第2話


 朝、ふと目が覚めると、亡霊……ならぬ私の彼氏、獅子井くんが立っていた。


「ああ、獅子井くんか」

「はあ!?」

「おはよう獅子井くん、登場の仕方、ちょっとホラーっぽかったよ」


 よいしょ、と体を起こし時計を確認すると朝だ。獅子井くんの装いは着崩した制服。多分朝早くに家に来たのだろうと思う。


「何してるの獅子井くん」

「今日おばさんもおじさんも朝早いって聞いたから来た」

「なるほどー」


 口ぶりからしてお母さんやお父さんに会ったような雰囲気は無い。おそらく獅子井くんは、前にだだをこねまくって手に入れた合鍵で勝手に入ってきたのだろう。


 彼は基本チャイムを鳴らし、両親が居れば同意の元で家に入ってくる。


 完全に誰もいない時は入ってこない。私が寝てる時とか、私だけが居る時のみ勝手に入ってくる感じで、しっかり線引きはされているから放置している。


「朝ごはん出来てるからな、弁当もあるぞ」


 獅子井くんは当然の様に言っているけど、そんな約束はしていない。


 でも獅子井くんは、私に毎日毎日毎日毎日弁当を作ってくる。手作り。こうして家に来た時は私の家で、普段は自分の家で作ってくる。


 ちなみに、私の両親に台所の使用の許可は得ている。それどころか洗濯機や掃除機の使用許可も得ていて、私や家族の服を勝手に洗うこともしばしばある。


 前は連日重箱を持って来て、私が多すぎると注意すると獅子井くんは「俺の愛が重いってのかよ!!」と暴れだした。


 獅子井くんの弁当はありがたいけど量が多すぎる、という感想を作文二十枚に書き込んで渡すと、彼は普通の弁当箱に詰めてくれるようになった。


 最近、獅子井くんを見ているとふと、「押しかけ女房」という単語が浮かぶ。一緒に住んでないけど。いや彼は「押しかけ旦那」か。


 ぼんやりとそんなことを考えながら、制服に着替えて顔を洗い、身支度をしてダイニングに向かう。


 獅子井くんは楽しそうに朝ごはんをテーブルに並べていた。ご飯、味噌汁、卵焼き、焼き鮭、お浸し、漬物。理想の和朝食、美味しそう。


「ありがとう獅子井くん」

「当然だろ、気にすんな」


 私と獅子井くん、席について向かい合って「いただきます」をする。


 なんかいいな、こういうの。穏やかで平和な日常だ。交際関係にあった男性が無断で家に押し入り食事の準備をしたという中々重量がある凶行にさえ目をつむればかなり平和だ。


「結婚したらさあ」


 ふと獅子井くんが嬉しそうに笑う。彼はよく結婚したら、という結婚前提の話をする。前に「私は出来るけど獅子井くんはまだ出来ない歳だよ」と返したら刃物を取り出したので強めにお腹をつねったこともあった。


「こうして、毎日お前に味噌汁を作れるんだよな」


 相変わらず気が早いと思いながら卵焼きを食べていると、獅子井くんが複雑な顔をした。


「……もしかして、嫌なのかよ」

「卵焼き出汁変えた?」

「あ……? へへ、実は出汁変えてあんだよ、今日は液体のに……じぇねえよ!! 嫌かって聞いてんだよ! もしかして相手がいんのか!?」


 獅子井くん起立。朝から元気。近隣に配慮して、若干昼より声は控えめだ。


「落ち着きなよ、獅子井くん、相手なんかいないよ」

「じゃあ何で話逸らしたんだよ」

「毎日味噌汁はちょっと、たまには洋食も食べたい時あるし」

「……あー、何だよ、そういうことかよ」


 獅子井くん、着席。


 前はよくこういう話をすると、獅子井くんはすぐに包丁を握っていたけど最近はしなくなった。彼は日々、成長をしている。


「結婚したら、ずっと一緒だよなあ……」


 うっとりと笑う獅子井くん。重さと面倒くささも増しているかもしれない。でも幸せだから、まあ別にいいかと私は味噌汁をすすったのだった。





 穏やかな朝食をすませた、数時間後。


 廊下に男子生徒一人と、女子生徒二人。告白した生徒と、立ち尽くす生徒と、泣く生徒がいる。


 客観的に見れば修羅場かな? と思う人も多いと思う。私も思う。でも実際はそうじゃない。


「浮気じゃねえんだよおおおおおおおおおお」

「先輩……?」

「……」


 告白した女子生徒はおろおろしている。私は立ち尽くしている。女子生徒から告白された獅子井くんは……大泣きしていた。


 事の起こりは、いつも通り獅子井くんと学校に登校し授業を受け、お昼休みに入った後のこと。


 お昼の前にトイレに行くかと立ち上がると、即座に獅子井くんがついて来ようとした為「犯罪」と注意して私は一人トイレに向かった。


 用を足してトイレから出てくると、獅子井くんはトイレの近くに立っていたのだ。


 獅子井くんはかなりの確率でそういうことをする。


 さすがに女子トイレの前で待つのは良くない、というギリギリの判断はしてくれて、いつも若干ずれた位置で背中を向けてまっている。


 わりといつものことだけどちょっと狂気を感じるし、色々アウトだと思う。


 でも今日はひとつだけ違った。獅子井くんの前には一年生の女子生徒がいて、「先輩の事が好きです!」と彼は告白されていたのだ。


 この場にいるのまずいなと考え一歩下がったと同時に、振り返った獅子井くんは私を見つけた。そして私が「えっと、ごめん、見るつもりじゃなくて」と口を開くが先か、獅子井くんは私にタックルをかまして来たのだ。


