第11話 ヘザーの苦悩

 二人が風呂を出た後で夕食を終え、俺も風呂に入った。その間に二人は夕食の洗い物を済ませてくれていたらしい。ヘザーが貸してやった服も、グレーテには少し大きいが、着れないほどではないようだ。


「ベッドは二人で使いなよ。俺は適当なところで寝るから」


「というか、グレーテちゃんはもうほとんど寝ちゃってるけど?」


 見ると、グレーテは既にベッドで倒れるように眠ってしまっていた。彼女はまだ十二歳になったばかり。あまり遅くまで起きてはいられなかったのだろう。他人のベッドでは寝られないのではないか、なんて心配もしていたが、杞憂だったようだ。


「この分だと、ベッドはグレーテちゃんに譲るしかなさそうね」


 穏やかな寝息を立てるグレーテに、ヘザーはそっと布団をかけてやっていた。


「お前はどこで寝るんだよ?」


「あんたの隣。いいでしょ? 恋人らしくて」


 “恋人らしさ”を求めようとする彼女は、無理をしていないだろうか。彼女の心が弱っているのは、本当に俺との関係のせいじゃないだろうか。


 同じ毛布にくるまって隣に座る彼女。しかし彼女は本当の恋人ではない。本当の恋人などいらないから、俺と彼女は恋人なんだ。


「なあ……いつまでこれ・・を続けるつもりなんだ?」


「……そろそろ嫌になってきた?」


「そういうことじゃない。お前は無理をしてないのかってことだよ」


「優しいね。惚れちゃいそうだよ」


 そう軽口を叩く彼女に少し腹が立って、思わず彼女の方を向くと、彼女は静かに涙を流していた。


「……私ね、どうしたらいいのかわからないんだ。クロとの関係も、結局は逃げているようなものだし。クロの言う通り、いつまでもこうしているわけにいかないっていうのもわかる。私はお姉ちゃんのように強くもないしね。詰まるところ、私は家の付き合いのために、どこかの貴族様に差し出されるくらいしか使い道がないんだよ」


 痛々しいほどの悲壮感を纏った彼女。しかし、彼女の抱える問題をどうにかしてやる術を、俺は持たない。それに、俺はただでさえレンフィールドの家に肩入れはできない立場だ。俺には、彼女の肩を抱いてやるくらいしかできない。……“恋人らしく”。


「どちらにせよ、今年までだから。今年、序列三十位以内に入れなかったら、私は学園を辞めさせられる」


「おい、そんなの聞いてないぞ。今年中に三十位以内って……」


 俺でさえ、今の序列は四十一位。対するヘザーは五十位。一気に序列を上げるのは、一回や二回勝ったぐらいでは難しい。毎回着実に勝ちを重ねていかないと、一時的には上がってもすぐに他に追い抜かれる。

 それを彼女もわかっているから、そんな諦めたような口ぶりなのだろう。


「言ってなかったからね。今年は最後だし、クロの試合を外で見ようかな。……結局ね、私が結果を出せてるのは、双葉杯リブラ聖夜杯ノエルくらいなんだよ。クロのおかげ。私の実力じゃないから」


 それはつまり、今年はペアを解消するということだろうか。一年の頃から偽装恋人関係を続けてきて、毎年双葉杯リブラ聖夜杯ノエルにペアで出場してきた。優勝はできなくても充分な成績を収められたと思っていた。でも彼女は、もっと高いものを要求されていたのだ。


「……でも、精一杯やれよ? 勝手に諦めて、自分の限界決めつけて、手を抜くなよ? お前だって、まだやれるかもしれないだろ。これからリリアナさんを超えるくらい、強くなるかもしれないだろ。想像してみろよ。お前のことを勝手に決めつけて見限っていた家の奴らが、次期当主よりも強くなったお前を見たら、どんな顔するか」


 これまで終始泣きそうな顔をしていた彼女は、俺の言葉にふっと笑みを見せた。何言ってんの、バカみたい、と悪態をついて。


「……人が諦めようとしてるのに、嫌なこと言うね、まったく。たしかに、大人の目論見通りになるなんて、面白くない。せめて何か一つ、度肝を抜いてやりたいわね」


 よかった。少なくとも、彼女自身は後ろ向きにならず、この一年を過ごしてくれそうだ。


「もし私が三十位以内に入れたら、その時は……少し前向きになってみようかな。ね、クロって年上のひと好きでしょう?」


「な、なんだよ突然……」


 俄然生き生きとした表情で、脇を突っついてくる。たしかに、どちらかと言えば年上の方が好みではある。アストさんとか、フランさんとか。アンジェリカさんみたいな人は苦手だけど。


