第26話 男性護衛官

 一姫から竜斗の経緯を聞いたハルカはすべてを噛み砕いて理解した後、はじめて用意された紅茶をグッと飲み干した。


「てなわけで、竜斗は20年間ダンジョンでさ迷っていたところを先日救出されたの」


「しっかし、いまだに信じられないよな。竜斗のやつ、20年前とまるで変ってねえ」


 将監がスコッチの入ったグラスを揺らしながら呟く。

「それには、とりあえずの説明がつくわ。これは最近わかったことなんだけど、ダンジョン内では時間が止まっているの」


「へ?」

「そりゃ初耳だな」

 コクコクと頼明も目をまん丸くして首を縦に振っている。


「最新の研究の結果だと、ある末期ガンの患者は、あと数カ月程度、つまりは余命幾ばくもない状況であっても、ダンジョン内では1年以上病が進行しなかったという結果が出ているわ。やり残したことを終えた患者本人の希望で、外に出した途端、ガンが悪化してその方はほとんど日を置かずして天に召されたの。これらを勘案して、幾つかの実験の結果、ダンジョンはある程度の下層から確実に時間の流れが地上とは違っている」


「本当、らしいな」

「ある程度の下層で生活することはまず不可能でしょうね。衣食住の問題もあるけど、いつ湧くかもしれない強力なモンスターのねぐらで長期間過ごすことができる探索者は、超一流であっても不可能なの。その点、竜斗は規格外。身をもって、迷宮研究家たちの理論を裏付けたことは驚嘆に値するわ」


「えへへ」

「そして、魔王まで確実に倒しているなんて。竜斗、姉としてわたしはあなたを誇りに思うわ」


「なんでぇ、やけに持ち上げるじゃねえか。くすぐってぇな」

 竜斗は日ごろあまり人を褒めない姉の賛辞に照れ臭くなり、ガキのように鼻の下を人差し指でこすった。


「す」

「す?」

 竜斗がハルカに対して反射的に聞き返した。


「すごいです! リュウトさんが、あの魔王を討伐した勇者だなんて! そんなすごい方が一姫さんの弟さんで、わたしもピンチのところを助けられるなんて……! これって、もう偶然じゃなくて、運命?」


 瞳の中に流星群を瞬かせながらハルカは顔の横で自分の両手を握り合わせて、より一層の熱の籠った視線を竜斗に送って来た。


「な、なあ。この子ってこんなに強烈なキャラだったのか?」

「いや、ま、思い込みが激しいのは知ってたけど。せいぜいアンタはハルカのイメージを崩さないようにふるまうことね」


「できっかな」

「ねえ、ハルカ。竜斗が20年前に魔王を討伐したことは間違いない事実で、世間一般で言う勇者であることは確かだけど、しばらくはこのこと伏せておこうと思うの」


「なんでですか? いま、すぐリュウトさんの功績を世に知らしめて、その偉大さを世界中に喧伝しなければ――」


「ん。記者会見はその内正式に行う予定よ。でも、それまでのわずかな間だけでも竜斗に静かにゆっくりと平和な時間を過ごさせてあげたいの」

「姉ちゃん……」


「もう、わたしも含めてほとんどの人が20年前のことなんて、忘れかけて世界の平穏を享受しているけど、ずっとダンジョンで戦い続けた竜斗にはそんなことを楽しんだ青春は存在しなかった。あなたが助けられた時の動画配信も、政府の力で消去したけど、すぐに竜斗がダンジョンから戻ってきたことは口の端に上るわ。だって、もうかなりの人間が竜斗の存在を目にしているから、いくら箝口令を敷いたとしても人の口にとは立てられないわ。早晩、わかってしまう。その前に、ひと月、いえ一週間だけでも竜斗をなるべく自由にさせてあげたいの。あなたは協力してくれるわよね?」


「はい、もちろんです。わたしもリュウトさんに過ぎ去った青春を取り戻してあげたいです!」

「いや、まだ青春真っ盛りなんだが……」

「黙れよ、おれと同じ38歳」

「うるっさいわ、将監」


「け。なあ、ハルカちゃん。竜斗はおれと同年のオッサンだぞ。20歳も年上だぜ。ワリィことは言わねえから、コイツに構うのやめときな」

「よけないこと言うなァ!」


「なんでですか? わたし、年齢の差なんて気にしませんよ。それに、リュウトさんは大人の男性って感じで、すごく包容力を感じますよ!」

「だめだ、こりゃ」


 将監は平手で自分の顔を隠すと舌を出した。どこの誰がどう見ても、ハルカは竜斗に対して熱を上げている。もっとも、童貞であり鈍感の塊である竜斗はハルカの強烈な好意をいまいち実感できていない様子だった。


