第2話 最強の座をかけて

 まず真っ先に仕掛けたのはアストさん。瞬きする間にも、百メートル以上あったアンジェリカさんとの距離は、もう手を伸ばせば届くほどになっていた。これがアストさんが“神速の舞姫”と呼ばれる所以であり、彼女の浮走靴エアフローターの性能だった。

 心素エモをエネルギー源として地面からわずかに浮くことで、まるで氷上を滑るような高速移動を可能にする装備品。かなり適性に左右される装備で、完璧に使いこなせる者はそう多くない。アストさんは現役では最高の浮走靴エアフローターの使い手だろう。


 一気にアンジェリカさんの懐に迫ったアストさんは、腰に提げていた両手で握れる程度の棒状のものを取り出す。するとその先端から、淡い光を放つエネルギーの刃が長く伸び、鍔のない片手剣の形を取った。

 心素エモの出力を安定させて、柄の部分だけの本体から心素エモの刃を出現させ、剣の形を作り出す武器・自在剣ネオブレード。出力に応じて刃の形状を自在に変えられるため、場面や使い手を選ばず、近接戦闘では最もよく使われる標準的な武装だ。


 アストさんは身体を低く沈み込ませるようにしながら、右手に持った剣を身体の後ろに潜ませて、左から横薙ぎに勢いよく振り抜いた。

 あわよくばこの一撃で決めてしまいたい。そんな思惑も感じ取れるくらい、この一瞬には計り知れないほどの集中力と精密さを賭しているのだろうことが、見ているだけでも伝わってくる。


 それほどの気迫を以って剣を振るっても、そう簡単にいかないのが序列一位。アンジェリカさんも自在剣ネオブレードを抜いて、アストさんの剣撃をいとも簡単に受け止めた。

 必勝を期した一撃を防がれ、アストさんは地を蹴って退き、一歩分の距離を取る。


「今の、決められなかったのは辛いね」


 隣のヘザーがぼそっと溢したのが聞こえた。彼女もフィールドから目を離せていないだろうから、誰に言うでもなく零れた感じなのだろう。


 目で追うのもやっとという攻防だったが、またすぐにアストさんが攻めに転じ、流れるように戦況が移り変わっていく。


 アストさんが速さを活かして、瞬時にアンジェリカさんの死角に回り込んだ。彼女がそこから鋭い斬撃を繰り出しても、アンジェリカさんは無駄の無い必要最低限の動作でそれを受け流す。

 確かにアストさんの攻撃は受けられてはいるものの、アンジェリカさんもまた、攻めに転じることができずにいた。攻撃を防いではいても、そこから反撃の糸口となるアストさんの隙を作り出すことができていない。

 いくらアンジェリカさんと言えども、アストさんの速さについていくにはこれが精一杯なのかもしれない。


 しかしここでまた、膠着していたように見えた状況が一変する。アストさんの剣を受けずにかわしたアンジェリカさんは、剣を持たない左手で自在砲バリアブルアサルトを取り出し、距離ができたその一瞬を逃さず無造作に乱射する。

 自在砲バリアブルアサルトも弾丸は心素エモのエネルギーを圧縮したもので、単純に真っ直ぐ飛ぶものばかりではない。無造作に乱射された弾丸は、一旦はそこかしこに散らばって飛んでいくものの、すぐに軌道を変えてアストさんを狙い撃つように向かっていった。

 追尾弾ホーミングの一つひとつをアストさんが浮走靴エアフローターのスピードで振り切ろうとするその間にも、アンジェリカさんがまた新たに追尾弾ホーミングの弾幕を展開し、距離を詰めさせない。


 さっきヘザーが言ったように、こうなることがわかっていたからこそ、アストさんは最初の速攻で決着をつけられたなら、と思っただろう。


 アストさんは休む間もなく次々に撃ち込まれ続ける弾丸を、剣でいなしたりかわしたりしているものの、守るばかりで次の一手に繋がらない。フィールド上には倒壊したビルの瓦礫のような遮蔽物こそあれど、追尾弾ホーミングを凌ぐにはむしろ逃げ道の邪魔になっているようにすら見える。

 今度はアストさんの方が防戦一方になってしまった。しかし先ほどのアンジェリカさんと違い、距離を詰めることができない以上、このまま持久戦になればアストさんの方が先に捉えられるだろうことは目に見えていた。


 するとここで、アストさんはさっきまでよりももう一段上のスピードで弾幕を抜ける。追尾弾ホーミング同士をうまくぶつけて相殺させ、さらにそのまま彼女の間合いにアンジェリカさんを捉えた。

