――五月・新星杯<ノヴァ> 編――

第4話 宣戦布告

 星嶺心技学園アストレリアはエネルギー生成機関でありながら、学園と名が付くだけあって、大会が開催されていない間は講義がある。

 各学年一クラスだけで、序列下位の者には補修を課すなどして講義についていけるよう配慮はされている。それでも結果を出せない場合、除籍となることも珍しくない。


 朝の自主トレーニングを終えて教室に行くと、大体いつも二、三番目には着いている。最初に来ているのは、決まって毎日同じだった。高い上背、栗色の長い髪にメリハリのある身体付き。嫌というほど見た姿だ。――ルーツィア・ストレイス・フォン・フロイデンベルク。フロイデンベルク家の一人娘という超優秀な家柄で、俺たち三年生の中で最高序列に位置する、いわば優勝するには避けて通れない壁。

 今日も例外ではなく、いつもの真ん中前目の席に座って何かを書いているようだった。

 ルーツィアも長い黒髪の持ち主だが、瞳は黄色味を帯びた明るい茶色。アストさんとは違い、この組み合わせは特段珍しいわけでもない。


「相変わらず早いな、あんた。いつも気になってたんだけど、こんな早くから何してるんだ?」


 そんなつもりはなかったのに、気付いたら彼女に声を掛けていた。彼女も彼女で、まさか俺に話しかけられるとは思っていなかったのか、やや遅れて振り返り、話しかけられている相手を確認するように自分自身を指さした。

 俺がそれに首肯すると、今度は逆に首を傾げられてしまった。


「えっと……フォートリエ、でしたっけ?」


 俺のことはまさかのギリギリ覚えている程度の認識らしい。随分と舐められたものだ。


「そうだよ。今年の新星杯ノヴァこそはあんたに勝つつもりだからな。ちゃんと覚えとけよ」


「……同じ学年とはいえ、年長者には敬語を使ったらいかがですか? フォートリエくん」


 星嶺心技学園アストレリアでは入学者選抜に年齢の条件がなく、同じ学年でも年齢が異なるということはままあることだ。さらには国土すべてが星嶺心技学園アストレリアの敷地であるリューネブルクは完全中立国であり、学園内ではあらゆる身分制を無効とする規則がある。だから学園内では年齢も身分も様々な者が入り乱れているのだ。


 本来なら俺のような平民階級は、アストさんやルーツィアに対してこんな馴れ馴れしい口を利くことは許されない。それがこの学園内では分け隔てなく扱われるために、こうして上流階級の者とも深くかかわる機会があるのはこの学園の魅力なのだろうと思っていた。

 だが、元々上流階級に位置する人間は、それを快く思わないのかもしれない。品のない平民が礼儀も弁えずに上流階級の者に接しようとするなど、許しがたい不敬だと考える者もいるだろう。もしかしたらルーツィアも、そういった口なのかもしれない。


 どう返していいかわからず答えあぐねていると、ルーツィアはバツが悪そうにこちらを覗き込んできた。


「あぁ、えっと……少しからかい過ぎてしまいましたか? 年長者への言葉遣いには注意した方が、何かとトラブルは避けられるかと思いましたので。私個人で言えばそれほど気にしていませんので、どうかそんな苦しそうな顔をしないでくださいませ」


 そう言って、ルーツィアはにこっと笑んでみせる。少し無理に笑顔を作っているのか、辛うじて笑顔には見えるものの、ぎこちなさの方が勝っているように見える。

 気を遣われてしまったのだろうか。というより、そんなに目に見えてわかるほど、俺は苦しそうにしていたのだろうか。


「あの、フロイデンベルクさん」


「家名で呼ばれるのは仰々しいですし、ルーツィアで構いませんよ? お姉様と呼んでくださるのであれば、なお良しですが」


 一瞬、彼女の言ったことを理解するのを脳が躊躇った。耳から入った情報を、脳が受け止めかねたのだ。まさかルーツィアに限ってそんなことを言うはずがない、と。しかし聞き間違いなどではないことは、すぐにわかった。


「えっと……何でお姉様?」


「私は年上のお姉さんでもあり、フォートリエくんよりも序列が上で実力も上のお姉様だからです」


 事実だから何も言い返せないが、その理屈で何故お姉様になるのかは理解できない。ルーツィアはこんな突飛なことを言いだす人だったのか。ほとんど話したことがなかったので、全然知らなかった。


「どうですか? ルーツィアお姉様と呼んでみては。一度も私に勝てたことのない負け犬には相応しい立場ではなくて?」


 ああ、これは新手の煽りなんだなということに、ようやく気付いた。貴族様の戯れは理解するのにどうにも時間がかかって困る。


「残念だけど、今回の新星杯ノヴァで俺が勝つからその理屈は通らないな」


「では、今回の新星杯ノヴァで私が勝ったら、晴れて私はお姉様ということですね?」


 何故かルーツィアは食い下がり、どうしてもお姉様ということにしたいらしい。


「……もうそういうことでいいよ」


 彼女は頑として譲るつもりはなさそうなので、俺の方が引いて話を終わらせることにした。

 するとそこへ、ぞろぞろと他の学生たちもやってくる。話し込んでいるうちに、随分と時間が経ってしまっていたようだった。


 何だか気まずくなって、俺は彼女から少し離れた席に着く。講義の席順は決められておらず、好きな席に着いて良いことになっている。三人掛けの長机が並べられ、後ろにいくにつれて段が高くなっていて、人数よりも座席数が多いのでゆとりをもって座ることができるようになっていた。

