第2話 悪役令嬢の婚約者、社交界デビュー
俺、早川亮は、まさかの異世界転生を果たした。しかも転生先は、以前少しハマってしまった乙女ゲーム「夜明けのラプソディー」の世界だ。そして、目の前にいるのは、そのゲームの「悪役令嬢」ことアリア・エドワード。彼女は冷酷な悪役として描かれているキャラクターで、ゲームのシナリオにおいて破滅する運命が決まっている。
さらに驚いたことに、俺はアリアの「婚約者」という立場でこの世界に放り込まれてしまったらしい。人生経験からいえば30年分の記憶を持っているが、どうしても今の状況が飲み込めない。だが、この現実を受け入れるしかなさそうだ。
アリアは冷たい表情を崩さず、俺に対して「婚約者らしく振る舞え」と口うるさく指示してくる。その口ぶりから察するに、彼女は俺がどう振る舞うべきかを期待しているわけではなく、ただの「義務」として割り切っているようだ。
「さあ、今日からはあなたも公爵家の婚約者としての振る舞いを学んでいただきます」
アリアは冷然とした表情で告げた。彼女の背後には複数の侍女が控えており、俺に準備させるための着替えや装飾品が手渡される。
「婚約者としての振る舞い、か…。正直、俺はそういうのには不慣れだけど、何をすればいいんだ?」
少し戸惑いながら尋ねると、アリアはため息をついて俺を見下ろすように微笑んだ。
「あなたは私の婚約者なのだから、それ相応の振る舞いが求められるわ。特に、エドワード家にとっての社交界デビューにおいて、恥をかかせることだけは許されない」
俺の反応を見て、彼女の表情には一瞬だけ憐れみとも取れる感情が浮かんだが、それも一瞬のことだった。
「それじゃあ…俺も着替えたほうがいいってことだな」
「もちろんよ。そのスーツのまま出席されたら、まるでこの国の礼儀を知らない庶民のように見られてしまうわ」
アリアの冷たい視線に圧倒されつつ、俺は侍女たちに促されるまま、貴族らしい豪華な衣装に着替えることになった。普段着ないような豪華な装飾のある服を纏うと、まるで違う人間になったような気分だ。
準備が整うと、俺はアリアに連れられてエドワード公爵家の馬車に乗り込んだ。向かう先はこの国の社交の場である「夜会」だという。夜会──それは貴族や富裕層が集まる、格式高い交流の場だ。社交界デビューとはつまり、貴族の一員として正式に認められるという意味合いも含まれているらしい。
馬車の中で揺られながら、俺はアリアに改めて質問してみた。
「俺が君の婚約者っていうことは、この夜会でもそう紹介されるのか?」
「当然よ。あなたは私の婚約者として、私を支え、そしてエドワード家の一員として恥をかかせない振る舞いを求められるわ」
彼女の言葉には冷ややかさが感じられる。だが、その奥にはどこか不安げな気配も漂っていた。
「安心して。俺が何とかするよ。君を恥をかかせないように頑張るから」
そう言ってみたものの、アリアは顔をそむけ、口元に薄い笑みを浮かべただけだった。俺の励ましなど彼女には響かないのかもしれない。それでも、俺がこの世界に来たのにはきっと意味があるはずだ──そう信じるしかなかった。
馬車が夜会の会場に到着すると、そこは豪華なシャンデリアが輝く大広間だった。貴族や有力者たちが集まり、豪華な衣装を纏いながら談笑している。どこを見ても洗練された美しい人々ばかりで、俺は一瞬、自分の場違いさに圧倒されそうになった。
「早く来なさい。無駄に突っ立っていると、みっともないわよ」
アリアが先を歩きながら、冷たい視線で俺を促す。俺は深呼吸をしてから、彼女の後ろをついていった。周囲の視線が集まっているのがわかる。皆、俺のことを「悪役令嬢の婚約者」として興味半分、冷ややかに見ているのかもしれない。
会場内では多くの貴族たちがアリアに挨拶をし、彼女も冷淡ながら礼儀正しく対応している。しかし、その瞳にはどこか冷たい光が宿っているようだった。アリアにとって、この場所は居心地の良いものではないのかもしれない。
やがて、ひときわ豪奢な衣装を纏った青年が俺たちに近づいてきた。金髪で整った顔立ち、そして堂々とした立ち居振る舞い──彼は明らかにただ者ではない。隣でアリアが小さく息を呑んだのが分かった。
「おや、これはアリア嬢。お久しぶりだね」
彼は微笑みながら、アリアに親しげに声をかけた。その声には何か底知れない力が感じられた。アリアもわずかに動揺を見せる。
「ご無沙汰しております、レオ殿下」
レオ殿下──この国の王子であり、ゲーム「夜明けのラプソディー」の攻略対象の一人だ。俺はその存在を知っている。彼は物語の中でアリアの破滅フラグの一因となるキャラクターでもある。
「そして…こちらは?」
レオ殿下が俺に目を向け、微笑みを浮かべながら尋ねてきた。俺も一礼し、自己紹介する。
「初めまして、早川亮と申します。アリアの…婚約者です」
その言葉に、周囲が一瞬だけ静まり返った気がした。レオ殿下も驚いたように一瞬だけ目を見開いたが、すぐにその表情はいつもの穏やかなものに戻った。
「そうか、君がアリア嬢の婚約者か。異国の風情を感じる服装だね」
レオ殿下は穏やかな口調で俺を評価してくれる。だが、その目の奥には何か鋭いものがあるようにも感じられた。彼はアリアに対して何か特別な感情を抱いているのだろうか──そんな疑念が頭をよぎる。
「アリア嬢、夜会を楽しんでいるかい?」
レオ殿下が改めてアリアに尋ねると、彼女は冷静に微笑んで答えた。
「もちろんです。レオ殿下も、どうかご自由にお楽しみください」
アリアの冷たい対応にも動じず、レオ殿下は彼女に笑顔を向けた。しかし、その笑みはどこか意味深で、何か隠された意図を感じさせるものだった。俺は二人のやり取りを見ながら、アリアの婚約者として、彼女を守る決意を新たにした。
その後も、俺たちは夜会の中でいくつかの貴族たちと挨拶を交わし、形式的な会話を続けた。しかし、俺は心のどこかで違和感を覚えていた。この場には、アリアに対して敵意を持つ者たちが少なからず存在しているように感じられたからだ。彼女はこの世界で「悪役令嬢」として扱われている。そんな彼女を支えるのが、俺の役目なのだろうか?
「アリア、疲れてないか?」
ふと、彼女の顔を覗き込んでそう尋ねてみる。アリアは少し驚いた表情を見せたが、すぐに冷たい口調で答えた。
「別に。これは私が担うべき責務だから」
その言葉に、俺は胸が痛むような感覚を覚えた。彼女が背負っているものは俺の想像以上に重いのかもしれない。
「それでも、無理はするなよ。俺がいるから、何かあれば頼ってくれ」
その言葉に、アリアは一瞬だけ目を伏せたが、すぐに顔を上げ、微笑む代わりに淡々とこう言った。
「…それなら、あなたに期待してもいいのかしら?」
その声には、わずかに温かみが感じられた。冷酷な悪役令嬢として振る舞う彼女も、実際には一人の少女なのだ。この夜会を通じて、俺は彼女の心の奥にある本当の姿を少しだけ知ることができた気がした。
こうして、俺たちの奇妙な「婚約者」としての日々が始まった──。
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