宿り死神

佐々井 サイジ

第1話

 こうは太い杉の木の裏に隠れて身を細めた。太陽はすでに山の稜線に吸い込まれ、怪しげなオレンジ色をわずかに空に残しているだけだった。それでもこの道は普段のもの寂し気さはなく、多くの人々の行き交う顔を脇に並ぶ屋台の光が照らしていた。今日は年に一度の水目町の祭りだった。といっても誘う友達などいなかったがどうしても最後に祭りの雰囲気を味わいたくて一人でこっそりとやってきたのだった。

 屋台を眺めながら歩いていると、向かいから小西と笹本と平山が並んで闊歩してくる姿を目撃し、屋台の裏に生えている太い杉の裏に回り込んだ。杉にはちょうど晃の頭の高さと同じ位置に、しめ縄が巻かれていた。肩をすぼめて気配を殺しつつ、頭を少し出して、小西らの行く先を目で追った。昨日はあいつらに千円も奪われて、鳩尾を何度も殴られた。この祭りで出くわすとどうなるか想像しただけで吐き気が出る。幸い、長年いじめられたことで備わった危機スイッチが早く発動したことで、見つかることはなく、通り過ぎていった。

 水目東中学に行けば、あいつらと縁を切れる。小学生時代からずっといじめられてきた晃は中学受験をして意地でも水目中学に進学して、小西らと縁を切るつもりだった。塾の先生からは当日大きなしくじりをしなければ合格圏内にいるので大丈夫ですよ、と言われていた。母もご満悦だった。

 まさか本当に大きなしくじりをしてしまうとは。当日の朝、その日に限ってなかなか便が出なかった。結局朝ごはんも食べずにぎりぎりまでトイレで粘ったが鹿のような小さい玉の便が出ただけだった。単なる便秘で終わるといいなという願いは通用しなかった。一科目の試験のとき、猛烈に腹が痛み出した。途中で退席するとその試験は受けられなくなる。二科目めからは再び受けることを許されるのだが、一科目が零点になら実質不合格だった。なんとしても目の前の問題を解かなければならない。しかしまだ大問一の三問目に差し掛かったばかりだった。

 集中、集中集中集中。

 頭の中で何度も唱える。しかし、「集中」の文字がどんどん脳内で膨らんでいくばかりで思考は回らない。問題文の意味をまったく咀嚼することができない。そのうち額から脂汗が滲みだしてきた。それでも退席するわけにはいかない。口の中で舌を噛み、肉を噛み、唇を噛み、左手で太腿をつねって気を紛らわせるが猛烈な便意には到底かなわない。ここで脱糞してしまえば仮に合格したとしてもまた新たな人間たちにいじめられるだけだ。退出はできない。漏らしてはいけない。でも、問題は解かねばならない。極限状態のなか晃は鉛筆を持つ右手すら動かせなくなっていた。少しの揺れが肛門の収縮を緩めてしまいそうだった

 さらに輪をかけて、便意を我慢しているうちに吐き気を催してきた。もはや試験どころではない。目の前の問題用紙と答案用紙が二重、三重にぼやけてくる。机に嘔吐して用紙一式が吐瀉物まみれになっている姿を想像してしまった。途端、喉を焼く痛みが襲い、口元に手を当てる前に嘔吐してしまった。さらに力が抜けた拍子に肛門からむりむりと便が出てくる。もう何も抵抗できず、ただ天井の蛍光灯を見上げ、目から涙が零れ落ちた。

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