第10話 緊急お泊り会

 俺は通話を切って、置いてけぼりになっているグレーテに事情を説明する。


「……ということなんだけど、グレーテとしては、どう思う?」


「私は別に、クロードさんのお部屋に泊めてもらえるならそれでも構いませんよ? 元々野宿の予定でしたし」


「いやでも……男の部屋に泊まるって、嫌じゃないの?」


 というか、そこは嫌じゃなくても嫌がっておかなきゃいけないでしょ。名家の生まれとしては。変に噂を立てられたり、弱みとして突っつかれる可能性は少しでも無くしておかなきゃ。まだ幼い彼女にはわからないのかもしれないけれど。


「クロードさんなら安心ですから。何かあれば、姉さまに言うだけですし」


 そう言って、にっこりと微笑むグレーテ。手を出されたとアンジェリカさんに密告されたら、生きて朝日を拝めない。アンジェリカさんのことを知っている者ほど、彼女には近づきたがらない、か。



 寮まで戻ってくると、俺は念のため、自分の部屋の裏手に回る。三階の七号室。そのバルコニーへ向けて、吊針スティンガーを投げ入れた。せっかくなら、少しでもグレーテの存在を隠匿しておきたい。ここで彼女の姿を誰かに見られては、厄介なことになるのは避けられないだろうから。


「見つからないようにグレーテはベランダから入ってもらうから、ちょっと待っててくれる?」


「わかりました。って、ここからどうやって三階まで行くんですか?」


 その質問に答えるより先に、吊針スティンガーと彼女とを結びつけ、バルコニーまで引っ張り上げた。驚いて声が出てしまいそうだったのを、彼女は必死に堪えていた。

 無事に着地もできたらしく、こちらへ向けてにこやかに手を振ってくるので、俺も彼女へ手を振り返す。


 できるだけ早く中に入れてあげようと、俺は自分の部屋へと急いだ。


 案の定、門限はとっくに過ぎているが門は開いており、雪花スノウリリィ寮と違って門番もいない。逆に大丈夫なのかと心配になってしまうほどだ。学生の自主性を重んじるというのが、静藍ラズライト寮の気風らしい。


 俺の部屋の前には既にヘザーが壁にもたれかかるようにして、退屈そうに欠伸をしながら待っていた。なぜかスーツケースが脇に置かれている。

 俺の部屋に泊まるのに、そんなに荷物がいるのか? 何日居るつもりなんだろう。


「おかえり。……あれ、例の子は?」


「ベランダに置いてきた。これから回収するとこ」


「あんたもつくづく厄介事に巻き込まれるね。……私のこともそうだし」


 そうやって悲しそうな眼をする彼女。らしくない。俺が想像している以上に、ここ最近の彼女の心は弱っているようだった。


「お前のことは厄介事じゃないだろ。気にしすぎだ」


 彼女を部屋の中に招き入れて、ベランダで待つグレーテも部屋へ入れてあげた。


「わあ、全然何もないんですね」


「思ったより普通でがっかりね」


 俺の部屋の第一印象について二人してそれぞれの反応を見せるが、共通してがっかりしているようだった。普通なのにがっかりされるなんて、あんまりじゃないか。


「あ、初めまして、グレーテ・クラウゼヴィッツ・フォン・エッフェンベルクと申します。グレーテとお呼びください」


 上流貴族らしく、グレーテはスカートの裾を少し摘まみ上げて、優雅な所作でヘザーにお辞儀する。が、ヘザーは相変わらず不愛想に名乗り返すだけだった。


「私はヘザー・レンフィールド。好きに呼んでもらって構わないわ」


「あの……ヘザーさんとクロードさんは、お友達、なんですか?」


 純粋な疑問なのだろうが、どう答えたものか。少しややこしい関係だけに、返答に迷う。ヘザーはどう考えているだろうかと、ちらと彼女の方を窺う。と、彼女はすらすらといつも通りの回答をする。


「いいえ、友達じゃないわ。私たちは恋人なの」


 その返答に、口元の緩みを隠し切れず、興味津々に身を乗り出してくるグレーテ。あくまでヘザーは、彼女にも表向きの関係を伝えるに留めるつもりらしい。

 と思いきや――。


「というのは建前で、本当は恋人のフリをしているだけなの。でも、私はクロのことが大好きなんだけど、クロの方は乗り気じゃないみたいで、なかなか本当の恋人にはなれなくて……」


