第9話 雪花寮の後輩

 少しして身体を放してくれたフラン先輩は、トレーニングメニューを考えたいから明日はいつもの手合わせを休みにすると言って、この場を後にした。

 その姿を見送った後で、アストさんは撒き散らしたスティンガーをまとめて引っ張り上げるようにして回収していた。


「使ってみた感触はどうだった?」


「フラン先輩も本気じゃなかったと思いますけど、まあまあだったかな、という風には。もう少し練習して使いこなせるようにして、新星杯ノヴァで早速使ってみます」


 まだ手の内がバレていない最初だからこそ、期待以上に効果を発揮するだろう。ただ、仕組みに気付かれれば対策されかねないから、無策に多用するのは危険だ。使いどころには気を付けないと。


「今日は時間作ってくれてありがとうね」


「いえ、こちらこそ、ありがとうございました」


 アストさんがいつも帰り際にだけ見せてくれる微笑みを拝んだ後、俺は彼女と別れて帰路に就く。アストさんのいる紅灯ノブルトーチ寮と、俺のいる静藍ラズライト寮は真逆の方向だ。どうせなら、同じ寮のフラン先輩の後についていけばよかったと、今更ながら思う。


 寮の門限も各寮ごとに決まってはいるが、静藍ラズライト寮は比較的規則の緩い寮なので、あまり厳密に取り締まられてはいない。時間は少し遅くなってしまったが、ある程度のんびり帰っても大丈夫だろう。


 そう思いながら、旧図書館近くにある温室の前を通りかかった時だった。


 突然 温室の扉が開き、中から飛び出してきた誰かとぶつかってしまった。相手は俺よりも小柄だったらしく、俺は何ともなかったが、飛び出してきた相手の方が尻餅をついてしまっていた。

 濃い茶色の髪に、碧い瞳。そのまだあどけない顔に、どことなく見覚えのある顔がちらついた。


 俺が手を差し出す前に、彼女は自分で立ち上がり、制服に付いた砂を払い落とす前に深々と頭を下げた。


「ごめんなさい! 急いでて、ちゃんと前見てなくて……」


「いえ、俺の方は大丈夫です。お嬢さんの方こそ、お怪我はありませんか?」


「はい、私は大丈夫です。あの、すみませんが、これで失礼します!」


 余程急いでいたらしく、彼女は俺にもう一度頭を下げて、慌てて駆け出していった。

 そのつむじ風のような少女の後ろ姿を呆然と眺めていると、すぐに踵を返した彼女が戻ってきた。何か落としたのだろうか。特に周りにそれらしいものは見当たらないが。


「あの、お急ぎでなければ伺いたいのですが……」


「どうされました?」


雪花スノウリリィ寮って、ここからどう行けばいいんでしょうか」


 雪花スノウリリィ寮は女子寮で、規則の厳しい寮としても有名だ。ちらと端末で時間を見てみると、雪花スノウリリィ寮の門限まではあと十数分といったところか。慌てるわけだ。正直、ここからだと普通に行ってももう間に合うかは怪しい。


「ここからですと……口頭で説明するとややこしいので、お送りしましょうか?」


「ありがとうございます! 私、グレーテといいます」


「グレーテ・クラウゼヴィッツ・フォン・エッフェンベルク嬢、ですよね?」


 こんなに早く彼女と会うことになるとは思わなかった。

 アンジェリカさんの妹で、名門貴族・エッフェンベルク家の次女。噂では、アンジェリカさん以上の才覚の持ち主だとか言われているらしい。現序列一位より上の才能を秘めているとは、末恐ろしいことだ。


「私をご存じだったんですか?」


「まあ、有名人ですからね。俺はクロード・フォートリエです」


「あなたが……。せっかくなのでゆっくりお話ししてみたかったですけど、またの機会にお願いできませんか?」


「ええ、もちろんです」


 こうしている間にも、俺は彼女の手を引いて歩きだしていた。さすがに悠長に話していられる余裕もない。それに雪花スノウリリィ寮の寮長はたしか、かなり厳格で一秒でも遅れることを許さず、遅れれば寮に入れてもらえないと聞く。


