第5話 対情操の特訓

 星嶺心技学園アストレリアでは、大会が開催されるだけでなく、大会を盛り上げるために個々の技術を磨くための座学や訓練がある。戦闘技能訓練や、心素エモの仕組みや成り立ちについて学んだり、その扱いの精度をより高めるための訓練もある。それ以外には、自分自身の精神洗浄メンタルケアや、人間性を磨くための道徳的講義もある。


 俺にとっては、もはや学園で学ぶ程度の技能訓練は習得済みで、実戦による経験でそれを磨くくらいしか上達を見込めそうにないので、講義は退屈で仕方がない。

 俺に限らず、そうした学生は少なくなく、講義を真面目に聞いていない学生もそこそこいる。俺だけでなく隣のヘザーもどちらかと言えばその口だ。彼女に関しては昨年卒業した姉のこともあり、大人しい優等生を演じているようだが。



 講義という拘束から解き放たれ、俺はさっさと講義棟を出て寮に帰る。来月の新星杯ノヴァが間近に控えているというのに、時間を無駄にはしていられない。


 そしていつも、講義の後にすることは決まっている。

 あの人は少しでも待たせると怒るから、講義が終わったら何よりも先に向かわないといけない。というか、彼女自身も講義があるはずなのに、どうしていつも俺より先に着いて待っているんだろう。

 いくら考えたところでその疑問が解決するはずもないので、考えることすらやめて、寮のトレーニング室に急いだ。


 各寮にはそれぞれ独自の設備があり、その寮に所属する学生だけが設備の恩恵を受けられる。俺の所属する静藍ラズライト寮には特に多くのトレーニング設備があり、その中でも情操ホロウのトレーニングに特化した心素エモ増幅室をよく利用していた。


 目当てのトレーニング室に着くと、いつもの勝気な声に迎えられる。やはり、今日も彼女は先に着いていた。今日こそは俺の方が先に、と思ったのに、今日も先を越されてしまった。


 トレーニングウェアに身を包み、先に身体をほぐしている薄胡桃色の髪の少女。ボディラインが強調され、四肢の露出も多いそのウェアは、できればあまり視界に入れたくはない。彼女自身は自分の体型に頓着などしていないから、男である俺の前でそんな恰好ができるのだろう。それとも俺は、男だと思われていないのか?


「今日は私が着いてから十五分の遅刻だな。まあ、いつもよりは早い方か」


 俺もかなり早く着いたはずなのに、そんなに前から来ていたのか。ここまでくると、意地でも俺より先に着こうとして、講義を早退しているんじゃないかとすら思えてくる。


「すみません、遅くなって」


 そして俺はなぜ謝っているんだろう。別に元々時間を約束していたわけではないし、彼女よりも早く来なければいけないというわけでもない。

 それなのにこの人はなぜ、自分を絶対的な基準にして考えているんだろう。そう口には出せず、素直に謝ってしまうのは、この人を怒らせてはいけないと、頭と身体がそう理解しているからだ。


「今日もよろしくお願いします」


「いいから早く着替えてこい」


 そう言われて、早く来ることだけを考えて、制服のままだったことを思い出した。更衣室でトレーニングウェアに着替えて、仕切り直しだ。

 よく考えれば、彼女にはトレーニングウェアに着替える時間もあったわけだから、実際には俺が着く十五分前よりもさらに早く着いていたのだろう。……本当にどうやって来ているんだ?


「今日の私は少し機嫌がいいのでな。存分に痛めつけてやるから覚悟しておけ」


 ダメだこの人、因果関係めちゃくちゃだ。何で機嫌がいいのに痛めつけられなくちゃならないんだ。いやそれでこそ、“暴君”と呼ばれるフランシーヌ・ル・ブランなのだろうが。見た目だけならば、どこかのお姫様かと思うくらい美麗なのに……性格がすべてを台無しにしている。


 俺は彼女に毎日一戦だけ手合わせをしてもらっている。アストさんとの稽古だけでは対策できない対情操ホロウの戦い方を、学園でも随一の情操ホロウ使いである彼女との手合わせの中から掴む。

 これはアストさんの提案で、彼女の名を出さなければ引き受けてくれるはずだと言っていた通り、彼女は快く……かどうかは疑問だが、引き受けてくれた。フラン先輩曰く、同じ静藍ラズライト寮のよしみだそうだ。

