第11話 A級探索者姫島ロリアの憂鬱
「E級探索者の霜村ハルカの身柄は無事確保。目だった負傷はないとのこと」
「良かった」
弦間一姫は秘書の月影ユリナからの報告を聞いて深く安堵した。ぎし、と後部座席に背を預け深く息を吐き出した。
「スピード落として。それから救助班に礼を。機密費から充分に出して。ケルベロスの討伐には、いくらA級の探索者だとしても、被害は少なくなかったでしょうから」
「いえ、それが」
ユリナが口ごもった。
彼女らしからぬ曖昧な言い方だ。
「あの子に、なにかあったの?」
「というわけではありませんが。ケルベロスは、救助隊が到着する前に、すでに倒されていたとのことです」
「倒されていた? そんなこと、通常ありえない。だったら、偶然居合わせたほかの探索者パーティーがケルベロスを斃したってこと?」
「違います。協会が彼女を助けたときに、男性の探索者が同行していたそうです」
「それこそありえないことよ。そもそも、協会の探索者許可名簿に登録しているのは、ウチのと頼明しかいなかったはず。しかも、ふたりとも実質名前だけで探索者としては活動していないのよ」
可能性として、ケルベロス級のモンスターを男性の探索者がソロで斃すことができる人物は。それができるのは20年前に魔王を討伐した救世主パーティーに所属し、いまもなお生存している一姫の夫の弦間将監と佐竹頼明のふたり以外に存在しない。
そもそもが、男性が探索者になる可能性がゼロに近いのだ。魔王は救世主パーティーによって20年前に討伐された。それで世界に平和が訪れたと言われると、そこまで世の中甘くなかった。
魔王は死の直前、副産物として呪いを残したのだ。それは、強烈な伝染病として全世界にパンデミックを引き起こした。成年男性にのみに発症する死を伴う強烈な病。これにより世界における20歳以上の男性は極端に数を減らして、一時期は人類滅亡の危機とまで呼ばれ、モンスターの侵攻による死者数よりも、こちらのほうが圧倒的に多かった。
無論、日本も例外ではなく1億2千万を超える人口は1年経たずに7千万ほどに減った。これはおおよそ第二次世界大戦後の人口数と同じであるが、男性の数の少なさはえぐかった。現在、日本における男性の数は7万人を若干割っている。
男女の人口比率は1:1000。
圧倒的な男の数の足りなさがすべてを物語っている。日本における人類繫栄保護省のレッドリスト筆頭に上がるのは、あらゆる動物中で『人間』に置き換わってしまったのだ。
男性は保護すべき項目なのである。依然として、全世界にダンジョンは残り、定期的にモンスターが湧いて人的被害を被ることはあるが、ハッキリ言えば交通事故で死亡する被害者のほうがはるかに多い。よって、かつては国の為に身体を張って戦わざるを得なかった男性は、蝶よ花よと育てられ、ほとんどが温室育ちで探索者のような荒事からは遠ざけられているのが現実だった。
「それが本当だとすると」
呼吸が自然と荒くなった。
一度は否定した。
ありえない可能性が強まる。
一度泣いたことで一姫は冷静さを取り戻していた。
デジタル音声はいくらでも加工できる。一姫の政敵は多かった。どのような手を使っても彼女をダンジョンにおびき出して密殺するという姦計がゼロとは言い切れない。
(もっとも、相手がそういう腹積もりなら、こっちも心構えがある)
とにかく、いまは現場を踏んで事実を確かめる以外に方法はない。車輛が首都高速に差しかかる。気は急くが、あくまで道路交通法を守って法定速度で都内一といわれる上野ダンジョンを目指す。一姫は落ち着かない様子でタブレットを閉じると、すでに落ちかけているビルの向こうから落ち来る赤い夕陽を視界に収めた。
「気をつけて。相手はケルベロスを単騎で屠るバケモノよ」
A級探索者である姫島ロリアは杖と盾を構えながら慎重にダンジョンを移動していた。
今年で20歳になるロリアは国立探索者学校を優秀な成績で卒業した類まれなるセンスと能力に秀でた、一流の探索者である。
探索者協会の命により、選りすぐりの探索者20名を引き連れていたとしても、相手がケルベロスであれば命の危険を伴う。
(でも、これはチャンス。数年ぶりに回ってきたチャンスなの)
ロリアは身長172センチに54キロと引き締まったモデル体型だ。容姿も衆に抜きんでて秀でている。
大きな瞳に高い鼻梁、櫻の蕾のような整った唇。そしてロリアと連れ立っている仲間たちも、みな、そろいもそろった美女ばかりなのだ。
ロリアをはじめとした彼女たち全員には夢があった。20年以上前ならば陳腐過ぎて、世の中の女子から差別だと批判されてノックダウンするほどのありきたりな願い。それは――。
幸せな家庭を築くこと。
もっとも、それらをロリアたち年ごろの女子が望んで叶えるには、まず絶対的な大きな壁が立ちふさがっていた。
男がすくねえ。
絶対的に、生産年齢に達している男子は日本どころか世界各国から払底していた。
