第12話 第一種接近遭遇
「マナの残滓が凄い」
ダンジョン内で一定であるはずの気温が凄まじいほどに冷え切っている。ロリアは盾を構えながら、ぶるりと小さく肩を震わせた。
真っ白な蒸気が空間に満ち満ちている。独特の暗さもあってか、視界は利かない。ライトの魔術を使って明かりを保持しているというのに、どういうことだろうか。
「お気をつけてください、隊長」
副官である
ロリアは以前ストレートに「あのね、ぎょろぎょろするの止めたほうがいいよ」と伝えたがイチカに「え、なんのことですか?」と返され押し黙ってしまった。弱い自分が嫌いだ。
「嘘、――雪?」
イチカの声。ロリアは呆然と闇の虚空から舞い散る細かな雪片を手のひらに納め、それから不意に正面を見て呆然とした。
巨大な氷の塊があった。綺麗に晴れた白い霧の向こうに、巌のような氷の山が突如として現れたのだ。
「え?」
巨大な氷塊がパラパラと崩れてゆく。わずかな時間であったが、ロリアはその物体が巨大な魔獣であると見て取った。
その30メートルほど前方。立っていた。人だ。視界の端にうつ伏せになっている少女の姿。捜索願が出ていた霜村ハルカに違いない。だが、主であるハルカのことなどすっ飛ばすようなものがロリアの目に映った。
男だ。
魔力を叩き込んで視力を強化していたロリアであったが、その人物を目にした瞬間、知らず、能力が高まっていた。
上半身は裸である。だが、確実に女性と違う。
それは無駄なく引き締まった筋肉の塊であった。
(初めて、見た)
若い。画像や動画では毎日目にしていたが、ロリアは生きて動いている自分と同年代の男を目にするのは、これが生まれて初めてだった。精子バンクによって母から産み出されたロリアは父親を知らない最初期の世代である。
中学生の時、特別授業で生きて動く男性を目にした時も止まらなかった胸の動悸が、あの時以上のインパクトを持って打ち鳴らしている。
10代か、それとも20代の前半。
特別授業で講演してくれた男性は若いと言っても40代前半であったが、目の前の男は肌の張りや顔かたちが根本的に別物と思われるほど瑞々しかった。瞳は大きく強い力を放っている。
左の頬に稲光の如く走るジグザグの傷跡は彼の魅力を損なうどころか精悍さを増している。眉は、刷毛で描いたように太く、力強い。鼻筋はやや高く、どことなく鷲を思わせた。
「男ッ!?」
「えええっ、嘘ォ!」
「若っ、え、若っ? 若いじゃん! どゆこと?」
「神サマが、神サマがわたしの願いをかなえてくれたんだァ!」
「きいいいっ! きええええっ!」
部下たちが一斉に黄色い声を上げる。両手を組み合わせながらその場でくるくる踊る者。いきなり防具を取っ払って上着を脱ぎ出す者。一部は興奮のあまり獣のような絶叫を上げてぴょんぴょん跳躍を繰り返すなど一流の探索者にしては目に余る行為だ。
「お、落ち着きなさい。モンスターの幻影攻撃かもしれない!」
「るせえええっ!」
「わたしのダーリンっ!」
「させんぞおおっ。独り占め!」
「男さまを我らにも分け与えよ!」
ロリアが窘めるが女たちは大声を張り上げて唸っている。
ほとんど獣だった。
無論、男日照りはロリアとて変わらない。
幸せな結婚(※ただし精子バンク)を夢見て、日々一攫千金の為に命を張る猛者たちが、生の男さまを目にして冷静でいられるはずがない。
だがよく考えてみろ。このような危険極まりないダンジョンの中に男さまがいるというのはおかしくないだろうか、いやおかしい。
「ね、ねえ、アレは男の人だと思う? それともモンスター?」
「は、はわわ」
「ダメだこりゃ」
ロリアは副官のイチカに訊ねるが、彼女は両眼をカメレオンのようにぐるぐる回しながら絶賛混乱中だった。致し方ない。ここは隊長である自らコンタクトを取るしかないだろう、うふふごめんね。おっとこりゃあ大変だ。
「止まって、それから武器を捨てなさい」
