第3話 激闘の後で

「残念だったね、アストリットさん」


 会場内よりは随分と閑散とした競技場前の広場に出て、ヘザーは特段感情を込めた様子もなく話を振ってきた。

 俺としても、師匠であるアストさんが序列一位に勝つところを見たかった。それに、勝てると思っていた。でもそれは、俺が勝手に思っていたことだ。それで少しがっかりしている自分がとても恥ずかしくて、情けなくて、アストさんに申し訳なく思えてくる。


「勝ってほしかったけどなぁ。でも、相手が悪すぎたか」


「そうかな、わりと紙一重だったんじゃない?」


 ヘザーはそうフォローしてくれるけれども、あれはほとんど完敗だったように思う。アストさんだって、そう思っているだろう。

 試合の中盤くらいから、俺にはアストさんの勝ち目はほとんどなかったように思えた。“強襲散弾ホーミング・シャワー”のせいで、完全にペースを乱されたところがあった。


「そんなことないって顔してるね。まあ終わったことは切り替えて、自分のことも考えていかないとね。来月って言ってもすぐだから」


 来月、五月の大会グランフェスタ新星杯ノヴァ。今度は逆に、俺たち前期生のみが出場できる大会だ。俺は今年、前期の最高学年である三年生。周りとの実力差も小さく、優勝できる可能性も高い大会だと思っていた。


「そうだよな。試合の結果に一喜一憂してるだけなら観客と一緒だし、俺もここの学生である以上、目の前の試合から何かしら学んで自分の試合に活かさないとな」


「なんだ、思ったより凹んでなさそうで安心したよ。じゃあ私は先に帰るから、また学園でね」


 やはり彼女は俺のことを心配してくれていたらしい。彼女はあまり素直に気持ちを吐露してくれる方ではないが、最近はこうして言葉にしてくれる機会が増えた気がする。


「今日は付き合ってくれてありがとう、ヘザー」


「そんな、いいって。私も見たい試合だったし」


 寮の方へ帰っていく彼女の背を見送って、俺はアストさんがいるであろう競技場の医務室へ向かった。

 当然のことながら試合に怪我は付き物で、競技場には医務室があり、医療スタッフが常駐している。心素エモは感情のエネルギーなので、必要があればメンタルケアまでしてくれる。

 アストさんはほとんど傷を負っていないようだったし、念のための検査が終われば帰してもらえるだろう。もし彼女の都合がつくならば、少しだけ話がしたいと思っていた。



 思った通り、ちょうど医務室の前でアストさんと鉢合わせた。もう制服に着替え終わり、これから帰ろうかというところだったらしい。

 試合用ユニフォームでなくても、きっちり長袖のブラウスとタイツで両腕両脚を覆い隠している彼女。あれだけの激闘があったにもかかわらず、それを感じさせないほど涼しい顔をして、少し背の低い俺の方へ視線を遣っていた。


「わ、クロ。びっくりした」


 そんなことを言うが、まったく動じている風には感じられない。アストさんはあまり表情が変わらないので、気持ちを読み取るのが難しい。それに、いつも冷静沈着で聡明な彼女が、これしきのことで驚くとも思えなかった。


「あ、えっと……お疲れ様です」


「試合、見てくれたんだね。それなのに、あんな不甲斐ない負け方しちゃって。師匠としては恥ずかしいな」


 そう言う時も、先ほどと表情はほとんど変わっていない。

 俺の方から言う前に、少し話そうか、とアストさんの方から誘ってくれた。一応、表向きは師弟関係を伏せているため、競技場を出てすぐの林道を通り、人目につかないところへと入っていく。


 この先にはもう使われなくなった旧図書館があり、アストさんがよく入り浸っている。扉には鍵がかかっていて中には入れないようになっているのだが、アストさんは窓を一度壊して外からも開閉できるように付け替えて、その窓から中に出入りしていた。人気ひとけがないどころか、存在を知っている者がどれだけいるのかという場所なので、こうしてこっそり会うには適した場所ではあった。


 アストさんの後について辿り着いたのは、やはり旧図書館の前だった。建物脇の窓から当たり前のように中へ侵入する彼女の後に続いて、俺も窓を通って中へ入る。

 もう使われていないにしては、埃が積もっているわけでもなく、綺麗に整頓されている。つい最近まで使われていたかのようだ。アストさんがこまめに掃除しているのだろう。


「やっぱりアンジェリカは強いよ。早めに決着できなかった時点で、わたしの負け。クロはちゃんと、わたしの失敗から学んでね」


「いやいや、あれは相手がアンジェリカさんだからですよ。それに俺は、アストさんほど近距離クロスレンジに長けているわけじゃないですし。そう言うアストさんこそ、準決勝や準々決勝では長距離ロングレンジを主戦場にしているアリーセさんやフランシーヌさんに勝ってるじゃないですか」