「あと、そんなに改まらなくていいですよ。ここでは私は一介の新入生に過ぎませんから」


「では、お言葉に甘えさせていただきますが、くれぐれも、お姉様には内緒にしてくださいね」


「ふふっ、わかりました」


 こういう時、浮走靴エアフローターを使えたら……と思ってしまう。一定の範囲内であれば吊針スティンガーも有用だったのだろうが、設置位置まで自分を引っ張るだけに過ぎない吊針スティンガーは、単純な移動には向かないな。覚えておこう。


 幼い才媛の手を引いて雪花スノウリリィ寮へ駆けていく間、俺と彼女は言葉を交わすことはない。お互いに、話している暇などないとわかっているからだ。事態は一刻を争う。


 今、どのくらい経っただろうか。時間を確認している時間さえ惜しい。


 しばらく行くと、雪花スノウリリィ寮の門が見えてきた。律儀にも門の前には雪花スノウリリィ寮長である、ジャンヌ・ボンフォワ・シャトーブリアンの姿がある。門限を知らせるチャイムと共に、門を閉めるつもりなのだろう。


 すると、鈍い鐘の音が無情にも鳴り響いた。ちょうど門限になってしまったらしい。見えてはいるが、まだ門までは幾分かの距離がある。こんな目の前でみすみす締め出されるなんて、あまりにもグレーテが可哀そうだ。いや、ジャンヌさんは既に門を閉め始めているが、閉め終わる前に通り抜ければいいはずだ。


 俺は吊針スティンガーを門の方へ投げ、一か八か、グレーテを吊針スティンガーに繋いで思いっきり引っ張ってやった。


「えっ、何これ?! 身体が勝手に……っ!」


 彼女は初めての感覚に動揺しているようだが、それを気にしてもいられない。まだチャイムは鳴り終わっていない。これなら、届く……!


 しかしその期待は、あっさりと裏切られることとなる。門まで勢いよく飛んでいく彼女の身体を、門を閉め終えたジャンヌさんががっちりと捕えたのだ。


「これはこれは、一年生首席のグレーテじゃないか」


 皮肉たっぷりに嫌味たらしく笑う声が、ここまで聞こえてくる。グレーテも引き攣ったような苦笑いを浮かべながら、どうにかジャンヌさんの機嫌をこれ以上損ねないように恭しく振舞っていた。


「あはは……ごきげん麗しゅう、シャトーブリアン様」


「こんな時間までお出かけかい。門限は何時だって教わったんだい?」


 雪花スノウリリィ寮は特に、口を酸っぱくして門限を叩き込まれると聞く。間に合わなかった時の言い訳をさせないためなのだろう。


「えっと、十九時、です……。ごめんなさい、迷子になってしまって」


「それを考慮に入れて、普通は帰ってくるんだよ」


 ジャンヌさんにぴしゃりと言い返されるグレーテ。さすがにこれは正論だ。反論の余地はない。


「今晩は外で頭を冷やしな」


 たしかに正論ではあるのだが、その処遇はあまりに酷くはないだろうか。相手はまだ一年生だというのに。そう思った俺は、部外者でありながら二人の間に割って入った。


「待ってください」


「……何だ? お前は」


静藍ラズライト寮の、クロード・フォートリエです。一度間に合わなかったくらいで野宿は厳罰が過ぎませんか? 相手はまだ新入生。それにほとんど間に合っていたじゃないですか」


 厳罰を軽減するだけの理由は揃っているはずだ。万事万人に適用されるルールは、必ずしも良いとは思えない。


「これだから静藍ラズライトの甘ちゃんは……」


 そう大きくため息を吐いて、ジャンヌさんは続ける。


「ルールは守るためにあるんだよ。破ったら罰を受ける。新入生だとか、もうちょっとだったとか、そんなのは関係ない。新入生だったらもっと慎重に行動する。もうちょっとでも遅れは遅れ。どんな事情があったにせよ、ルールを守れなかったことに変わりはないんだよ」


 そう言われては、どうにも返す言葉がない。こちらに非があるのは事実で、相手の言っていることは真っ当すぎる。甘えと言われれば、たしかにそうだ。というか、そもそもあんな時間まであんなところにいたグレーテが悪い。根本的に。申し訳ないが、それは曲がりない事実だ。諦めてもらうしかない。