毅然とした態度で言った。ロリアは杖を突きつけながら目の前の男とわずか3メートルを隔てて立っていた。
男はポカンとした表情でロリアを見ると手のひらでぐしぐしと目のあたりをこすっている。
かわいい。
なぜか子供のような仕草に激しい母性本能を掻き立てられたロリアは突きつけた杖を取り落としそうになった。
「はあい」
男は従順に手に持った剣を放り投げると友好的な笑みを浮かべている。笑った。笑いかけてくれた。このわたしに。ほかの誰でもないこのわたしに男さまがコミュニケーションを取ってくれている。それだけで、ご飯3杯はいけそうである。うし、ココロのメモリーに刻まないと。
「あなたは人間? それとも擬態したモンスター?」
「ん? なんの話だ。とりあえず生まれた時から男だぞ。なあ、こっちは武装解除したんだ。その物騒なもんを突きつけるのはやめてくれねーか」
(会話した。声、低っ。うううう、緊張するうううっ)
「ちょ、ちょっと待ちなさい。わたしは、協会のAランク探索者で姫島ロリアといいます。まず、あなたの探索者IDと名前を教えてくださいっ。すべてはそれからです!」
「俺は坂崎だ。IDってのはわからん」
「お名前は、なにとぞフルネームでお願いしますっ。これが一番重要なんですっ」
「上手いっ。IDで身元は照会できるのに、わざわざ自分の口から名前を言うことで自然に、坂崎さまとの距離を詰めることに成功していますっ」
「イチカ、いいところだから邪魔しないで」
「ああ、悪いな。俺の名は坂崎竜斗だ。これでいいか? IDうんぬんはマジでわからねえ」
「リュウト、坂崎リュウトさんですか」
(は、はじめて男性の名前を聞いてしまった。これはもう、ふたりは運命的に結ばれるしかないのではっ)
一瞬だけ、ロリアの脳裏の片隅になにかが掠めたが、いまはそれどころではなかった。
重要なのは、今世で男性、しかも若くてほぼ自分と同年代とコンタクトを取れてしまったということだ。ロリアはこれを神の恩寵だと信じ疑わない。
「ぎりぎりぎり」
「めらめらめら」
「ずるい、隊長ばっかり」
「うちらもリュウトさまをおしゃぶり、もといおしゃべりしたいよう」
――無論、後方に控えた20余のレディたちから来る嫉妬のオーラは無視だ。
「IDを忘れてしまった? と、そんなことあるのでしょうか。とにかく、いま、協会のHPで調べてみますね」
ロリアは杖をイチカに渡すと自分のスマホで竜斗の名を調べ出した。だが、検索からは当然ながら竜斗の名前はヒットしない。
「ほほう、いまじゃ携帯でいろいろ調べられるのか。便利になったもんだな」
「んきゃっ」
不意に竜斗がロリアに顔を寄せて来た。見てるっ。リュウトさまが、わたしのことをマジマジと見ている。
(ああー、なんでこの状況で来るかなァ。わかってれば、昨日美容院行って、エステも、あ、それにネイルも新色に変えてたのにィ!)
「ん、けふ、けふん。リュウトさまとお呼びしてもよろしいでしょうか?」
「ああ? いいよ、そんな畏まらんでも。リュウトでいいよ、リュウトで」
「あふんっ。い、いえ、それではリュウトさん。知ってのとおり、ダンジョンは国の管轄で協会に属していない人間が勝手に踏み込むと、刑法に触れるということはご存じでしょうか」
「でええっ。そうなの? ごめん、知らなかった」
「許す」
「え?」
(しまった。反射的に適当なことを……)
それからロリアは思った。いま、この瞬間まで自分たちの足元で寝そべっている要救助者であった霜村ハルカに関して、まったく竜斗に訊ねていないということを。
「すみません。わたしとしたことが、こ、こほん、いまのは忘れてください」
「はあ」
「とりあえず、そこにいるの我々探索者協会が捜している霜村ハルカで間違いないですよね。よろしければ、これまでの事情を教えてくださると助かるのですが」
「事情か」
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