 一歩踏み込んだそのままの勢いで、一気に刃を振り抜く。凄まじい左薙ぎの一撃は、刃を合わせて受けようとしたアンジェリカさんのその刃をも砕き折り、彼女の右腕を裂いた。これには歓声ともどよめきとも取れる声が競技場スタジアム一杯に響く。


 学園での試合で使われる武装は、相手を傷付けることができる。そして、試合の中で相手に手傷を負わせることも許されている。その方が、見ている方もより一層の緊張感を味わえるからで、命がけの真剣勝負だからこそ、その試合の行方に熱狂できるのだ。

 ヘザーがこれを“殺し合い”と揶揄したのは、わざわざ命がけの勝負をさせて、それを見せ物にするのはどうなのかという批判の意見もあるからだ。確かにこうして実際、目の前で選手が傷つくところを見てしまうと、観客の一人でもあり同じ試合に出る身としては、複雑な思いを抱くのも事実だった。


 そしてそれと同時に、場内の大モニターに表示されたアンジェリカさんのタッチカウンターのランプが一つ点灯した。

 試合の勝敗を決めるルールの一つに“定数接触フォータッチ”というものがある。選手たちは両腕、両脚、首、腰の六箇所にセンサー付きのバンドを付けて試合に臨んでいる。このバンドに心素エモのエネルギーが接触する度にそれがカウントされ、四つ目のカウントを迎えた時点で敗北となるルールだ。

 今の剣撃でアンジェリカさんの右の二の腕を裂いた際に、バンドにも剣先が触れたのだろう。あと三回、アンジェリカさんのどこかしらのバンドに接触すれば、アストさんの勝利となる。


 このまま一気に決めてしまおうと、アストさんは薙いだ剣を逆袈裟に切り返そうとするが、アンジェリカさんもこのままやられてしまうはずがない。この至近距離で彼女も浮走靴エアフローターを使ってアストさんに体当たりし、強引に突破口を作り出した。

 予想外の攻勢に、アストさんはそれを避けられずに吹っ飛ばされ、またしても距離を取られてしまった。倒れ伏さずに踏み留まりはしたが、それでも隙には違いない。


 両手に自在砲バリアブルアサルトという態勢を取ったアンジェリカさんは、片方で短い間隔で何度も弾丸を連射し、もう一方では撃ち出された弾丸を狙い撃つという驚異の離れ業をやってのける。

 すると撃たれた弾丸は細かく無数に飛び散って、意思を持ったようにアストさんに向かって降り注いだ。この追尾性能のある超広範囲攻撃は、いくら超速の浮走靴エアフローターと言えど、かわし切れるとは思えない。


「くそ、“強襲散弾ホーミング・シャワー”か……! 利き手を負傷してもこの精度って、とんでもないな……」


「これやられるとキツいけど、どうするかな、アストリットさん。あの最高速ならワンチャン振り切れそうだけど」


 思わずぼやいてしまった俺に、ヘザーが僅かな希望を見出してくれる。

 それでも避けるために広く動き回るには、それなりに距離を取る必要が出てくる。近距離クロスレンジに持ち込みたいアストさんにとって、これ以上距離を取るわけにもいかないだろう。それにこの技の脅威は、一方的に“定数接触フォータッチ”に追い込めることにある。無数の弾丸の雨が掠りでもすれば接触扱いになる以上、反撃が届かない位置から“定数接触フォータッチ”を狙うのもそう難しくはないのだ。

 そういう意味で、この“強襲散弾ホーミング・シャワー”はアストさんを詰ませる強力な一手でもあった。


 しかしアストさんは距離を取るどころか、逆に一直線にアンジェリカさんの元へ突っ込んでいく。直撃覚悟で一か八かの攻勢に出たのかと思ったが、よく見ると、彼女のすらりとしたボディラインを覆うように、薄い光の膜のようなものが見えた。アストさんが使うのは珍しい、“情操ホロウ”だ。

 心素エモのエネルギーをわざと体外に溢れ出させて、それを操り、利用する高度な技術。エネルギーの膜を張って、“強襲散弾ホーミング・シャワー”を相殺させながら無理やり距離を詰める気なのだろう。恐らく、この打ち合いがこの試合を決める。この期を逃したら、アストさんにアンジェリカさんを討ち取るチャンスはもうこの試合の中で訪れないだろう。


 観衆もそれがわかっているのか、やけにしんと静まり返り、誰かが息を呑む音すら聞こえてきそうだった。誰もがフィールド上に釘付けになって、目を離せずにいるのだ。


 “情操ホロウ”の鎧という守りを得たアストさんは、弾丸の雨などお構いなしに、あっという間に自分の間合いまで持ち込んだ。その間に、弾丸を受けて穿たれた“情操ホロウ”の膜の間を縫って、タッチカウンターが二つ点灯していた。