日本で一番多く残っている成年男子の年齢層は60代なのだ。たった20年程度で人口比が逆転した世界で適齢期の女性が運命の伴侶を手に入れることは、まず不可能なことだった。
街を歩いても、学校に行っても職場に出ても男はいない。
右を向いても、女。左を向いても女。
上下左右前後左右、どこを向いても女、女、女。
疑似的に女性を相手にそういった関係を築くことができればまだ幸せなのかもしれないが、実際に世界はヘテロセクシュアルがほとんどなのだ。
これは、魔王の呪いとは関係なく、人間という種の保存本能が働いていたのかはわからないが、女性が男性を求める欲求は、以前よりもはるかに強まっていることは確かだった。
瞬く間に、多くの男が世界から消えたことで女は種を保存する本能が働いたのか、劇的な進化が始まった。
まず、アポカリス後に成長期を迎える、あるいはこの世に誕生した女子は、神がデザインしたかのように顔立ちの整った子に成長した。
さらには、高身長化に伴い、比率的に胸や尻が大きく、脚はすらりと長くなり、日本人的な土偶に近い縄文ボディな娘は激減した。
ある学者が言うには、男を効率的に引きつけるために、女が突然変異的にボディやフェイスを進化させたのだろう。
つまりは、街にいるほとんどが美女ばかりとなった。それも、画一的ではなく、千差万別、あらゆる種類の型に嵌ったような整形顔は皆無であり、天然自然な美女が街を闊歩するようになった。
それでも男の数は増えなかった。
これを悲劇といわず、なんと言おう。
(と、とにかく、わたしはこのクエストで功績を上げて、なんとしても選別認定特別枠を貰わないと)
現代では日本に限らず、女性が出産する際には登録した精子バンクからイキのいい子種を手に入れて妊娠及び出産する以外に子を持つ方法はない。
しかし、その精子バンクを使用するにあたっても極めて運に任せた抽選がまず最初にありハードルは高い。子供を望む女性が当選する確率は非常に低かった。
パンデミック後、男の数は極端に低下し、囲い込みは速やかに行われた。富裕な財産を持つ者や、権力者などが若い壮年男性を世間から隔離するように捕え、街を歩いてもまず目にすることはない。健康でありあまったエネルギーを持て余した多くの女性はかなりの数が探索者を志すことになる。
探索者は国立の専門学校が各地に建設されるほど、いま、熱い職種であった。しかし実際は3Kを凌駕する、キツイ、汚い、危険、苦しいが揃った4Kともいうべき苦難の仕事である。
特別なスキルや魔術に恵まれた者にはあてはまらないが、そうでない凡庸な能力しかない者にとっては、ダンジョン内で出現するモンスター相手の格闘や資材の発掘及び運搬は相当に厳しい。
ただ、探索者は一発当たればデカいという側面もある。新たな素材の狩場を見つけたり、レアモンスターの討伐に成功すれば、数百万から数千万の利益が見込める。その間にかかる労力は実質数日から長くても数週間だ。
若さと体力以外に誇るものがない女性たちは雪崩を打って探索者に志願した。そう言った意味で、ロリアはとことんツキがない女だった。
能力的には、別格であるSランクを除いてのAランクの探索者だ。彼女は13歳でダンジョンに潜るようになって経験も知識も充分で、現にダンジョン内での厄介ごとが起きれば、即座に呼集される凄腕といっていいだろう。ケルベロスと同等かそれ以上のモンスターの討伐も片手では足りない。
普通ならば、5年も前に引退して、優秀な男性を伴侶に幸せな家族生活を営んでいただろう。
現に、ロリアよりも格下であるBランクやCランク程度の探索者である同級生は伴侶を見つけて、子供も4人目を妊娠中であるとラインで連絡を受けていた。
ロリアは強力なモンスターを何体も倒していたが、協会が確認することができぬほどに、遺体が損壊、あるいは消滅していた。ロリアはビビりであった。良く言えば慎重ともいえる。肉は良く焼きなタイプ。さらには生まれつき生体におけるマナの含有量が異常に高く、対象のモンスターを必要以上にオーバーキルしてしまうのだ。魔術の腕は一流であっても、審査会の見届け人が確認できないほどにモンスターを消滅させてしまえば懸賞金が上から降りる可能性はほとんどない。それでも、幾多の功績でA級にまで上がれたのは、ひとえに実直で嘘偽りのない生来の性格によるものであろう。
もっとも、貯金はA級にしては極度に少なかった。ロリアはとにかく面倒見がよく身銭を切って同輩や部下の必要な道具や資材を見繕った。
必要ならば気前よく金も貸す。貸した後で「あああっ、なんでェ?」とその場にしゃがみ込み、己の軽率さを呪うこともしばしだった。
つまり、彼女は人が好過ぎたのだ。
慎重かつできるだけ素早い動きでロリアは進み続け大空洞に出た。通路の向こう側に広がる、小学校の体育館ほどもある巨大なスペースだ。ロリアはアドレナリンを分泌させながら歩を進める。
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