第一章 謀略のフレッシュバトル
――四月・観覧杯<エルダー> 編――
第1話 観覧杯 決勝戦
明るい褐色の化粧煉瓦で舗装された、新緑の並木通り。本来ならこの時期には花々が美しく咲き乱れるはずが、今年は春の訪れが早かったせいか、もうすっかり散ってしまっていた。
この先から聞こえてくる喧騒が、道を行くほどに大きくなってくる。ぼんやりと遠くに見えていた人影も、徐々に大きな群れを成しているのがはっきり見えるようになっていった。
昨年も一昨年も、それこそ毎月このお祭り騒ぎを目にしているはずなのに、いまだにどうにも慣れた感じはない。この観衆の多さは期待の大きさの表れだとわかってはいても、鬱陶しく思う部分もあった。
人群れが見えてくると同時に、目的地も姿を現す。直径が数百メートルにもなる巨大な楕円形の
既に中に入場している者もいて、それでもなおこれだけの人数が外に溢れている。観衆がこれだけの人数になるのも、今日に限っては無理もない。そう思えるほど、今日の試合は始まる前から特別な盛り上がりを見せていた。
その賑わいを避けるようにしながら競技場前の広場の隅に目を遣ると、退屈そうに待つ見知った顔を見つけた。俺はうまく人混みを掻い潜って、まだこちらに気付いていないであろう彼女の元へと急いだ。
「おい、いつから待ってたんだよ……早くないか?」
息を切らしながら時計を確認してみれば、待ち合わせの時間よりもまだ三十分以上早い。既に退屈そうにしている様子からして、彼女はもっと早くから来ていたのだろう。
「ああ、クロ。別にいいでしょ。さ、行こ?」
素っ気なくふいと顔を背けて、肩ほどまで伸びた茶髪を揺らしながら先を行く少女。彼女の後を慌てて追いかけるようにして、俺もその隣を並んで歩いた。
大混雑する正面入り口を避け、建物沿いを通ってちょうど真反対まで行くと、こちらも多くの人でごった返していた。こちらは正面入り口とは違い、在学生専用の入り口だったが、今日ばかりはこちらも空いてはいない。
それを見て、隣の少女――ヘザーが溜め息交じりに溢した。
「……そりゃあ、みんな見たいよね。六年生最強と五年生最強の対決は」
「名実ともに、学園最強の座が決まるわけだしな」
――今日これから、この学園の頂点が決まる。
そのフレーズだけでも、なんと心の躍ることか。
在学生の席は一般客とは分け隔てられ、全員が席に着けるようスペースが確保されている。急がなくても観戦は可能だが、展望の良い席に座れるに越したことはない。そう考えて、多くの学生が列を作っているのだろう。
「別に見晴らしのいい席じゃなくてもいいよね? もう少し空くまで待っていよう?」
彼女がそう言うので、俺も異論なくそのまま隅で待つことにした。
「バカみたいよね。毎月毎月こんな殺し合い紛いのことをして、それに一喜一憂する感情を搾取される。こんなことに興じる民衆も民衆だけどね」
彼女がこちらも見ずに、そうぼそっと呟いた。この熱気にあてられたような、ひどく高揚した様子の学生たちに冷たい視線を送りながら。
彼女の言い分もわからなくはない。観衆が熱狂するようなエンターテインメントを提供して、その強い感情をそのままエネルギーとして取り出す。やっていることだけを見れば、人道的とは言い難い。
しかしながら、感情はエネルギーであると立証し、それを利用してエネルギー問題は解決された。それは確かな功績と言える。今のこの世界が感情のエネルギー・
「……そう言うなよ。そのバカみたいな絡繰りで世界を成り立たせるために、俺たちがいるんだから」
より莫大なエネルギーを抽出するためとして、このような学生たちの戦いを娯楽に昇華させた学園の選択は、俺は間違っているとは思わない。
「わかってるよ。ただこうして傍目で見てると、自分のしてることが少し虚しくなっただけ」
どこか寂しそうに遠くを見つめる彼女。目の前の光景と何かを重ねて、悲しみに暮れているような、そんな表情だった。
前から時折こんな表情を見せることはあったが、最近はいやに増えた気がする。理由を尋ねても、いつも決まって適当にはぐらかすだけで、結局一度も教えてはくれたことはなかった。
「少し空いてきたし、時間も時間だし、そろそろ行こうか」
彼女に手を引かれて、俺はそれ以上何も言えなくなってしまった。
試合の開始直前にもなると、場内は予想以上に多くの人で一杯になった。おそらく収容人数の十万人など優に超えて、場外に備え付けられた大モニターで観戦せざるを得ない者もいるだろう。
端の空いている席に腰かけて、試合の開始時間を今か今かと待つ。その間にも、蒸し上がるような熱気に身体が熱くなり、少しずつ気持ちも上ずっていく。これが、雰囲気に呑まれるというものだろうか。
『さあ、激闘続きの
観客の喧騒を煽るように、場内に盛大なアナウンスが流れた。学園がエネルギーを供給している各国へ流れる中継でも、大会の運営組織による実況が同様に流れている。これが流れると、試合の開始がすぐそこまで迫っているという実感が湧く。
『まずは第一ゲート!