 アンジェリカさんも流石にこの距離では自在砲バリアブルアサルトを手放して、自在剣ネオブレードに持ち替えている。さっき折られた刃も、心素エモを流し直せば簡単に再生する。それが心素エモをエネルギー源にした武装の一番の長所でもある。


 近接戦クロスレンジではアストさんの方にやや分があるとアンジェリカさんも考えていたのか、アストさんが最適距離に入り込む前に、空へ向かって剣を振るった。何もないところを斬ったように見えて、振り抜いたその一瞬だけ刃が伸び、刃の先はしっかりとアストさんを捉えていた。


「ここで“斬影ディヴァイド”ってことは、相当警戒してるね、アストリットさんを近付けるの」


 近接武装である自在剣ネオブレードで、中距離ミドルレンジに対応するために考案された技・“斬影ディヴァイド”。心素エモの出力を変えることで刃を変化させられる仕様を応用したものだ。

 エネルギー効率が悪いのでそう頻発できるようなものではないのだが、アンジェリカさんもここが最終局面と見て、出し惜しみなしで使ってきたのだろう。


 アストさんはこの伸びる刃を体捌きだけで避け切ったが、掠ってしまったようで、タッチカウンターの三つ目が点灯した。これでアストさんは、“定数接触フォータッチ”まであと一回となってしまった。


 しかし一撃で決着し得る今となっては、あと一回の接触を恐れるわけもなく、アストさんは姿勢を低くして一歩、二歩距離を縮めていく。完全に自分の得意距離に入り込んだアストさんは、逆袈裟に斬り上げる構えだけ見せて、すぐに浮走靴エアフローターでアンジェリカさんの背後に回り込んだ。

 それを読んでいたのか、アンジェリカさんもほぼ同じタイミングで振り返り、互いに構えたままの対面は崩れない。それでもアストさんは構え通り逆袈裟に斬り上げる。と、アンジェリカさんが手にしていた剣が弾き飛ばされた。どうやら手元を狙って斬り上げたらしい。あまりにも速く、その瞬間を視認できなかった。


 武器を失ったアンジェリカさんは、先ほどのアストさんとは比較にならない量の“情操ホロウ”を放出し、いくつもの触手のようにしてアストさんの剣と渡り合う。浮走靴エアフローターの機動力はここまでの至近距離だと活かせないことが多いが、アストさんほどにもなると、細やかに加速を入れて、器用に“情操ホロウ”をかわし切っていた。

 この高速の機動力に翻弄されてできた一瞬の隙を逃さず、アストさんは“情操ホロウ”ごと斬り裂くような一太刀を入れる。それをかわそうと、アンジェリカさんは身を翻そうとする。勢いよく踏み込んだ一撃だ。これをかわし切れば、アストさんは大きく体勢が崩れて決定的な隙になる。この一撃が届くかどうかが勝敗を決することになりそうだった。


 しかし、幕切れはあまりにも唐突に、呆気なく訪れた。

 アンジェリカさんが身を翻し切る前に、アストさんの剣先が届く前に——この熾烈な緊張感に不釣り合いな機械音が鳴り響いた。システムの判定によって、試合が決着した合図だ。


「えっ、もう決着?! 何がどうなったんだ?」


「もしかして判定負け? でもいつの間に……?」


 俺たちだけでなく会場全体がどよめく中、何がどうなったのかと思って備え付けの大モニターを見てみると、アストさんのタッチカウンターが四つ点灯していた。これで“定数接触フォータッチ”の条件を満たし、アンジェリカさんの勝利となったのだ。

 その決定した瞬間がリプレイカメラのスロー映像でモニターに映される。どうやらアンジェリカさんは、アストさんの攻撃を避けつつ、彼女の背後から“情操ホロウ”で攻撃を仕掛けていたらしいのだ。


『なんとアストリット・フォン・クラルヴァインに“定数接触フォータッチ”の判定! よって今年度の観覧杯エルダーの優勝者は、アンジェリカ・リース・フォン・エッフェンベルクーッ!!』


 その実況を皮切りに、耳をつんざくような優勝者を讃える大歓声、大喝采が競技場を大きく揺さぶる。この場にいる大多数の者は、どちらかと言えば現序列一位であるアンジェリカさんを応援していたのだろう。だからアストさんを応援していた俺は、なんとなく居たたまれなくなって、歓声も上げずに視線を伏せてしまっていた。

 この後は簡単に選手の手当てをして、優勝者へのインタビューがあるが、とてもそれを聞いていられる気分ではなかった。それを察してくれたのか、隣に座っていたヘザーがすっと立ち上がり、何も言わずに俺の手を引いて会場の外に連れ出してくれた。

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