 ルーツィアはいつも一番乗りなので、気に入っているのであろう同じ席に座っていたが、俺は気分で座る席を変えていた。


 三人掛けの左端に座っていると、右隣の席にヘザーが座ってきた。何の気なしにこうして俺の隣を確保するのは、毎回意識的にやっているのだろうか。


「ストレイス嬢と何話してたの?」


 どこか意地の悪い笑みを浮かべた彼女は、下から俺の顔色を窺うように覗き込んでくる。彼女が来た時には、俺はもう席に着いていたはずだが、何故ルーツィアと話していたことを知っているのだろう。


「聞いてたのか? いつから?」


「聞いてないから何話してたか聞いてるんでしょ。それとも何、聞かれて困るような話でもしてたの? この私・・・というものがありながら」


 こういう時ばかり自分の立場を利用してくるから困る。本気でその座に居座っているわけでもあるまいに。


どの私・・・だよ……。別に話せないようなことじゃないけど……まあ、あんまり言いたくはないことかな」


「えぇ~何それ、超聞きたい。あの・・ストレイス嬢と話した“あんまり言いたくないこと”って何? 気になるなぁ」


 どうしても聞き出したいらしく、甘えたような声を出すヘザー。それを頑なに無視していると、無視するな~、と身体を揺すってくる。それが結構可愛かったので、これはこれで良いと思った。


「ちょっとぉ、朝から目の前でイチャイチャしないでくれる~?」


 くすくすという含み笑いと共に、わざわざ後ろの席から女子生徒が声を掛けてくる。振り返れば、笑い声の主はほとんど瓜二つの顔立ちの少女が二人。片方は快活なショートヘアで、もう片方は淑やかなロングヘアと、印象はだいぶ異なるが。


「しょうがないよ、レイ。愛し合う二人は誰にも止められないんだから」


 ロングヘアの方は、どこかきらきらした眼をしてショートヘアの方を宥めようとしていた。それに、ヘザーがわざわざ食って掛かった。

 普段なら無視することもできたはずだが、今日はどうやら絡みたい気分だったようだ。


「ほんっと、愛し合う二人を邪魔しないでほしいよ。せっかくのお楽しみだったのに。ねぇ、クロ?」


「勝手に俺もそうみたいに言うなよ」


「えっ……違うの?」


 わざとらしく悲しそうに驚いてみせるヘザー。そのせいで、後ろの女子二人にも俺に冷たい視線を向けられる。これじゃあまるで、恋人を大事にしないダメ男みたいじゃないか。


「別に私はいいけどね。クロが私を愛してくれなくたって、私はクロを愛してるから。どんなに冷たくされたって、その気持ちは変わらないもの」


 何故そんな悲劇のヒロインみたいな口ぶりをするのだろう。そんなことをしたら、ますます俺に敵意が向くじゃないか。俺が弁明するまでこれは続くのだろうか。ヘザーの奴、やると決めたら容赦ないからな。


「うわぁ~! ヘザーちゃん、健気~!」


 後ろの席の双子の姉の方――ロレッタが、ヘザーの振舞いに感激したように顔を綻ばせた。この二人にかかれば噂なんてあっという間に広まってしまう。手を打つなら早い方がいい。


「……それでヘザー、この茶番はいつまで続けるつもり?」


「ひどーい、愛してるくらい言ってくれてもいいのに……」


 大げさに悲しむような素振りを見せるヘザーに、俺はとうとう溜め息まで吐いてしまう。まったく何も進まず実のないこの茶番を終わらせようと、観念したように彼女に懇願した。


「愛してるよ、ヘザー。だからもうこの茶番は終わりにしよう。あんまり俺をいじめないでくれ」


 ヘザーもやりすぎたと思ったのか、ごめんごめん、と俺の頭を撫でる。


「やれやれ、しょうがないなぁ。私も愛する人をあまり困らせたくないしね。これくらいで勘弁してあげるよ」


 すると今度は、後ろの席の双子の妹の方――レイチェルが、ようやく話を進めようとする。


「それで、この茶番は置いておいて、ルーちゃんと何の話してたの?」


「ねー、気になるよねー」


 二人まで何でそのことを知っているのかと聞きたくなったが、もはやそれを聞くのも野暮だと思って、正直に話すことにした。彼女と交わした約束のことは伏せて。


「宣戦布告してたんだよ。新星杯ノヴァでは俺が勝って優勝するってな」


「何だ、そんなことかー」


 せっかく正直に話したのに、あからさまに残念そうな声を出すレイチェルに、俺はムッとして返す。勝手に期待しておいて勝手に失望するとは、本当に勝手な奴だ。


「そんなことって何だよ」


「いやぁ、優勝するのはあたしって決まってるのにねぇ……と思って」


「決まってねぇから」


 ちょうど講師の先生が入ってきて、このふざけた話はここまでになった。

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