第05話 魔獣ケルベロス

 ケルベロス。

 三ツの頭と巨大な蛇の尾を持つ地獄の番犬だ。そのたてがみは無数の蛇で構成されており、体高など諸々を含めても大型トラックを優に超える大きさである。


 無論、いま竜斗がいる場所が真実上層階であるならば、これほどに強力なモンスターが棲息しているはずがない。


 ダンジョン内は無法地帯に思えて実に秩序立った空間だ。すなわち、最深部から遠い地上に近い上層部ほど異界からの影響を受けにくく、従って現れるモンスターも弱いものしか現れない。


「は、はわわ」

 ハルカはペタンとその場に尻もちをついてしまった。手には60センチ程度の棒とその先に携帯電話が接続されたものがある。


 この状況でもカメラのレンズ部分はケルベロスの方向に向いていた。竜斗は距離30メートルほどで唸っているケルベロスをチラリと一瞥すると、むしろハルカの持つ携帯に興味を向けた。


「なあ、ハルカさんや。ちょいとひとつ聞きたいんだが。その携帯ってもしかしてインターネットとかに繋がってるんか?」


「い、いや、リュウトさんっ。そんなことよりもとにかく逃げなきゃ――」

「ふぅん、これがネットに繋がってるんか。ほーう、ほうほう。時代はマジで流れてるんだなあ。お? 撮れてるか? ピースピース」

「じゃなくて、うしろっ!」


 竜斗はハルカが叫ぶよりも早く反応していた。ケルベロスの中央の頭はカッと大きな口を開くと地獄の猛火を吐き出した。


 瞬間的に闇が消えた。途方もない熱量で吐き出された獄炎が洞窟の底を舐める。人間がまともに喰らえば骨も残さず消滅する温度だろう。それが証拠に、焼かれた洞窟の岩肌はグツグツと真っ赤になって溶け出している。


 だが、竜斗はその時すでにハルカを抱えたままケルベロスの頭上を飛び越えて、大空洞の反対側に着地していた。


「お、なんだ? これは俺が映ってるのか? ええと、なになに? うわっ、なんだこりゃ。ドンドン文字が下に流れてって読めねえ。早いね、まったく。なあ、ハルカ。これってどうやって止めるんだ?」


 竜斗はケルベロスの攻撃を無視して、ひたすら無数に流れるコメントをジッと凝視していた。


 この離れ業は無論、竜斗の誇る強力な魔術によってなされた行為だった。成人に近い人間を抱えて跳躍しても、限界はたかが知れている。ハルカも軽そうに見えて体重は50キロ弱はあるだろう。言うなれば10キロの米袋5つを担いで数十メートル飛び上がるなど人間にできることではない。事実、これほどの術者は協会の中でも数えるほどしかいなかった。


「あわわ」

 ハルカは抱えられたままの急激な移動に三半規管がついて来れず目を回している。竜斗は常人では不可能な高さと距離を軽々と跳躍した。これによって瞬間的にハルカへかかったGはジェットコースターを上回るものであった。


「あら、オチたか」

 抱えていたハルカの重みがドッと増した。彼女が意識を失った証拠である。もっとも竜斗としては下手に動かれるより、彼女にはお地蔵さんになってもらっていたほうがやりやすい。


 竜斗に必殺の攻撃がかわされてしまったことが納得いかなかったのか、ケルベロスは再び大口を開けた。


「なんだ、まだやるんか」

 ケルベロスの喉元は激しく白熱した。ブレス攻撃に移る前、この種のモンスターが行う一般的なアクションだった。ケルベロスは灼熱の炎弾を続けざまに吐き出した。炎の弾丸の大きさはそれぞれが大人が一抱えするほどだ。炎の塊は背を向けている竜斗に向かってまっしぐらに奔った。


「うっせーな。こっちは取り込み中だよ」

 竜斗はそう言うと右腕にハルカを抱えたまま、左手で器用に腰の長剣を鞘ごと引き抜いた。柄頭をケルベロスに向ける。柄頭に嵌められている宝玉は透き通るような青だ。竜斗が念を込めると、宝玉は青い輝きを増し、大空洞を覆いつくさんばかりの激しい光を放った。


「魔術――絶対零度」

 瞬間、宝玉から雪の結晶を表す6角形のエンブレムが虚空に打ち出され、ケルベロスが放った炎の弾は片っ端から真っ白な蒸気を上げて霧散した。さらに、宝玉から極寒の冷気が噴き出してケルベロスを襲う。ほとんど反応できなかったケルベロスはその場に立ち尽くしたまま、冷気の魔力で凍らされ数秒経たずに氷の彫像と化した。


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