アナウンスと共に、向かって右手側の第一ゲートから一人の女子生徒が姿を現した。長く暗い茶髪を風に靡かせながら、大歓声に応えるように愛嬌良く観衆に手を振っている。
メリハリのあるボディラインを包むのは、学園の制服をそのまま模したような試合用ユニフォーム。ところどころ鎧のような装甲が備え付けられ、まさに華やかな姫と勇壮な騎士の姿を織り交ぜたような意匠が凝らされていた。
彼女こそ、名家・エッフェンベルクの現当主にして学園最強を誇るアンジェリカさん。これまで上級生とも互角以上に渡り合ってきた彼女が今や最高学年。もはや今の学園に敵はないとの呼び声も高い。
そんな彼女が向かいのゲートへ鋭い眼差しを向けると、続いてその彼女の対戦相手の登場を告げるアナウンスが響いた。
『そして第二ゲート! 同じく
左手側のゲートから現れたのは、肩ほどの長さの艶のある黒髪に、水面のような澄んだ青い瞳の女子生徒。黒髪碧眼というのはこの辺りの地域では珍しい組み合わせで、それだけでも彼女には充分な話題性があった。しかしそれ以上に、“神速の舞姫”と称されるその実力の高さこそが彼女の人気の所以だった。
アンジェリカさんにも負けず劣らない歓声に動じることなく、ただ真っすぐにアンジェリカさんを見据えるアストさん。
そのすらりとしたシルエットを際立たせるような黒いウェアに身を包み、細く長い手足の先まで黒で覆い隠している。その上に、胸元を覆う程度の丈の短い白いシャツ、彼女の足捌きを邪魔しない白のフレアミニスカートを纏ったその姿は、白と黒のコントラストが美しい、モノクロの妖精のように見えた。
「クロ、あなたの師匠は勝てそう?」
「ちょっ、……あんまり大きな声で言うなよ?」
なんのけなしに言う少女に、少し焦って食い気味に口を挟んだ。
俺が彼女の弟子であることは、ごく一部の人間しか知らない。なんでも、彼女は弟子を取らないと公言し、多少の厄介払いをしていた節があり、師弟関係についてできる限り口外しないよう言い渡されていた。
もし弟子がいると発覚すれば、彼女の避けようとしていた厄介ごとが降りかかる羽目になる。だから信頼できる人間にしか、このことは話していない。
「誰とは言ってないんだし、いいじゃない」
彼女の言うことにも一理ある。それに、この喧騒の中で耳聡く聞いている者も、そう多くはいるまい。
「……勝ってほしい、というのが本音かな。正直 今の時点で実力がどれくらい違うのか、俺には判断できない。決勝までに、どちらもまだ底を見せていないような気もするし」
もちろん、これまで彼女らが戦ってきた相手も学園屈指の強豪揃い。しかし、アンジェリカさんもアストさんも、こう言っては相手に失礼かもしれないが、苦戦しているようには見えなかった。
「まあ私も、どちらかと言えばあなたの師匠に勝ってほしいけど」
「嬉しいけど、何でまた?」
「好き嫌いみたいな、個人的な理由だよ」
フィールドを睨みつけるように見据えたままの彼女に、それ以上何と声をかけていいかわからなかった。
両者が定められた開始位置に着いて、試合開始を告げるけたたましいブザーが競技場一杯に鳴り響く。
『試合開始——ッ!!』
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