「協力します、リュウトさん。そのためなら、わたし、なんでもしますから」

「へ?」

「あのね、ハルカ。一応姉であるわたしがいることも忘れないでほしいな」






 政府の仕事が残っている将監と頼明は黒塗りのリンカーンに乗り込むと颯爽とホテルを去っていった。


「近いうちにぜったい。ぜったいのぜったいですよ!」

「お、おう。必ず顔出しに行くわ」


 竜斗はほぼ強制的にハルカとラインと電話番号を交換した。一姫はふたりの行動をどこか複雑な面持ちで眺めていたが、なにかを言うことはなかった。


「あんだよ、姉ちゃん。言いたいことがあんなら言やいいじゃんか」

「あれね。なんか、実の弟と自分が育てた娘が交際を始めるような、なんとも複雑な――」


「ばばば、バカじゃねぇの? た、ただハルカちゃんとは連絡先交換しただけじゃねえか!?」


「とはいえ、我が弟ながら反応が中学生並。これじゃあ、本当にアンタ、死ぬまで童貞を守る羽目に」

「どどど、童貞ちゃうわ!」


 竜斗はソファに置いた水差しからコップに水を注ぐとひと息で飲み干した。

「で、姉ちゃん。みんなを返しておいてわざわざ残るって、まだなんか俺に話があるってことだよな」


「うん。とりあえず竜斗に紹介したい人がいてね。通して」

 一姫の言葉に秘書のユリナが扉を開き、ひとりの女性を招いた。竜斗は口をあんぐりと開いて、思わず立ち上がった。


 それほどに、彼女の容姿は竜斗がいままで出会った女性よりも隔絶した気品と艶が凄まじかった。


「彼女は月見里サヤカ。今日から竜斗の専属になる護衛官だ」


「ただいま、弦間議員よりご紹介にあずかりました、国防軍特殊偵探課所属の月見里でございます。本日より、リュウトさまのおそばに侍り、専属の男性護衛官としてあなたさまの身の安全を全身全霊をもってお守りいたす所存でございます」


 黒を基調とした軍服を纏ったサヤカは肩口まで伸ばした黒髪が美しく、特に深い湖を思わせる碧の瞳からは強い輝きを放っていた。一見して、純日本人ではないとわかる目鼻立ちは、おそらく欧米人とのハーフであろう。雪のように白く、透けそうな肌は、近づかなくとも匂い立つような香気を放っており、竜斗はたちくらみしそうになった。


 背は高い。177ある竜斗よりわずかに低いという程度で、170以下ということはないだろう。女性にしては身長は高いほうだ。竜斗はなにかを言おうとしたが、サヤカの強い眼に動揺して、思わず視線を逸らしてしまう。


(ま、マズい。スッゲェ美人だあ! なんじゃああ、こりゃああっ? 確変か? 俺の運命に確変が訪れたんか? フヒヒ)


 竜斗はあまりの美人が相手に気後れしたのであるが、目を逸らした瞬間、気丈そうなサヤカは傷ついたような目をした。それを見逃す一姫ではなく、竜斗の情けない行動を見て、はぁとため息を吐いた。


「竜斗、あいさつ」

「あ、ああ。おう。あいさつね、あいさつ。わかってんよ! こ、こんにちは」

「ばか。いま、夜よ。こいつは、本当にもう」


「坂崎竜斗だ! 年齢はたぶん38歳だそうだ。趣味はダンジョンでモンスターをぶっ殺すこと。好きな柴犬は黒柴! ……とまあ、そんな感じだ。よろしくな」


 一姫が横を向いて噴き出した。ユリナもちょっと苦笑している。

「不束者でございますが、よろしくお願いします」


 それは竜斗の勘違いであったのかもしれないが、深くかぶった制帽の下から覗く瞳の怯えがわずかに和らいだように思えた。日本人である竜斗に握手をする習慣はなかったが、わずかにサヤカの右手がぴくりと動いたのを見逃さなかった。


(ふーん、ハーフさんだからお国柄ってやつなのか?)


「とりあえず頼むぜ、えっと月見里さん」


 竜斗が右手を差し伸べると、今度はサヤカの表情に顕著な反応が見られた。驚いているのだ。竜斗はもしや俺ってばキモいからシェイクハンド拒否られるか? と考える暇もなく、サヤカは両手で竜斗の右手を包むようにした。


「えへへ、握手握手。手ェやわらかいね」

「竜斗、気持ち悪い」


 胸の前で手を組んでいた一姫が呆れたように言った。

「ううっ」

「いえ、そんな……」


「ほらっ! 気持ち悪くないって言ってるじゃん! いいんだよ、これは仲良しのしるしなんだから。ところで、姉ちゃん。男性護衛官ってのはなんぞ?」


「ああ、そこから説明しなければならないのね……」


 一姫は形の良い自分の唇に人差し指を置くと、ゆっくり話し始めた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る