10 満ち足りて…死

 コタニ君に夜通し抱きしめられ、その優しさに包まれて、私は満たされてしまった。

 

 もう良い。

 きっともうこんなに幸せなことは無い。

 今が死に時だと思った。

 

 翌日の夕方、仕事に行くと言うコタニ君と一緒に部屋を出た。

 

 実家に帰るふりをしてコタニ君と別れた私は1人、コンビニに向かった。


 そしてカッターと500mlの水を買い、ふと目に止まった古ぼけたビルに忍び込み、非常用の外階段を上がった。

 

 封鎖されていて、屋上までは上がれなかったが、想定済だ。


 屋上から飛び降りる事が出来なければ使おうと思っていたカッターを袋からとりだし、とりあえず手前の階段の踊り場に座りこんだ。

 

 真新しいカッターの刃は見るからに鋭く冷たかった。

 

 手首にスッと線を引いてみる。

 浅い。うっすら血が滲むがこれでは死ねそうにない。

 

 今度はグッと力強く線を引いてみる。ポタポタと血が落ちる。


 まだ浅そうだ。


 でも痛くて、恐くて、どうしてもこれ以上深く切れない。

 

 それならたくさん切れば死ねるかもと、3本4本と線を引き続けたが、やはりまだ浅く無理そうだ。


 それでも傷が乾かず血が流れ続ければいけるかもと、水をかけてみる。

 が…やっぱり無理そうだ…。


 私には死ぬ自由すらないのか…。

 

 ぼぉっと血を見つめていると不思議と不意に睡魔がおそい、膝を抱え少し眠った。

 

 起きて血が止まっていれば水をかけ、うとうとしてまた水をかけてと何度もくり返したが、気付けば完全に血は止まっていた。

 

 すっかり夜になっていた。

 ふと見上げると恐ろしくキレイな満月だった。夜風が涼しく気持ちよかった。

 

 月は満ちても、死なない。

 破裂もしないし、完全に無くなりもしない。

 美しく欠けて行き、また静かに満ちて行く。


 そしてそれを何度も何度も繰り返し、暗闇に明かりを灯し続ける。

 

 

 私もちょっと満たされたからって、消えて無くならなくてもいいかもしれないと思えてきた。

 

 

 コタニ君も言っていたじゃないか、私はまだ大丈夫。


 戻れるだろう。

 明日、朝が来たら、家に戻ってみようと思った。

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