第2話
そのあとの試験のことは何も覚えていない。気がつけば自室のベッドで毛布に包まっていた。
「試験当日にゲロ吐いてうんこ漏らして、情けない坊主だなあ。」
夕飯のときに父は快活に笑っていた。その年に父が見ているバラエティ番組によく出ている芸人を見るより笑っていた。慰めであえて明るく振舞ったのだろうか。いや、もともとそういう気を遣うことは知らない性格だった。ただ純粋に自分の息子の不祥事を心から笑っているのだろう。情けないという言葉が有刺鉄線のように晃の体に巻き付いた。
晃と同じ小学校で水目中学を受験した同級生は一人もいなかった。しかし、塾では水目中学受験コースという集団クラスで授業していたため、受験以来、塾にも通えなくなってしまった。母は理由を話すことなく退会を申し出ていた。講師も塾生から口々に晃のことを聞いていたのか、とくに引き止められることはなかったという。
しかも不幸だったのはその塾で水目中学受験に失敗した塾生と同じ中学校になってしまったことだ。入学して二日目には小西らがあざとく噂を耳にしており「ウンコゲロ太郎」という低俗なあだ名をつけられ、金銭を要求され、納得がいかないと殴られるようになった。顔を殴られてあざができたとき、勇気を振り絞って親に言ったが「やり返せ」と言うだけで何にも対処してくれなかった。
過去のことを想い馳せながら小西らの後ろ姿を見つめ続けていた。人ごみの中に彼らは紛れ込んで完全に見えなくなったことでようやく鼓動は小さくなっていった。杉から背中を話しかけたとき、頭部にあったしめ縄が緩まって体を杉に縛り付けた。体を動かして何とか離れようとするが、しめ縄の縛る力は強力で太い縄でびくともしない。解こうとしても指先がしめ縄に届かない。収まりかけた鼓動が再び激しく動き出した。
「子どもか。まあいい。話は通じる年齢だろう」
晃はあたりを見渡した。しかし、晃に話しかけてくる人物はいない。そもそもしめ縄で縛り付けたやつは誰なんだ。
「俺だ。お前の背中に引っ付いている杉が喋っている。とりあえず杉が喋っていることを信じろ。じゃないと話が先に進まん」
「え? ど、どいうこと?」
「俺は死神。お前と取引したい。お前の名前は何だ」
死神? 取引? 信じろ? 何が何だか理解が追い付かず何を喋っていいのかわからない。背後に小西らがいて新しいいじめのパターンを見つけたのではないかと思ったが、やはりどう考えても小西らの声ではない。低く体の奥に響くような声だった。杉の幹の間から沁みてくるようだった。
「沼田、晃」
「コウ? 漢字は?」
「そ、そこまで教える意味ある?」
「ある。俺はな、相手をきちんと知るために名前から理解したいんだ。どんな漢字を書くんだ」
「一日の日の下に光」
「晃だな。わかった」
「お、お前の名前は……?」
「ない。死神と呼んでくれたらいい」
名前を聞いておいて自分のはないのか。なぜか晃は鼓動が小さく収まってきていることを自覚した。おそらく久しぶりにまともに会話できる対象に出合えて、恐怖より嬉しさが勝っているようだった。自分でも信じられなかった。それでもしめ縄は強力なままだった。
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