第19話 優しくない嘘

「で」

「で、とは?」


 弦間将監は竜斗の言葉に応えずジッと窓ガラスの向こうに広がる東京の景色を眺めている。


「じゃあ、ハッキリ言おうか。リンカ、のことだよ。アイツはどうしてる」

「頼明については聞かないんだな」


 将監はかつての仲間で重戦士だった佐竹頼明の名前を出した。が、竜斗のいまもっとも知りたいのはリンカの消息である。竜斗はソファから立ち上がると、いまだ背を向けている将監に言った。


「アイツはくたばるはずねーから。おまえと同じくな」

「随分だな」

「頼む。リンカのことを教えてくれ」


 将監が振り返る。表情は変わらず考えは微塵も読めなかった。寺の生まれで禅僧を父に持つ将監はここぞという時のポーカーフェイスでは右に出る者はない。それでも、竜斗が真っすぐ射抜くように目を見ると、幾分視線を下げた。


「いなくなった」

「は?」

「どっか行った」

「ほえ……」


「すまん。感動の再会を期待していたんだろうが。竜斗よ。リンカは18年前に失踪して行方不明だ」

「な、なじぇえ?」

「たぶん、男だ」


 竜斗は目の前に電雷が奔ったようにチカチカと激しい光が瞬いた。ほぼ同時に、強烈な立ちくらみを覚えて、膝からガクリと絨毯に崩れ落ちる。そのまま顔面からダイブする瞬間に、両肩を将監に抱き止められた。


「しょ、しょんなのって……あり?」

「責めてやるな。それでも2年もリンカは待ったんだ。おれたちも、敢えては探そうとしなかった。そのあたりは、なんだ。察してくれ」


 竜斗は呆けたような表情であちこちに視線をさ迷わせた。思い出の中にあったリンカの笑顔が、乳色の霧に包まれて見えなくなってゆく。竜斗は将監の両手を払いのけると立ち上がった。背中を向けたまま、右拳を握り激しく全身を痙攣させる。


「竜斗……」

「新しい女さがしにいこっと」

「おいっ!」

「冗談だよ」


 竜斗は将監に向き直って無理に笑ってみせた。激しい悔恨と脱力に襲われたが、致し方なかった。時間だけは巻き戻すことができない。20年という歳月が重くのしかかってくる。それほどに、空白の期間は致命的なのだ。


「あぁ。さすがにコイツは堪えたな」

「おい、竜斗」

「悪い。ちょっとだけひとりにしてくれるか。頭の中を整理したいんだ」

「ああ、当然だ」


 将監が深い哀しみを面に張り付けて部屋の外に出て行った。扉が閉まると同時に、竜斗は両手で顔を覆うと、静かに肩を震わせ出した。身体が震え出す。喉元から獣が唸るような声が自然と漏れ出た。涙が出るかと思ったが、覆った両掌には一滴の涙も落ちなかった。


 わかっている。誰が悪いとかではないのだ。20年も放っておけば、そうなるよな。だとしても割り切れない。落ち着け落ち着けと、もうひとりの自分が胸の中で呪文のように呟いている。


「糞が」

 同時に、もはや2度と手に入らなくなったリンカの整った容貌や、形の良い大きな胸、キュッとしまった腰、小ぶりなかわいらしい尻、張りのある太腿が脳裏に次々と浮かんでは消えた。糞、あの身体を俺以外の誰かが好き放題にしたのだ、と思うとギリギリと噛み締められた歯が鳴った。


 情けないが、情愛よりも性欲のほうが優った。自分以外の男がリンカの背後からあの肢体を好き放題に蹂躙したと思うと、脳の回線が焼き切れるほどに火が奔る。嫉妬という業火だ。竜斗はソファに座り直すと深く深呼吸した。大きく吸って吐き出す。それを二度ほど繰り返した。


 ――この悲しみをどう癒せばいい。

 竜斗はガリガリと蓬髪を掻き毟ると壁面にある備え付けの最新モデルである有機ELテレビに視線を送った。






「しくじったな」

 弦間将監はホテルの廊下に出ると自分のうなじに手をやりながら苦虫を噛み潰したような顔をした。


 ほとんど反射的に胸ポケットに手をやってダンヒルのライターを取り出してから右目をわずかに歪めた。


 現在の一流ホテルで喫煙所がある場所は少ない。数少ない男性に配慮してこの帝王ホテルにも喫煙室は設けられているが、そのためには場所を移動しなくてはならない。


 だが、いま現在強烈なショックを受けている友人の竜斗を放っておいてこの場を離れるなど生真面目と義理堅さが服を着てい歩いていると言われる将監にはできないことだった。


(テメェから買って出た役割だがキツイなこれは)


 将監が竜斗に言ったことには真実と虚言が混じっている。リンカが失踪したのは本当であるが、それは男を作って竜斗から去ったわけではない。


 真実は、竜斗を追ってダンジョンに消えたのだ。

 将監たちの前からリンカは二度姿を消している。

 一度目は、竜斗の未帰還が確定してすぐと、二度目は彼女が生まれたばかりの赤子を連れて将監たちに預けた時だ。


 竜斗は将監にとって親友だ。


「ああ、大切さ。あたりまえだろう」


 傷つけたり、嘘を吐くなどしたくなどない。

 それでも将監はリンカが生きて男と逃げたと言った。

 リンカが生きて、地上のどこかにいると信じれば、さすがに無鉄砲な竜斗も無駄に勘ぐって、ダンジョンに潜ってまで捜すとは言わないだろうと踏んだからだ。

 なのになぜだ、と言われれば理由はひとつしかない。

 

 ―-竜斗が再びいなくなれば一姫が悲しむ。


 リンカが自分を追ってダンジョンに消えたと言えば、今度こそ竜斗は捜し出すまで二度と地上には戻って来ない。そのくらいに馬鹿正直だ。


 選んで嘘を言うと決めた。一姫は竜斗が魔王と最後の決着をつけるために、深淵の奥底に消えて以来、真実の意味で深い傷を負っていた。将監の求婚に一姫が応じたのは、たったひとりの弟である竜斗を失ったからであった。


 でなければ、将監は一姫という妻を得ることはできなかっただろう。嘘をついて、竜斗を謀っても将監は一姫という唯一無二の存在を悲しませたくなかったのだ。


 18年前―-。

 リンカの失踪直前の話だ。

 彼女、突如として将監たちの前に現れると、まだ新生児であるハルカという名の女児を将監と一姫に預けて未踏であるダンジョンの最深部に向かっていった。


 まだ、結婚して間もなかった将監と一姫に子はなく、このハルカは戸籍法第57条により棄児として届けられて当時の市長と同性である霜村を貰い受けられることとなった。

 

 以後、この真実の意味で正体不明な女児は霜村ハルカと名乗るようになった。


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