「わかったらどこへでも行っちまいな。朝になったらまたおいで」


 無情にもそう突き放されて、俺とグレーテは途方に暮れる。


「……ごめん、グレーテ。間に合わなくて」


「いえ、私が時間を忘れていたのがいけないんです……。巻き込んでしまってごめんなさい。大人しく、今日は外で寝ます!」


 何故か少し楽しそうにそう宣言するグレーテ。こんな幼気な女の子一人を野宿させたら、何があるかわかったものではない。いくら学園内と言ったって、どこもかしこもが安全というわけではないのだから。


「いやいや、さすがにエッフェンベルクのお嬢様を野宿させるわけにもいかないって。そうだな……アストさんのところに泊めてもらうとか」


 アストさんなら事情をわかってくれて、引き受けてくれそうではある。しかし、グレーテとしては気が進まないようだった。


「アストリット先輩って、紅灯ノブルトーチ寮でしたよね? できれば、そこはちょっと……」


「あ、そうか、紅灯ノブルトーチはアンジェリカさんの……。アンジェリカさんに見つかったら、えらい怒られそうだな……」


 妹の失態を知れば、家の恥として厳しく叱りつけるかもしれない。自業自得ではあるが、それも少し可哀そうだ。


「でも、フラン先輩はなぁ……今はちょっと、頼みづらいし」


 フラン先輩には強引にお願いを聞いてもらえる切り札はあるが、俺がそのカードを切るのはやはり躊躇われる。フラン先輩は根がいい人なだけに、アストさんのように彼女を脅迫するのは心苦しい。


 そう考えてみると、俺は案外友達がいないらしい。同学年の友達として心当りがほぼないというのは、あまりにも悲し過ぎないだろうか。


 彼女自身の友人に頼んでみるという手もあるのだろうが、それでは彼女としても、やはりみっともない姿を友人に見せてしまうことになる。学年首席で名門の生まれの彼女の失態を、黙っていてくれる者ばかりとも思えない。


 しかし少し考えると、同学年の知り合いで一つ心当りができた。あまり広めたくはない話だし、話す相手は最小限にしたい。それに彼女なら、なんだかんだ文句を言いながらも引き受けてくれそうな気もする。


 俺はすぐに端末で彼女に連絡を取ると、すぐに繋がった。


「あ、もしもし。今って部屋にいる?」


『いるけど……何か用?』


「今晩、泊めてほしい人がいるんだけど」


『泊めてほしい人、ってどういうこと? あんたが泊まるんじゃなくて?』


 俺が泊まる分にはいいみたいな口ぶりだ。泊まったことはないけれど、お願いすれば許可してくれるのだろうか。


雪花スノウリリィの門限に弾かれた後輩がいるんだけど……ほら、雪花スノウリリィって女子寮じゃん? 俺の部屋に泊めるわけにもいかないでしょ?」


『……その後輩って?』


 聞かれるとは思ったが、ここが一番のネックだった。彼女自身はエッフェンベルク家と直接的な確執はないが、彼女の姉は違う。家という規模で見れば、エッフェンベルク家とレンフィールド家を関わらせるのはできるだけ避けたいことではあった。ただ、彼女と同じように、グレーテもレンフィールド家と直接的な確執はないのだ。家の次女同士なら、上手くやれないだろうかと思ってのことだった。


「……エッフェンベルクの、妹君」


 それを伝えると、電話口の向こうで呆れたと言わんばかりの大きな嘆息が聞こえた。


『ちょっと、冗談でしょ? もし私の部屋に泊まったことが姉君にバレたら、妹さんだってタダで済まないんじゃないの?』


「でも、他に頼める相手いないし……。アストさんはアンジェリカさんと同じ紅灯ノブルトーチだからダメだし、フランさんは……まあ、ちょっと色々あって」


 すると、彼女は突拍子もないことを提案してきた。


『あんたの部屋に泊めればいいんじゃないの?』


「どうしてそうなる。女子だって言っただろ」


『私も一緒に泊まってあげるから』


「だから、どうしてそうなる」


 そもそも彼女自身は、俺の部屋に泊まることを良しとしているのだろうか。一度だって、お互いの部屋に泊まりに行ったことなどないだろうに。


『とりあえず、これからあんたの部屋に行くから。そこで話を聞くよ』


「わかった」


 話を聞くなんて言いながら、結局そのまま押し切られて泊まる流れになりそうだな。そうは思ったが、それ以上の妙案が浮かぶわけでもなく、彼女の提案に従うほかなかった。

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