 俺にしてみれば、フラン先輩も信頼できる人に他ならないのだが、彼女はアストさんと犬猿の仲なのだという。俺がアストさんの弟子だということがバレたら、俺も同じように嫌われてしまうかもしれないし、稽古も打ち止めになってしまうかもしれない。だから心苦しいけれど、それだけは隠しながら稽古に打ち込んでいた。


「今年の新星杯ノヴァ、私の弟子として、無様な負けは許されんぞ」


 俺から弟子入りを志願したつもりはないが、いつの間にかフラン先輩の中では、俺は彼女の弟子ということになっているらしい。

 普段弟子を持たない五年生首席のアストさんの唯一の弟子で、苛烈ながら五年生次席のフラン先輩の弟子でもある俺は、かなり贅沢なのではないか。そう思える瞬間がある。だがそれは、相応の痛みを伴うということでもあった。


「さあ、どこからでもかかってこい!」


 気合充分に心素エモを放出するフラン先輩。


 武具などに心素エモを充填してその効果を発揮するのと違い、情操ホロウは器を持たずにエネルギーをそのまま放出している。

 ある程度意識して指向性を持たすことはできるそうだが、溢れ出る強烈なエネルギーは、そのまま力となる。その上、力場としても作用し、こちらの心素エモのコントロールをも乱す、かなり厄介な技術だ。その扱いは適正に大きく左右されると言われ、少し扱う程度ならそれなりにできる者はいるが、フラン先輩ほどとなると、学園でも数えるほどしかいない。


 フラン先輩が身に纏った赤黒い靄のような情操ホロウが、拳のような形状を形作り、俺に向かって殴りかかってくる。それが一本、二本と増えていき、今は六本の腕を相手にしている。

 それを一つずつ、かわすか受けるかして凌いではいるが、一発一発が重い。下手に連続して受けようとすれば、衝撃をいなせずに叩き潰されてしまう。


 すると、俺の真横を通り過ぎた情操ホロウが背後で壁のようなものを形作る。退路を断ったつもりか。こうなると、次の一手は正面からの重い突貫攻撃。正面から圧し潰すような一撃は、そう簡単に避けられない上に、直撃すればひとたまりもない。

 そう予測し、彼女の情操ホロウの動きに意識を集中させて、タイミングを計りながら、少しでも距離を詰めようと迫る。


情操ホロウの戦い方は、距離を活かして相手の間合いの外で立ち回ること。逆に、対情操ホロウの鉄則は、相手に翻弄されずに自分の間合いまで距離を詰めること。それはわかってきたようだが、まだまだ甘いな」


 情操ホロウで退路を断たれた俺は、逆に正面に誘い込まれていたらしい。距離を詰めたところを、背後に壁になっていた情操ホロウが勢いよくつぶて状に襲い掛かってくる。距離を詰めて正面からの攻撃の発動そのものを防ごうかと思ったが、後ろからの攻撃は考えていなかった。

 後ろに気を取られた一瞬、さらに正面からも、案の定、鉄球を投げつけられたような重い一撃が迫っていた。


 これは無理だ。受けきれない。対情操ホロウの稽古ということで武器の使用を制限した中では、完全に詰まされた一手だった。


「さすがですね。俺のクラスメートたちも絶賛してましたよ」


「……何だと?」


 俺の言葉にわずかに勢いが緩んだ隙を突いて、さらに畳みかける。


観覧杯エルダーでは運よくアストさんが勝っただけで、実力はフラン先輩の方が全然上だってみんな言ってました」


「……他には、何か言っていたか?」


 俺に向かっていた情操ホロウは蒸発したように霧散し、彼女がその身に纏うものだけがわずかに残っている。

 平静を装いながらも口元は緩んでいて、高揚感を隠し切れていない。つまりは自分自身の感情を制御できていないのだ。それは情操ホロウの扱いにおいて、致命的な隙になる。


情操ホロウは感情に左右されやすく、そこが弱点だから、相手の動揺を誘うといいって」


「お前……また私を謀ったのか!」


 いやいや、いつもいつもこんな簡単に揺れ動くフラン先輩の方にだって問題はあると思うのだが。アストさんを引き合いに出すとすぐに冷静さを失ってしまうのは、フラン先輩の弱点だと思う。まあ、そこをピンポイントで突いてくるのは俺くらいだと思うから、試合には影響ないのかもしれないが。


「……覚悟は、できているんだろうな?」


 わなわなと肩を震わせるフラン先輩。この後の展開は想像に難くない。少しやり過ぎてしまったかもしれないと、今更ながら後悔していた。

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