 そんなことを言いながら、俺の腕にしがみついてくる。よくもそんな平然と嘘がつけるよな。


「えっ、そうだったんですか!?」


 おいおい、純粋無垢な少女を弄ぶなよ。完全に信じちゃってるじゃないか。


「嘘は良くないだろ。お前が俺のことが大好きだなんて、初耳だぞ」


「そりゃあ、言ったことないし」


「え、嘘なんですか? どこまで本当なんですか?」


「半分くらいは本当だよ」


 へらへらとそう返すヘザー。それじゃあどの部分が本当なのかわからないじゃないか。しかし、こうして誰かをからかっている時の彼女は、少し楽しそうに見えた。きっとこの姿が、素の彼女なのだと思う。


「それで、グレーテちゃんは今日ここに泊まるんでいいの?」


「はい! あ、クロードさんさえ良ければ、ですけど」


 グレーテは申し訳なさそうな目を向けてくるが、今更断れるわけがない。


「いいよ。二人がそれでいいなら」


「ありがとうございます!」


 予定調和というか、こうなるべくしてなってしまったような気がしてならない。誰かが糸を引いていたりしないだろうか。びっくりするほど簡単に物事が進んでいる気がする。


「じゃあグレーテちゃん、一緒にお風呂入ろうか。大きさ合うかわからないけど、服も貸してあげるよ」


 それで荷物が多かったのか。電話では乗り気じゃなかったくせに、気にかけてはいたのだろう。


「何から何まで、ありがとうございます」


「俺はその間に夕飯の支度でもしておくよ」


「いくら私たちが魅力的だからって、覗かないでよ?」


「覗かないから早く行ってこい」


 俺を何だと思っているんだ。そうやって巧みな情報操作で俺の間違った人格をグレーテに刷り込まないでほしい。


 部屋の構造上、キッチンと脱衣場はドア一枚を隔ててすぐ後ろにある。風呂場は脱衣場とさらにもう一枚の扉を隔てているのだが、彼女らの声は良く通るのか、話の内容がわかるほど聞こえてきてしまう。


「ヘザーさんって、クロードさんとはいつからお付き合いされてるんですか?」


「一年の頃からよ。一年の双葉杯リブラの頃からだから、もうすぐ二年になるわね」


 彼女に話を持ち掛けられたのは、丁度その頃だったか。懐かしい。周りにアピールする絶好の機会だからって、そのタイミングを選んだんだったな。


「もうそんなになるんですね! 二年も一緒だと、その……きっ、キス、とか、したことあるんですか?」


「そりゃあもう、毎日のようにしてるわ。挨拶みたいなものよ」


 嘘を吐くな、嘘を。キスなんて一度もしたことないじゃないか。


「ええ~、そ、そんなになんですね。あの……恋人だと、やっぱり……え、エッチなこと、とか……するんですか?」


「恥ずかしいけれど、私たちはまだそういうことはしてないの。クロはしたいみたいなんだけどね。そういうのは、せめて後期になってからってことにしてるわ」


 だから嘘を吐くなって。そんな話聞いてないし。


「へぇ~、真面目なお二人なんですね。なるほど、なるほど」


「グレーテちゃんは、誰か気になる人でもいるの? 強いし可愛いし、モテモテじゃない?」


「いえいえ、私なんてそんな」


 そうは言っても、彼女のその声は満更でもなさそうだ。お世辞だとは思っていないらしい。ヘザーの方も、どういうつもりで言ったのかはわからないが。


「今は気になる人はいませんけど、そういう人ができた時のための、参考です!」


「あんまり参考にならないわよ、私たちは」


 確かに、ぜひ参考にはしないでいただきたい。俺たちは普通の恋人とは違う、特殊な関係だから。


「ちなみに、ヘザーさんって、クロードさんのどこが好きなんですか? あ、悪い意味じゃないですよ? 二年も一緒に居られるって、ちゃんと好きなところがあるからですよね。それってどういうところなんだろうって、気になって」


 それは俺も気になる。彼女がどういう返答をするのかもそうだが、実際のところ、彼女はどう思っているのだろう。恋人のフリとはいえ、もう二年経つわけだ。居心地が悪かったりしないだろうか。後悔していたりしないだろうか。


「クロの好きなところ、か。それはね……」


 なんだかその言葉の続きを聞くのは申し訳ない気がして、俺は早々に作業を切り上げ、この場を離れた。

 本当は聞きたい。でもそれは、彼女の口から直接聞くべきだ。盗み聞きするのはフェアじゃない。

 逆に、俺ならどう答えるだろうか。ヘザーの好きなところはどこかと聞かれて、何と答えるかな。二人が風呂を上がるまで、そんなことを呆然と考えていた。

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