第3話 目下の困りごと

――困ったことになった。


 いや、あんな美少女が七人も突然家にやってきてこれから一緒に暮らすとか、それも充分に困ったことではあるのだが……目下の困りごとは今日の夕食だった。


 父さんの知り合いが来るっていうから、一応食材は多めに買ってはおいた。だけど七人とは聞いていない。しかも、オレを含めて八人分の食事を作るなんて初めてのことだ。何をどのくらい作っていいのか、それを考えるところから始めないといけない。


「何か手伝うことはあるかしら?」


 そう声を掛けられて、振り返ると明るい茶髪のお姉さんが優しく微笑んで立っていた。よく見ると、髪の一部を後ろに編み込んでいる。落ち着いた雰囲気で、背丈はオレと同じくらいだけど、スタイルも良くて顔立ちも大人っぽい人だ。オレよりもずっと年上なのだろう。

 それにしても、また気付かないうちに背後を取られていた。いや、考え込んでいて気付かなかっただけだ。いちいち驚いてもいられない。


「いえ、皆さんはお客様ですから、手伝わせるわけにはいきませんよ」


「何を言うの。今日から一緒に暮らすんだから、一方的にお世話されるのは嫌だな。ただでさえ急にお邪魔して迷惑かけてるんだから、家事の手伝いくらいはさせてほしいわ」


 確かに、彼女の言うことももっともだ。そもそも何で、急に来た居候にオレが気を遣わなきゃいけないんだ。しかも父さんが勝手に決めたことだ。オレの知ったことじゃない。オレはそう開き直って、彼女に手伝いをお願いすることにした。


凛太郎りんたろうくん……だっけ。わたしは可淑かすみ。それで、何を手伝えばいいかしら」


「実は……夕食の支度をしようと思ったんですが、こんな大人数の用意をしたことがなくて。むしろ何を手伝ってもらえばいいか……という感じで」


「なるほどね……。ちょっと、冷蔵庫の中を見せてもらってもいい?」


 どうぞ、と可淑さんをキッチンに通して、何ができそうか見てもらう。その間、彼女は一人で何かぶつぶつ言っていたけど、何か考えてくれているんだろうと思って気にしなかった。


 こんな年上のお姉さんと関わるなんて、当然ながらそうそう経験できることじゃない。急にこんな近い距離感で関わることになって、どう接していいのか正直緊張も困惑もしている。目線だって、どこにやったらいいのかと思ってしまう。それでも一緒に暮らすことになった以上、上手くやっていきたい。オレの家なのに、居心地が悪いのは勘弁だ。


「みんなに同じものを作ろうとしたら、食材が足りないわね。大皿に作ってビュッフェ形式にしましょうか。使える応援を呼んだから、遅くならないうちには作り終われるわよ」


 ひとしきり冷蔵庫の中を確認し終えた可淑さんは、そう言って手に持ったスマホの画面からこちらに視線を移して、不敵に微笑んだ。

 するとすぐに、階段から誰かが駆け下りてくる音が聞こえて、その足音は真っすぐこちらへ向かってくる。


「どーも、あやのんでーす」


 降りてきたのはあやのんこと絢乃あやのさん。相変わらずちょっと気怠げなのに、言葉はどこか溌溂はつらつとしている、ちょっと不思議な人だ。彼女が“使える応援”だろうか。


「あれ、調子つきこは?」


「すぐ来るよ」


 絢乃さんの言う通り、慌ただしかった彼女と反対に、落ち着いた足音ですぐにもう一人がキッチンに顔を出した。現れたのは、長い黒髪の、目つきの鋭いお姉さん。特別愛想がいいわけでもない上に、オレよりも背が高く、正直怖い印象を受けた。


 可淑さんは二人に事情を説明し、手早く役割分担を指示した。これでは逆に、オレは何をすればいいのか、むしろいたら邪魔なのでは、と思ってしまう。そんなところへ、可淑さんはオレにもきちんと指示をくれた。


「わたしたちはまだ勝手がわからないから、凛太郎くんは、どこに何があるかとか教えてくれる? あと、ご飯も炊いてもらっていい?」


「は、はい!」


 ここに来る前は、彼女たちはどこでどう過ごしていたのだろうと疑問に思っていたが、それが少し解決された気がする。それほど三人は手馴れていたのだ。料理自体はもちろんのこと、大人数の分の食事を作るということに。

 無駄のない連携で効率よく作業が進んでいき、恐らく前に暮らしていたところでも、彼女らが料理当番を任されていたのだろうと簡単に想像できた。


「今まではずっと凛太郎くんが家事やってたの?」


「あ、はい。母さんが死んでからは。父さんはほとんど帰ってこないし、どうせ一人分なので」


 料理も洗濯も、どうせオレの分しかないからそこまで手間はかからなかった。オレの都合でどうとでもできるのは、むしろ楽でもあったかもしれない。

 でも掃除は少し大変だったか。なにせ父さんがこんなデカい家を建てたもんだから。本当は、母さんが今も生きていたら、オレにも弟や妹がいて、この家に見合った賑やかな暮らしができていたつもりだったらしい。母さんが死んだのがこの家を建てたすぐ後だったから、もっとこじんまりした家に越すというわけにもいかなかったのだろう。


「いや、偉いよ。こんなに若いうちから」


 そう言ってくれたのは、調子さん。あまり口数が多くないから彼女との距離感を測りかねていたが、怖そうな人だと思っていただけに、その言葉は意外だった。


「そうだよ。今後はかすみんとルリ姉に押し付けていいんだよ?」


瑠璃子るりこはともかく、何でわたし?」


「だって、お姉ちゃんでしょー?」


 調子さんに便乗するように、さらっと自分に押し付けられるのを避けようとしている絢乃さん。この人はこう見えて結構策士だ。いや、世渡り上手というべきかもしれない。


「あの、気になってたんですけど……皆さんって姉妹なんですよね?」


「……まさか、何も聞いてないの?」


 調子さんの言葉にうなずくと、彼女は呆れたようにため息を吐いて、同情するような苦笑いを向けてきた。


「……あんたも大概大変だね。ややこしいこともあるから後で説明してもらえると思うけど、一応は、姉妹だよ」


 一応ということは、純粋な姉妹というわけではないのだろう。彼女らの年齢差は見た感じではよくわからないし、見た目もあまり似ているとは思えない。明らかにハーフみたいな人もいるし。この疑問への答えは、その“ややこしいこと”に含まれているのだろう。それを説明してもらえるのが、少し楽しみになった。他人の事情を面白がるわけではないが、湧いた疑問へ答えを見つけるのが、オレの日々の楽しみの一つでもあるのだ。


「それにわたしとしては、リンの事情も聞きたいなぁ。その不思議な力・・・・・の経緯とか」


 絢乃さんにはもうちゃっかり愛称を付けられてしまった。意味深に言葉を濁した彼女に、可淑さんと調子さんの視線も一度にこちらへ集まってくる。さっき駅前で話していたオレの力のことは、まだ他の姉妹には話していないらしい。


「それについてはむしろ、オレの方が色々知りたいですけどね」


 オレがずっと一人で抱えてきたこの“見える現象”のことがわかるなら、彼女たちとのめぐり逢いにも感謝しなければならない。偶然かもしれないが、それを手引きしてくれた父さんにも。

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