第20話 久々のシャバ

 ハルカがリンカの実子かどうかはわからない。そうだとすれば竜斗には二重の意味で強烈なショックだろうし、将監も一姫もそのことだけは親友の頼明以外には話していなかった。いまとなっては過去の話だし、そもそも将監も竜斗が生きているとは到底思っていなかった。


 実際、坂崎竜斗の捜索は事実上15年前で打ち切られており、将監と一姫の間で、命日とされた、最後の別れの日以外に、彼のことが話されることはなかった。


 しかし、世間は違った。魔王討伐に多大な功績のあった救世主パーティーの中でも、命を懸けて最後まで奮闘した事実上の勇者として竜斗は人々から尊崇を集め、現在では政界の有力野党である民聖党の強力な支持母体となっていた。この勇者リュウトを讃える教えの会、通称勇者教は全国でも500万を超える信者を擁しており、将監や一姫が属する民聖党にとって重要な票田となっていた。


(だが、今回はそんな浮世のドぎたねぇ利権とは別に、竜斗の友人としてここに来たつもりだったのな)


 いまから20年前、将監と竜斗は同年齢でありもっとも仲の良かった親友同士だった。


 リンカに関して嘘をついたのも、将監の愛する妻である一姫は一度助かった竜斗が真実を知れば、再び、すべてをかなぐり捨ててダンジョンに向かい、もう二度と戻ることはないという恐怖をせめて和らげたい一心から出たことだった。


「時間が必要だよな」

 将監の目から見ても竜斗とリンカは愛し合っていた。もし、リンカがこの場にいれば、すべてを放り投げても会いに来ていただろう。


(おれに、なにができるだろうか?)

 そんなことを思っていると、室内から竜斗のひときわ高い絶叫が上がった。将監はもしや思い余って変な気を起こしたのでないのかと、背筋に冷たいものを感じ、扉のキーロックを解錠するのももどかしく、部屋に駆け込んだ。






「おい、将監。このテレビ変だぞ。えっちなチャンネルが見られねえんだ!」

「あのな」


 竜斗は将監が疲れたような顔でガックリうなだれのを目にし、激しく動揺した。


「おい、もしかして、アレか! 金か! 追加料金が必要なのか?」

「そうじゃなくてだな。とりあえず、竜斗。そこに座ろうか」


「お、おお。そういや、将監。おまえ、エロDVDに関しては右に出る者がいないくらいに詳しかったからな! 裏技を教えてくれよ」


「まず、最初にだ。おれはとっくに結婚してるし、そういうのに一喜一憂する歳じゃねぇんだ。違う! その顔をヤメロ。距離を取るな。両手で自分の身体を抱きしめるな。おれはそっちに興味はない。いいか? 気づいていたかどうかわからんが、この世界の男の数は少ない。いわゆる女のほうがはるかに数が多いんだ」


「ホワイ?」

「具体的に言うと、だ。世界の男女比は相当偏ってる。だから、ま、そういったアダルト的な動画はかなり前にほとんど世界から根絶されちまった。理由は幾つもあるが、まあ廃れたんだ。納得できないか? まあ、いい。とりあえず、ああ、クソ。時間が来ちまった。竜斗。残念だが、急な呼び出しだ。積もる話は、また夕食の時にでもしよう。頼明も九州からおっつけ来るから、その時にまたゆっくりとな」


「なんだ、おまえ忙しいのか? なんの仕事やってるんだ」

「ま、言うなれば世間の雑用係かな」

「コンビニのバイトか?」


「な、わきゃねーだろが。一姫といっしょで代議士だよ」

「ははっ」


「おまえ、ぜんぜん信じてないだろ」

「そんなことはないぞ」

「ったく、変わらねーな。おまえはよ」


「その年でバイトとは、ツレーよな。ガキもいんのに」

「だから違うっての!」






 将監は去り際に「部屋でゆっくりしろ」と言いつつ、去っていった。竜斗はニヤと笑みを浮かべると、静かに身体のストレッチを行う。


「将監の野郎。なにがホテルから出るな、だ。こっちは久々のシャバだっつーの。外の空気を吸わずにいられんよ」


 竜斗は理解できなかったが、将監は必要なものは取り寄せるからとにかく今日一日は部屋から出ないでくれと念押ししていった。となれば、反骨心の塊である竜斗が素直に言いつけに従うはずがない。


