第6話「迫る試練、揺らぐ婚約者の立場」
夜会の喧騒に包まれる中、俺は再びカイル・ヴェインブルクの存在を意識せざるを得なかった。彼が俺に向けた挑発的な視線、そして周囲に漂う圧倒的な存在感。彼はアリアに対してどのような意図を持っているのか。俺の胸中には次第に不安が広がっていた。
アリアは冷静さを装っているが、その表情の端々にわずかな緊張が見え隠れしている。きっと彼女も分かっているのだろう。カイルがただの幼馴染ではなく、自分の破滅フラグを引き寄せる可能性を持った存在であることを。
そんな中、俺たちは再びカイルと顔を合わせることになった。
会場の一角に陣取るカイルの周囲には、彼を中心にした輪ができていた。貴族の若者たちが彼の一言一言に耳を傾け、時折場の雰囲気を盛り上げるように笑い声を上げている。
「おや、アリア嬢。それに…君も来てくれたんだね」
カイルは俺たちを見つけると、親しげな笑顔を浮かべて声をかけてきた。その笑顔の奥には、何か試すような意図が隠されているように感じられる。
「ええ、皆さんがここにいらっしゃると聞いて、ぜひご挨拶をと思いまして」
アリアは冷静にそう答えたが、その声には少しだけ硬さが含まれていた。カイルはその様子を見逃さなかったのか、目を細めて微笑んだ。
「そうか。それは光栄だよ。ところで、君の婚約者である亮君について、もう少し詳しく話を聞きたいと思っていたんだ」
その一言に、周囲の視線が俺に集中した。明らかに探るような、あるいは疑念を含んだ視線だ。
「聞きたいことがあるならどうぞ。俺も皆さんにお答えできる範囲で答えたいと思っています」
できるだけ冷静を装いながらそう答えたが、内心は緊張でいっぱいだった。この場で少しでも不適切な発言をすれば、アリアの立場を危うくすることになりかねない。
「では、率直に聞かせてもらうが…」
カイルは少し間を置いてから、ゆっくりと話し始めた。その声には、場の全員を支配するような力が宿っていた。
「君は本当にアリアを守る覚悟があるのか?君のような異国の人間が、エドワード家の令嬢を支えることができるのかどうか、正直疑問だ」
その言葉に、場の空気がピリッと張り詰めた。周囲の貴族たちがカイルの発言に注目し、俺たちを値踏みするような視線を送ってくる。
「もちろん、俺はその覚悟を持っています」
俺はカイルの鋭い視線に臆することなく答えた。自分でも驚くほど、冷静な声を出せていた。
「アリアは俺にとって大切な存在です。だから、どんな困難があっても彼女を守るつもりです」
その言葉を聞いて、カイルは少しだけ目を見開いた。そして、すぐに口元に笑みを浮かべる。
「覚悟がある…か。それは素晴らしいことだ。だが、覚悟だけで守れるほど、この世界は甘くない」
カイルの言葉には、挑発的な意味合いだけでなく、どこか忠告めいた響きも含まれていた。彼がこの言葉をどんな意図で発したのか、それを読み取るにはまだ彼の真意が掴めない。
その時、さらに別の人物が俺たちの会話に割り込んできた。
「まあまあ、カイル。そんなに追い詰めなくてもいいじゃない」
柔らかな声とともに現れたのは、先ほど挨拶を交わしたイザベラ・フォン・ライヒェンだった。彼女は微笑みを浮かべながらカイルの隣に立ち、俺たちを見つめた。
「アリアお嬢様。それに亮さん。先ほどは素敵な自己紹介を聞かせていただきましたけれど、もう少しお話を伺いたいと思っていましたの」
イザベラの言葉には、礼儀正しさと同時に、どこか冷たさを感じさせるものがあった。
「イザベラ、こちらも挨拶が遅れて申し訳ありません。ですが、亮君に対する疑念は必要ないと私は考えています。彼は婚約者として、十分に私を支えてくれていますから」
アリアは毅然とした口調で答えた。その一言に、イザベラの目が少しだけ細まる。
「そうでしたの。でも、婚約者として相応しいかどうかを決めるのは、周囲の目でもあると思いますわ。アリアお嬢様が信頼されているのなら、それを証明する機会を作るのも一つの方法ですわね」
その言葉にカイルが微笑み、すぐに話を引き継いだ。
「そうだな。イザベラの言う通りだ。亮君がどれほどの覚悟を持っているか、この夜会で皆に示してもらうのも悪くない。どうだろう、亮君?」
俺は一瞬、答えに詰まった。何かを「証明」するとはどういうことだろうか。この場で彼らが求めるものが何なのか、まだ分からない。
「証明するとは、具体的に何をするんだ?」
俺がそう尋ねると、カイルは満足げに微笑みながら答えた。
「簡単なことだ。この夜会の後半に、貴族の間でよく行われる『試練』を行う。それに参加してもらうだけでいい」
試練──その言葉に、俺の胸に不安が広がった。貴族たちが試練と称して何を行うのか、この異世界の常識を知らない俺には見当もつかない。
「アリアの婚約者としての立場を証明するには、それが一番公平だと思うが、どうだろう?」
カイルの言葉に、周囲の貴族たちが小さくうなずくのが見えた。これを拒否することは、アリアの婚約者としての立場を否定するに等しい。
「いいだろう。俺はその試練に参加する」
俺がそう答えると、カイルは満足そうに笑みを浮かべた。
「では、夜会の後半に始めることにしよう。楽しみにしているよ、亮君」
カイルが去った後、俺は深いため息をついた。すぐ隣でアリアが俺をじっと見つめている。
「亮君、無理をしないで。カイルの言葉に乗せられる必要はないわ」
アリアの声には心配の色が含まれていた。だが、俺は首を横に振る。
「いや、ここで引き下がるわけにはいかない。俺が君の婚約者である以上、君を守るためにも、この場で自分の立場を証明しなきゃならないんだ」
俺の言葉に、アリアは一瞬だけ目を見開いた。だが、すぐにわずかに微笑み、静かにうなずいた。
「分かったわ。なら、私はあなたを信じる。それが婚約者の役目だから」
彼女のその一言が、俺に大きな勇気を与えてくれた。たとえどんな試練が待ち受けていようと、俺はアリアのためにそれを乗り越えるつもりだ。
その夜、俺の中に芽生えた不安は拭いきれなかった。カイルとイザベラの意図、そして「試練」が何を意味するのか。これまで俺が経験したことのない困難が待ち受けているのだろう。
だが、俺がアリアを守ると決めた以上、どんな試練にも立ち向かうしかない。これが、この異世界で俺が果たすべき役割なのだ。
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