-3-

「……」


 琴子は思わず立ち上がっていた。

 今また、確かに聞こえた。幻聴ではない。誰かの声だ。

 ――ここへ、来てと。

 誰かがどこかで呼んでいる。


「誰! どこにいるの!?」


 見回してみても、相変わらず動くものはどこにもなかった。

 周囲は深い森が続き、元いた場所では見たこともないような巨大な木々が大地から空までを埋め尽くしている。

 人の姿など無い。

 そもそもこのような場所で、人が生きられるはずがない。


 それでも聞こえた。確かに聞こえた。


『ここにいる』


 そう琴子に呼びかけた、誰かの、声が。


(どこから聞こえているんだろう)


 さっぱりわからなかった。後ろから聞こえた気もしたし、前から聞こえた気もした。わからなかったが、どこかへ向かって足を進めた。

 土を蹴る足音と荒い呼吸音が繰り返す。似たような景色を通り過ぎる。どこまで行っても森の中。

 肌に付いた傷が痛んだ。頭の奥が、割れそうだった。

 だけど足は止めなかった。とにかく誰かに、会いたかった。


 やがて、琴子は足を止める。

 顔を上げ息を呑む。

 琴子の目の前には、ひと際異彩を放つ巨大な木が立っていた。


 まるで太古の森のような大木ばかりのこの地においても、明らかに異質な一本の巨木。

 幹は城壁のように重く太く立ち塞がり、空を埋め尽くすように広がる無数の枝からは、青々とした葉がこちらを見下ろすかのように茂っていた。


 だが、琴子がその場で足を止めたわけは、巨木に慄いたからではない。

 木の根元に子どもが居たのだ。

 子どもは、巨木から下りる植物の蔓に巻かれて、幹に体を捕らえられていた。

 うな垂れた小さな頭から長い真っ白な髪が下がっている。着ているのは薄布一枚。

 それに覆われていない肌は陶器のように白く、まるで血の通っている気配を感じなかった。


 恐る恐る子どもに近づく。ほんの数歩離れた場所で一旦立ち止まるが、子どもが顔を上げることはない。

 生きているのか死んでいるのか、判断はつかなかった。


 意を決し、子どもの前にしゃがむ。

 子どもの体には、琴子の腕よりも太い蔓が幾重にも巻き付いており、痩せ細ったこの子どもの力では自力で抜け出すことは困難だろうと思われた。


「ねえ、大丈夫? しっかりして」


 頬に触れると、驚くほどに冷たかった。死んでいるのか、と思ったけれど、そうではないと気づく。

 冷たくても、確かにまだ温度がある。この子は生きている。

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