第04話 タイムスリップ38歳

「おかわいそう。リュウトさん、ひとりでこんな真っ暗な中、ずいぶんと頑張ってきたんですね」


「い、いや、たいしたことねーよ。フツー、フツーだから。だはは」


 男は女の前では必要以上に強がって見せる生き物なのだ。辛く苦しくても、男のほとんどは人前で弱音を吐くことを忌み嫌う。これも生物としての本能なのだろうか。


「あの、ちなみにリュウトさんはどのくらいさ迷われていたんですか?」

「正確にはわからねえけど、ええと。どうだったかなあ。最初は日付を数えてたんだけど、たぶん、数カ月か数年か、そんくらいだな。ちなみに、今年が何年の何月ってわかるか?」


「ええっと、いまは2025年の5月ですけど。令和7年ですね」

「え、なにそれ? 2005年じゃなくて? てか、令和ってなに? いまは、平成じゃないの?」


 竜斗の時代は平成で止まっていた。


「ええっと、平成は31年で終わったんですけど。リュウトさん、その冗談、あんまりおもしろくないですよ。ははっ」


 ハルカが乾いた笑いを浮かべ頬を引き攣らせた。


「え、ちょ、待って。嘘でしょ? 俺はいつの間にタイムマシンに乗り込んだんだ――じゃなくてだ! そんじゃあ、俺は20年もダンジョンでさ迷っていたって、嘘だろ、オイ! な、なあ、俺、もしかして、ンなすっげージジイに見える!?」


「う、あ、ええと。髪とお髭が長くて、よくわからないんですけど。少なくても、リュウトさんはそんなにおじさんには見えませんよ」

「ま、待って。ハルカ、ナイフかなんか持ってるか?」

「あ、はい」


 竜斗はハルカからナイフを借りると、残った石鹸と貴重な水を使って顔じゅうの髭を剃り出した。リュウトの髭は胸に届くほどに伸び切っている。成人男性がここまで髭を伸ばすのは、濃いほうでも数年はかかるだろう。手早くナイフを使って髭を落とす。水を使って、剃り残しのないようにナイフをすべらせる。


 ――嘘だ、嘘だ嘘だ。20年てことは、もう38? 俺が? まだ、俺ってば童貞な上に、女とまともにイチャコラしたことないんだぞ!


 刃物を扱わせれば竜斗の右に出る者はいなかった。ナイフさばきは鮮やかである。竜斗が綺麗さっぱり髭を落とすして鏡を覗き込んだ。そこにはかつて姉からよく言われていた「目つきの悪いクソガキ」である18歳だった自分の顔があった。


「な、なあ! どうだ! 俺って、まったくもってオッサンにゃあ見えねえだろ!」

 竜斗が勢い込んで振り向くと、ハルカはぽかんと埴輪のように口を開けたままその場で硬直していた。


「ハルカ?」

 声をかける。ハルカの顔は途端に真っ赤に染まると、ぷつぷつと細かな汗が額に浮かんで、言い方はよくないが煮え立った鍋から出したタコのような顔に変貌していた。


「……うそ、カッコよすぎる」

「はあ?」

「きゅう」


 それだけ言うとハルカは手を胸の前で組んだまま頭から後方に倒れた。そのために、竜斗が素早く彼女を抱き止めなければ、張り出した岩のコブで後頭部を打って、せっかく助かった命を失っていたかもしれない。






「会話を楽しんでいたらいきなり相手が倒れた」


 ――どういう状況なんだ。


 竜斗はハルカを抱き抱えたまま、激しく狼狽した。糞童貞である竜斗は女性の扱い方など、ついぞ知らぬ。ともあれ、ハルカが言っていた20年云々の話は真実なのだろうか。ハルカをそっと地面に横たえて、深く黙考しようかと思ったが、竜斗のセンサーが激しく反応した。モンスターだ。


「ううむ、これは……雑魚じゃねーか!」


 コウモリを凌駕するという竜斗の聴覚は人間離れしている。通路の彼方から忍び足で寄って来るモンスターの一群たちが、いままで戦ってきた深層の強者たちと比べれば取るに足らない弱さであることを感じ取り、安堵していた。


