで胸の動悸が高まるのを押さえられなかった。両手で神の手を押し抱くようにして取った。大きい。それだけではなく、分厚く、指の一本一本が太かった。ゴロゴロとまん丸く、皮が厚い。自分の白手袋ごしにもわかるほど、掌には幾つもの古傷の凹みが走っていた。それは、坂崎竜斗が本物であることを雄弁に語っていた。


 サヤカは感動で泣きそうだった。感情を律する訓練を受けていなければ、情けなくその場で涙を流していただろう。


 この、力強い右手がわたしたち人類を魔王の手から救ったのだと思うと、貴くて、その場に両膝を突き、彼の手に頬ずりをしてしまいそうになる。ああ、わたしは神に等しい、いやそれ以上の存在と対面している!


「とりあえず頼むぜ、えっと月見里さん」


 もう、わたしはこの人に一生仕えるもん! とサヤカは強く心に刻み、そのためならばどのようなことにでも手を染めるぞと、天に誓った。


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