 アリーセさんもフランシーヌさんも、序列一桁クラスの“情操ホロウ”使い。近接戦クロスレンジに持ち込まれたら苦しいのが“情操ホロウ”使いだが、彼女らに至ってはむしろそれを狙って近距離アタッカーを蹂躙じゅうりんしている節がある。

 それを向こうの狙い通りに誘い込まれたうえできっちり返り討ちにしたアストさんは、相当な実力の持ち主と言える。しかも恐らくそんな芸当は、アストさんくらいにしかできないのではないかと思っていた。

 当然、俺なんかではまだまだそんな領域には程遠い。


「それはそれ、これはこれ。クロはいずれ、わたしに勝てるようになりたいんでしょ? だったら、アンジェリカと同じことをやれば勝てるんじゃない?」


 俺はアストさんに勝てるようになるために、彼女に弟子入りした。いや、もっと言えば、この学園で一番強くなるためだ。アストさんやアンジェリカさんに勝てないようでは、最強の座は掴めるはずもない。

 そうは言っても、どうしても現実的に考えてしまう自分もいた。


「確かに理屈的にはそうでしょうけど……随分と無茶を言いますね」


「まあ、今は無理だよね。ごめんね、意地悪言って。じゃあせめて、来月の新星杯ノヴァでは前期生の一番になってみせてよ」


「ええ、それはもちろん。前期生だけの大会なら、俺にだって充分勝機はあると思っていますから」


 次の新星杯は、アストさんにも優勝することを期待されている。去年はギリギリでベスト8に残れたとはいえ、充分に結果を出せたとは言い難い。アストさんだって三年の頃は新星杯を優勝した。俺だって同じように優勝して、少しでも彼女と肩を並べたい。


「もし、クロがわたしの弟子だって公表しても恥ずかしくない成績を残せたのなら、ペアで出れるどこかの大会で一緒に組んであげるよ」


 逆に言えば、今の成績ではまだ公表するには恥ずかしい成績ということか。もう三年も学年首席で居続けているアストリットさんに比べて、一度も首席の座に就いたこともなければ優勝したこともない、ただの平民の俺が彼女の弟子だと明かされれば、不満を持つ者もいるだろう。俺なんかより自分の方がアストさんの弟子に相応しい、今からでも弟子にしてほしいと名乗り出る者もいるだろう。そもそもそういった厄介ごとを避けるために、アストさんは弟子を取らないことを公言してきたらしいのだ。

 もし俺がアストさんに負けず劣らずの戦果を上げ、学園でも指折りの存在になれたなら、自分の方が、などと言ってくる輩は少ないだろう。彼らより俺の方が相応しいと、俺もアストさんも堂々と言えるはずだ。だからアストさんのためにも、俺は彼女の期待する戦果を上げたい。それが、俺を鍛えてくれるアストさんへ俺が返せる数少ないものだ。


 でも、そもそもアストさんはどうして俺なんかを弟子にしてくれたんだろう。弟子を取らないと公言しているくらいなのに。わざわざ周りに隠すなんてリスクを冒してまで、俺を弟子にしてくれた理由は何なのだろう。


「あれ、クロ、聞いてる? わたしと組むの、そんなに嫌だった?」


 ぼんやり考えていたら、アストさんに心配されてしまった。せっかく夢のような提案をしてくれているのに、それを受けないわけにはいかない。


「すみません、感激のあまり固まってました。アストさんと組んで大会に出るなんて、俺が思い描いていた夢の一つだったので。それが叶うかもしれないと思ったら、逆になんか現実感がなくて」


「そっかそっか。まあ、クロが勝てれば、の話なんだけどね。あと、一つ訂正しておくと、一緒に組んで大会に出るんじゃなくて、一緒に組んで大会で優勝するんだよ。そこは間違えないでね」


 それはそうだ。出るからには勝つ。勝って勝って、一度も負けなければ、そのまま自然と優勝に手が届く。アストさんとなら、誰にも負けない気がする。


「さすがに今日は疲れちゃったから、稽古はまた明日ね」


 大会期間中は、アストさんとの稽古は休みということになっていた。大会中に消耗するのは非合理的だし、大会期間中はその間にしかできないことをしようと彼女が提案してくれたのだ。

 もうしばらくしたら新星杯のエントリーが始まるから、また稽古を休みにしてそれに集中することになる。だから限られた稽古の時間は無駄にはできない。次の新星杯ノヴァまでの課題を、自分でも考えておかなければ。


「はい。また明日から、よろしくお願いします!」


 アストさんはもう少し旧図書館に残ってやることがあるらしく、俺だけ先に寮に帰った。



 こうして、四月の大会・観覧杯エルダーは幕を閉じた。そして来月の大会・新星杯ノヴァの幕は、もう既に静かに上がりつつあった。

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