 厳密にいえ、腰元に抱き着いた形だけど、獅子井くんは硬い、大きい、強い。


 ドラム缶と同じである。


 それが飛んできたくらいの威力がある。普通に痛い。事故だ。後ろに倒れかける私の身体を、ドラム缶……じゃなくて獅子井くんが支えてくれてどうにか無事だったけれど、無事だったのは背中だけ。


 腹部は全く無事じゃなかった。ぐっちゃぐちゃだった。他ならぬ獅子井くんの涙によって。


 あれ、潮干狩り、自分のシャツですくっちゃったんじゃないですか? ってくらいびっちょびちょになっていた。にもかかわらず「浮気じゃねえんだよおおおおおおおおおお」と泣く獅子井くん。呆然とする一年生。虚無の私。そうして今に至るのだ。


「あの、先輩……」


 一年生の子が困っている。それは困るよ、気持ちは分かる。私も困っている。告白した先輩が突然他人にタックルして泣いてたら、普通に困るし怖いし下手したらトラウマになる。


「ごめんね、あの、本当にごめん、本当に、ごめん」


 とりあえず獅子井くんをそのままに一年生の子に謝ると、彼女は申し訳なさそうに一礼して立ち去る。


「獅子井くん、告白受けただけで浮気だなんて思わないよ」

「俺は思ううううううううううんだよおおおおおお」


 獅子井くん渾身のビブラート。あと普通に力が強すぎて苦しい。プロレス技かけられてるみたいだ。彼の嗚咽により、人は一瞬集まるものの、皆何かを察したような表情で去っていく。


「獅子井くん落ち着きなよ、それに告白されたのは獅子井くんだし」


 頭を撫でてみる。ギラギラの金髪はわりとふわふわだ。


 このままだとお昼は諦めた方がいいかもしれない。五時間目が終わった後に食べようと考え、獅子井くんをお腹に巻き付けたまま私は誰もいない空き教室に入った。


 とりあえず椅子に座る。獅子井くんは床に膝をつけ、私のお腹に巻き付いていたままだ。


「俺、お前のことが好きなのに、浮気してないいいいいい……」

「分かってるよ、疑ってないよ」

「俺の事嫌いになってないか?」

「嫌いになってないよ」


 獅子井くんは人気がある。それはそれは人気がある。バレンタインにはチョコレートがわんさか届くし、調理実習では色々届く。羨ましい。


 かといって、彼女である私に危害が及んだり、いじめられたり、はぶられたりとかは一切ない。


 それは、獅子井くんが大層面倒で相当な重さがある……というか、こんな感じであることが同学年と三年生には周知されているからだ。歩く事故物件と呼ばれているらしい。


 よって彼はもっぱら鑑賞用美男子扱い。告白しようという生徒は現れない。


 そんな中、獅子井くんに想いを馳せ告白するのは一年生である。


 最重量チャンピオンの称号と心底面倒な思考回路さえ知らなければ、見た目が「えげつないヤンキー」ながら、獅子井くんは綺麗な顔をしているし、運動神経もある。


 言葉遣いはぶっきらぼうぶってるけど、紳士で優しく穏やか。理想の彼氏、ヤンキー仕立てだ。よって一年生の心をそれはもう惹きつけまくっている。


 だから獅子井くんは一年生に頻繁に告白される。靴箱に手紙が入っていたり、人づてに手紙が届けられたり実際に教室にやってきたり。廊下を歩いていても呼び止められたりする。


 もし獅子井くんがわりと普通な感じだったなら、私は嫉妬すると思う。しかし獅子井くんはわりと普通じゃない。いや、多分、かなり、普通じゃない。


 自分が告白されるところを見られたり、靴箱から手紙が出てくるとこうして泣く。


 浮気していると思われて嫌われるんじゃないかと泣く。それはそれは泣くから獅子井くんが告白された時、彼を慰めなきゃという思いで占められていてあまり嫉妬が出来ない。浮気を疑うなんてもっての他だ。


 ……それだけ好かれていることは心配になるけど。まあ素直にうれしい。いつか刺されるんじゃないかと心配になるけど。


「そもそも告白されただけじゃ浮気に入らないよ」

「俺は入る」

「いや、私はまず告白されないから」

「する前に俺が潰す……」

「法に触れることはしちゃ駄目だよ」


 獅子井くんは眉間にしわを寄せた。ヤンキーの睨みそのものだけど、その目は赤いし、腫れてるし、涙がぼろぼろに零れている。


「誰に告白されても、心変りなんてしないから安心しなよ、獅子井くん」

「でも、無理やり襲ってきやがるかもしれねえじゃねえかよお……」

「獅子井くんと離れる時なんてトイレか着替えだけだから大丈夫だよ。気になるなら、好きなだけそばにいていいから」


 獅子井くんはしばし俯いてから、縋る様に私を見つめてきた。


「……俺のこと好きって言って、 どれくらい好きかも具体的に言って」

「好きだよ、獅子井くんのこと、何よりも、世界で一番ね」


 心のままの言葉を口に出して伝えると、獅子井くんは満足そうにする。


 好きか不安になるなら何度だって言ってあげるから、私のこともちゃんと好きでいてね。


 その言葉は心の中で願って、私は獅子井くんの頭を撫でたのだった。




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巷で噂のヤンキー獅子井くんは心底面倒臭いし普通に重い 稲井田そう @inaidasou

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