「私も一応、年上のお姉さんなんだけど、どうかな?」


 星嶺心技学園アストレリアの学年は年齢にかかわらず、入学した年を一年生とする決まりがある。そのため、同じ学年でも年齢が違うということはままあることだ。実際 彼女の言うように、俺は十三歳だが、彼女は十四歳。年上のお姉さんという点では、たしかに間違いはない。


 彼女の言う、どう、というのは、お姉さんに見えるか、ということだろうか。それとも他に意味があるのだろうか。


「どうって……何が?」


「ううん、何でもない。……おやすみ」


 俺の肩に寄りかかるようにして、彼女は瞼を閉じる。このまま眠ってしまうつもりなのか。身体、痛くないのだろうか。そんな心配はありながらも、その頭を優しく撫でてやる。せめて寝付きだけでも良いといいんだけど。


「おやすみ、ヘザー」


「……ありがとう、クロ」


 そう呟いた声が聞こえた気がしたが、見れば、彼女は既に寝息を立てていた。



 朝になって、目を覚ますと、にこにこと微笑みながらこちらを見つめる眼差しと目が合った。


 昨夜は俺の肩に寄りかかっていたはずのヘザーは、いつの間にか俺の膝の上に頭を移していた。彼女を起こさないように、膝の代わりにクッションを入れて、そっと抜け出す。


「おはよう、グレーテ」


「おはようございます。いいんですか?」


 そう言いながら、彼女は視線をヘザーへ向ける。


「いいんだよ。しばらく寝かせてやりたい。グレーテは、もう自分の部屋に帰る? そろそろ門も開いてると思うけど」


「そうですね。あまりお邪魔しても悪いですし」


 またにやにやと口元を緩めるグレーテ。ヘザーが妙なことを吹き込むから、何か変な誤解をしているんじゃないだろうか。


「ヘザーのことは、気を遣わなくていい。帰るなら、送っていこうか?」


「では、お言葉に甘えて。正直に言うと、まだ道もよくわからないんですよね……。なので、お願いできますか?」


「わかった」


 俺は簡単に身支度を済ませ、ヘザーが起きた時のためにメモを用意しておいた。


 寮の部屋は自動ロックになっており、扉が閉まれば自動で鍵が掛かる。開ける時は、扉の錠部分に端末をかざして認証させてからタッチパネルに暗証番号を入力するという二重認証システムが採用されている。中からは手動で解錠できるので、ヘザーを部屋に残していっても大丈夫だろう。


 グレーテと一緒に部屋を出て、できるだけ人目につかないように、彼女を雪花スノウリリィ寮まで送り届ける。朝になれば見られたとしてもいくらでも誤魔化しは利くが、それでも見つからないに越したことはない。


「たくさんお世話になっちゃいましたね。何かお礼をしないと。何がいいですか? 私にできることなら何でもいいですよ?」


 道中、彼女はそんなことを口にする。彼女を案じる身としては、あまり滅多に口にしてほしくないセリフだ。誰にでも言うわけではないと信じたいけれど。


「じゃあ、新星杯ノヴァまでに一度、手合わせをしてくれない?」


 新入生である彼女の情報は少なすぎる。新星杯ノヴァで当たる前に、どうにか彼女の手の内を見ておきたかった。少しズルいかもしれないが、彼女が何でもと言うのだから俺が気にすることは何もないはずだ。


「いいですよ。たしか、対戦表が発表されるまでだったら、参加者同士で模擬戦をしても大丈夫なんでしたよね?」


「そうだよ。日時は任せるから、都合のいい時に連絡をもらえるかな」


「わかりました。負けても泣かないでくださいよ?」


 模擬戦と言えど、負ける気はさらさらないらしい。その自信が過信でないか、本番前に確かめておけるのがどれだけ安心できることか。俺としては、それだけアンジェリカさんの妹という点を警戒しているのだ。


「随分と強気だね。俺も負けるつもりはないけど、負けてもあることないことお姉様に言わないでくれよ?」


「クロードさん、本当に姉さまが苦手なんですね」


 くすくすと笑われてしまうが、俺にとっては決して笑い事で済む話ではないのだ。


「本当に、ありがとうございました。ご迷惑おかけしました」


 寮の前に着いて、彼女は再度、俺に頭を下げた。気にしなくていいと言っても、彼女自身がそれでは納得いかないらしい。


「いいよ。また何かあったら遠慮なく頼ってくれていいんだからね」


「はい。あ、ヘザーさんには、洗って返しますとお伝えください」


 それだけ言い残して、彼女は雪花スノウリリィの門をくぐっていった。

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