「この独特の臭いはゴブリンだな」

 特に感慨もない。竜斗も駆け出しのころにさんざんやり合った、言わば初心者検定的なモンスターだ。背丈も、運動能力も人間よりはるかに劣る種族であるが、それなりに悪賢い。おまけに群れると、それなりに連携するので武器の取り扱いに習熟しているか、大賢者の加護を受けていない人間にとっては油断ならない相手であると言えた。


 ――にしても無防備だな。


 竜斗がしゃがんでハルカを覗き込む。

 やはり、相当に美人である。

 チュウしたい。揉みたい。ヤリたい。


 となれば、健康な竜斗の目が行くのは、彼女の豊かな双丘であるのも致し方がないだろう。ちょっとくらい触ってもバチは当たらないのではないだろうかと、竜斗の脳内に煩悩の靄がかかり出した時、その覇道を感じ取ったのかハルカがぱちりと目を覚まし、身体を急に起こした。


「わっ、わたし――」

「うおっと!」


 頭突きを喰らわないように竜斗はサッとよけた。ハルカはそれなりに危険察知能力が高いのか、周辺に満ち満ちている殺意と邪な波動に身を強張らせた。


「ウザってえな」


 竜斗がチラリと離れた場所の岩陰に視線をやる。ほとんど闇同然の場所で、一体のゴブリンが手製の弓をつがえて狙いをつけていた。距離は20メートルほど。竜斗はしゃがんだまま、転がっていた石ころを拾うと、振り返りもせずに片手で小石を放った。


「わっ」

 反射的にハルカが両耳をふさぐのと、洞窟内にジェット機の滑空するギューンという鋭い音が響いた。


 彼方でぐじっ、と肉が潰れる音が鳴った。竜斗が投げたピンポン玉程度の石ころがゴブリンに命中したのだ。魔力を込めた投擲による石の破壊力はライフル銃に優る。ハルカがゴブリンの絶命した方角に向き直った。


「え、あ、なに?」

「ゴミ掃除だ」


 竜斗は立ち上がると、親指で敵を排除した方向を指し示すと、ハルカを誘って歩き出した。


 パチンと竜斗が指先をこすり合わせると、頭上にボウッと小さな光の玉が現れる。そこには、頭部を砕かれて倒れ伏す憐れな小鬼の姿があった。


「あ、これ、ゴブリンだ。すごい……」

「えへん」


 竜斗は照れ臭くなって鼻の下を指先でこすった。長きに渡る死闘では竜斗がどれほどモンスターを斃しても賞賛する人間などひとりもいなかった。だが、ハルカは自分のことを認めてくれる。純粋に嬉しかった。


「すごいっ、すごいですっ。いま、後ろなんてぜんぜん確認しませんでしたよねっ。それを、こんな小石ひとつで……! もしかしなくても、リュウトさんって、すっごく強いんですねっ。わたし、びっくりしちゃいましたよっ」


 ハルカはその場でぴょんと小さく跳びあがると、両手をぱちぱちと叩いて竜斗を賞賛した。彼女に尻尾があれば、千切れんほどに振っていたのは間違いないだろう。


「え、えへへ。ンなに褒められても、なんもないぞ」

 竜斗は瞳を輝かせて手放しで褒めるハルカに自己承認欲求をおおいに満たされ、強烈に気持ち良くなっていた。


 ――マジかよ。こいつ、絶対俺のこと好きだろ。間違いねえな。これが噂に聞く、一目惚れされるてやつか? 俺って、ホントはすっげぇモテるんだな。だはは。困ったなァ。ほんとに、もう。あれか? ダンジョンでの闘いの日々が、強さとワイルドさを俺に与えたというか。滲み出るダンディズムというか。困ったなあ、むふふ。


「あ、あれ……!」

 ひとりで妙に身体をくねらせ歓喜のダンスを竜斗が踊っているとハルカが前方の通路を指差す。


 通路の先はスクエアの巨大な空間がある。そこには原生するヒカリゴケに照らし出された巨大なケルベロスが唸りもせず静かに立っていた。


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