第5話 対情操の特訓
俺にとっては、もはや学園で学ぶ程度の技能訓練は習得済みで、実戦による経験でそれを磨くくらいしか上達を見込めそうにないので、講義は退屈で仕方がない。
俺に限らず、そうした学生は少なくなく、講義を真面目に聞いていない学生もそこそこいる。俺だけでなく隣のヘザーもどちらかと言えばその口だ。彼女に関しては昨年卒業した姉のこともあり、大人しい優等生を演じているようだが。
講義という拘束から解き放たれ、俺はさっさと講義棟を出て寮に帰る。来月の
そしていつも、講義の後にすることは決まっている。
あの人は少しでも待たせると怒るから、講義が終わったら何よりも先に向かわないといけない。というか、彼女自身も講義があるはずなのに、どうしていつも俺より先に着いて待っているんだろう。
いくら考えたところでその疑問が解決するはずもないので、考えることすらやめて、寮のトレーニング室に急いだ。
各寮にはそれぞれ独自の設備があり、その寮に所属する学生だけが設備の恩恵を受けられる。俺の所属する
目当てのトレーニング室に着くと、いつもの勝気な声に迎えられる。やはり、今日も彼女は先に着いていた。今日こそは俺の方が先に、と思ったのに、今日も先を越されてしまった。
トレーニングウェアに身を包み、先に身体をほぐしている薄胡桃色の髪の少女。ボディラインが強調され、四肢の露出も多いそのウェアは、できればあまり視界に入れたくはない。彼女自身は自分の体型に頓着などしていないから、男である俺の前でそんな恰好ができるのだろう。それとも俺は、男だと思われていないのか?
「今日は私が着いてから十五分の遅刻だな。まあ、いつもよりは早い方か」
俺もかなり早く着いたはずなのに、そんなに前から来ていたのか。ここまでくると、意地でも俺より先に着こうとして、講義を早退しているんじゃないかとすら思えてくる。
「すみません、遅くなって」
そして俺はなぜ謝っているんだろう。別に元々時間を約束していたわけではないし、彼女よりも早く来なければいけないというわけでもない。
それなのにこの人はなぜ、自分を絶対的な基準にして考えているんだろう。そう口には出せず、素直に謝ってしまうのは、この人を怒らせてはいけないと、頭と身体がそう理解しているからだ。
「今日もよろしくお願いします」
「いいから早く着替えてこい」
そう言われて、早く来ることだけを考えて、制服のままだったことを思い出した。更衣室でトレーニングウェアに着替えて、仕切り直しだ。
よく考えれば、彼女にはトレーニングウェアに着替える時間もあったわけだから、実際には俺が着く十五分前よりもさらに早く着いていたのだろう。……本当にどうやって来ているんだ?
「今日の私は少し機嫌がいいのでな。存分に痛めつけてやるから覚悟しておけ」
ダメだこの人、因果関係めちゃくちゃだ。何で機嫌がいいのに痛めつけられなくちゃならないんだ。いやそれでこそ、“暴君”と呼ばれるフランシーヌ・ル・ブランなのだろうが。見た目だけならば、どこかのお姫様かと思うくらい美麗なのに……性格がすべてを台無しにしている。
俺は彼女に毎日一戦だけ手合わせをしてもらっている。アストさんとの稽古だけでは対策できない対
これはアストさんの提案で、彼女の名を出さなければ引き受けてくれるはずだと言っていた通り、彼女は快く……かどうかは疑問だが、引き受けてくれた。フラン先輩曰く、同じ
俺にしてみれば、フラン先輩も信頼できる人に他ならないのだが、彼女はアストさんと犬猿の仲なのだという。俺がアストさんの弟子だということがバレたら、俺も同じように嫌われてしまうかもしれないし、稽古も打ち止めになってしまうかもしれない。だから心苦しいけれど、それだけは隠しながら稽古に打ち込んでいた。
「今年の
俺から弟子入りを志願したつもりはないが、いつの間にかフラン先輩の中では、俺は彼女の弟子ということになっているらしい。
普段弟子を持たない五年生首席のアストさんの唯一の弟子で、苛烈ながら五年生次席のフラン先輩の弟子でもある俺は、かなり贅沢なのではないか。そう思える瞬間がある。だがそれは、相応の痛みを伴うということでもあった。
「さあ、どこからでもかかってこい!」
気合充分に
武具などに
ある程度意識して指向性を持たすことはできるそうだが、溢れ出る強烈なエネルギーは、そのまま力となる。その上、力場としても作用し、こちらの
フラン先輩が身に纏った赤黒い靄のような
それを一つずつ、かわすか受けるかして凌いではいるが、一発一発が重い。下手に連続して受けようとすれば、衝撃をいなせずに叩き潰されてしまう。
すると、俺の真横を通り過ぎた
そう予測し、彼女の
「
後ろに気を取られた一瞬、さらに正面からも、案の定、鉄球を投げつけられたような重い一撃が迫っていた。
これは無理だ。受けきれない。対
「さすがですね。俺のクラスメートたちも絶賛してましたよ」
「……何だと?」
俺の言葉にわずかに勢いが緩んだ隙を突いて、さらに畳みかける。
「
「……他には、何か言っていたか?」
俺に向かっていた
平静を装いながらも口元は緩んでいて、高揚感を隠し切れていない。つまりは自分自身の感情を制御できていないのだ。それは
「
「お前……また私を謀ったのか!」
いやいや、いつもいつもこんな簡単に揺れ動くフラン先輩の方にだって問題はあると思うのだが。アストさんを引き合いに出すとすぐに冷静さを失ってしまうのは、フラン先輩の弱点だと思う。まあ、そこをピンポイントで突いてくるのは俺くらいだと思うから、試合には影響ないのかもしれないが。
「……覚悟は、できているんだろうな?」
わなわなと肩を震わせるフラン先輩。この後の展開は想像に難くない。少しやり過ぎてしまったかもしれないと、今更ながら後悔していた。
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