第17話 それを死亡フラグという

「たらふくだ」

 5リットルほどオレンジジュースを飲み干した竜斗はベッドに横になった。


「ふかふかだ。うふ」

 考えればダンジョン内で竜斗は20年の間、柔らかな寝具で横になったことがない。常にあったのは、ゴツゴツした岩と冷たい土。気を抜けばモンスターにいつやられるかわからない、極度の緊張感の中過ごしてきた。天上の雲の上にたゆたうとはこういった気持なのだろうか。


「そういや、ヤーらかかったなあ」

 風呂から出てすぐに、フラついたユリナを反射的に抱き抱えた。ダンジョンで出会ったハルカという子もやわらかかったが、ユリナは甘いような独特の匂いもプラスされていた。


 自分とはまったく違う。女という別種の生き物。果たしていつの日か、自分は彼女たちとお近づきになれる日が来るのだろうか。


「どうだろうか」

 頭が柔らかい。背中が、肩が、腕が、脚が柔らかい。柔らかすぎて気持ちが悪い。意識すればするほど違和感は増大する。ベッドは最高級品のものだろう。シーツも新品でシワひとつなく文句などつけようもない。


「寝らんね」

 ゴロリとベッドから落ちて床に転がった。敷き詰められてある絨毯は毛足が深く、とんでもないもこもこ加減だが、それでもしっかりとした硬さが感じられて竜斗は激しい安堵感を覚えた。


 次第に意識が遠のいてゆく。敵に襲われることなく、寒さや飢えを恐れず生きることをどれほど望んでいただろうか。いつしか竜斗は深い眠りに落ち、20年ぶりの夢を見た。懐かしく、甘い夢を。







「アンタ、バカじゃないの」

「お、ちょ、ま、誰がおバカさんだって?」

「アンタ」

「そっかあ。俺はバカだったのか」

「納得するんじゃない!」


 魔王討伐直前のダンジョン最深部で竜斗はパーティーの仲間であるリンカに激しく罵られていた。地上に現れたダンジョンの底の底。全世界を強襲して数千万の死者を出した元凶にいる魔王を斃せば、戦いにも終止符が打たれる。この偉業を成し遂げるべく選ばれた通称救世主パーティーのメンバーは10代が中心の若き少年少女だった。


 以下に列挙すると――。

 異端の魔術を使う坂崎竜斗が18歳。

 攻撃の要である剣士の弦間将監が18歳。

 敵の攻撃を一手に防ぐ盾役戦士の佐竹頼明が18歳。

 攻撃と補助の魔術を自由に扱うオールラウンダーの坂崎一姫が24歳。


 そして、異世界の大賢者シリウスの孫娘であるリンカ・星岡・マルムスティンは治癒とサポート魔術に長けた16歳。


 運命を託された5人の中でも戦いの最中に没したリンカは人類の希望を背負って使命に邁進し、初めは誰とも馴染むことはなかった。しかし、竜斗独特の不作法とも呼べる距離感の読めなさが、リンカの持っていた壁をたやすくぶち壊した。結果として、彼女はパーティーの皆に心を開き、次第に打ち解け最終的には固いきずなで結ばれた真の仲間に成長していった。


「じゃあ、天才だな」

「違うわ!」


 はず――。


「なにをカリカリしてんだよ。ンなに難しく考えるなって。魔王のやつはすでに半死にだぜ? あとは、この俺がそこにまで行って確認して来るだけって言ってるのに。こんなもんパッと行ってパッと終わるから心配ないってよ」


「そういうところが考えなしだっていうのよ! アホ、能無し、すけべ、変態覗き魔、下着ドロ、唐変木、すかぽんたんっ!」


「ちょ、誰が変態紳士だよ!」

「誰が紳士だ! アンタはただの変態性欲の塊じゃないのっ!」

「お、おまっ、最後の最後でそれはないだろーが。リンカよう」


「最後とか言うな!」

「おまえ、泣いて――」


「ばか、ばかばかばか! ばかリュウト! もし魔王がピンピンしてたらどうすんのよっ! わたしたち全員でどうにかギリギリ追い詰められた相手なのにっ。なんで、なんでアンタひとりでそんな危険な橋を渡らなくちゃいけないのよっ! だめ、だめだったらだめぇ! ぜーったいに行かせないんだから!」


「あのな、聞きわけてくれよ」

「トドメならショウゲンにやらせればいいじゃないっ! いつもどおりにっ! アイツなら死んでもあと腐れないからっ」


「おい」

「あのな。姉ちゃんが泣くぞ……」

「でも、アイツわたしの干してた下着ジロジロ見てた」

「よし、将監に行かせよう」


「アンタね」

「お、おいっ。それは誤解だ!」


「と、まあ冗談はさておいて。姉ちゃんの傷が深いんだ。ここじゃあロクに手当てもできねえし、頼明なんか穴だらけだぜ? 俺たちをかばってよ。第一、こんなかで一番傷が軽いのは後方で術をぶっ放してた俺なんだよ。魔王をどうにかできるチャンスはいましかないんだ。わかるだろ?」


「けど」

「リンカ。いつか、言ってただろ。いつでも頑張ってる俺のことが好きだって」

「リュウト」


「必ず戻るよ。信じてほしい。それとも俺への信頼は見せかけだったのか?」

「見せかけなんかじゃないっ!」


 深淵の穴に落ちた魔王がまだ生きていることを竜斗は察していた。リンカだけではなく、ほかの仲間たちも必死に竜斗を引き留めた。


 だが、決意の固い竜斗を止められるものはいない。竜斗の肉親である一姫はリンカ以上に穴の底へゆくことを拒絶した。永久のわかれとなることだろうがわかり切っていたからだ。


 真っ赤に輝く禍々しい深淵に立つリンカの長い髪が微風にあおられて横になびく。出立するときはシミひとつなかった彼女の聖衣が返り血で真っ黒に汚れている。


 それでも美しいと感じた。

 竜斗は自分より頭ひとつ小さいリンカをそっと抱き寄せた。小柄な彼女は竜斗に抱きつくと、想像していた以上に強い力で絡みついて放そうとしなかった。


「お願い、早く帰ってきて。じゃないとわたし、いつまでも待てないよ?」

「それは嫌だな」


 軽口で応じた。リンカの金色の瞳から涙がこぼれ落ちた。竜斗は、この時、絶対に生きて地上に戻ると決心した。


 どれだけの年月が経とうと、ふたりの関係が変わろうとも、生きてさえいれば、もう一度会えるのだから、と。



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