「さて、どーするかね」

 将監は、いまの世界は女性に比べてはるかに男性の数が少ないと言ってた。確かに、言われてみれば、ダンジョンに捜索に来た探索者も協会の人間にも男性がひとりも見当たらなかったが、そういう日もあるだろうくらいにしか竜斗は考えなかった。


「とにかくシャバに出て、なんか食いてえ。思いっきり脂ぎったヤツ」


 ――竜斗はジャンクフードに飢えていた。昨晩出されたホテルの豪華なディナーは美味かったが、所詮はよそ行きだ。


 竜斗は20年前、暇さえあれば探索の隙間を縫ってなけなしの小遣いで貪るようにジャンクフードを食っていた。


「あら懐かしや、とくらぁ」

 闇の中で恋焦がれたラーメンやハンバーガーなどを自由の身になったいまこそ、腹がはちきれるほど食ってみたかった。


 もっとも、朝食で竜斗は優に10人前をぺろりと平らげていたが、すでに胃の中で消化しつつあった。食ったものは即座に全身に行き渡りエネルギーに変える。過酷な環境に負けぬよう、竜斗の身体は野生の獣を凌駕するタフネスさとエネルギー効率に優れたものへと変化していた。


「ほんじゃあ、脱出だ」

 部屋の入り口には一姫が置いていった見張りが十人以上いることは確認済みだ。


 その誰もが、竜斗からすれば二十代の若いお姉さんである。竜斗たちが大賢者シリウスから与えられた加護である魔術やスキルはダンジョンの外で使うことはできない。


 もっとも、特別な術が使えなくとも高さ数百メートルの絶壁におけるクライミングを要求されるダンジョンで戦い続けた竜斗にとっては、高層階のビルの窓から降りることなど造作もなかった。ベランダに出る。眼下には朝の喧騒に包まれた街があった。


「余裕」

 目も眩む垂直の壁に竜斗は鼻歌まじりで取りついた。ビル風が時折頬を撫でる。チンパンジーを軽く凌駕する腕力と異常なまでの指先のピンチ力でするするとホテルの裏側に降り立つと、街の汚れ切った空気を肺一杯に収めた。







「ううん。都会って感じだな」

 違和感は強烈だった。意識的に気にしないようにしていたのだろうか。実際はそうもいかない。街ゆく人が皆、女、女、女ばかりだ。


 竜斗が馴染みのあるブラック猫マークが目印の宅配便も、工事をしている職人も、交通誘導と配管工もすべてが女性しかいないのだ。


 ――うう、気のせいか視線が。


 不自然なことはほかにもあった。とにかく、若い女しか見当たらないのだ。しかも、竜斗のゆる基準ではなくとも、皆が一様にアイドル級かモデル級としか思えないほどの美人ばかりだ。


 ――なんだァ? 俺が知らん内に地球は美女星人に侵略されてしまったのか?


 とにかく、竜斗が覚えている限り日本の女性の人種が丸ごとごっそり入れ替わってしまったような強烈な違和感が残った。普通は一定数でブスがいる。それこそ、性別すら判別できぬほど劣化したオバさんオジさんも。キモいやつも、カッコイイやつもいるのが世界なのだが、どこを向いても美女しかいない。竜斗は頭がクラクラしそうになる。


 ――なんか気まずい。とにかく、とりあえず一時退避せねば。


 竜斗は目についた駅前のパチンコ屋へと逃げ込むように入店した。が、目の前にズラリと広がる台に座る無数のギャルたちから一斉に視線を浴びると、瞬間その場で凍りつき、その場できびすを返すと逃げ出した。


 竜斗はわからなかったが、瞬間的に強い雄臭を嗅ぎ取った店内のヒトメスたちがほぼ全員そろって立ち上がり黄色い声を上げていたのはいうまでもない。


「と、とにかくラーメン食べよう」

 竜斗はラーメンに望みを託した。



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