5 初めてのキスはタバコ臭い絶望の味

 家出初日、私は押し倒され無理やりキスをされた。

 

 でもヤラれてはいない。

 

 生理だったから必死で抵抗したのだ。

 生理じゃなかったら、すぐに諦めてヤラれていたと思う。


 五日目でそんなに血は出ていないはずだが、ナプキンをしていた。

 自分でもバカだと思うが別に初体験だからではなく、只“ソレ”を男にどうしても見られたくなかった。


 そして男は本当に狼なのだと驚いた。

 ほんの少し前まで優しくて、すごく感じの良い人だったのに、次の瞬間には悪い奴丸出しの薄ら笑いを浮かべ、痺れて痛いほどに強く床に腕を押し付けて来た。


 押し倒された瞬間に強く打った頭がズキズキと痛んだ…。




 閉店後、初めての仕事と初めてのお酒にふらふらしている私を、この男はとても気遣ってくれた。


 店を出ると夜の世界に陽が差し込み、歓楽街なのに不思議な程にちゃんと爽やかな朝だった。

 

 寮は店から歩いて10分ほどの場所で黒門市場の中にあった。黒門市場は母や祖母がいつも買いものに来る場所だ。

 

 そんな近所に家出するなんてやっぱり中学生だなと自分でも愚かだと思う。でも当時は他に行き先が思い付かなかった。

 家族はもちろん。誰か知り合いに会わないか、冷や冷やしながら歩いた。

 

 やたら昭和臭い、古くて豪華なシャンデリアが鈍く光るエントランスのマンションに入ると、急に止まって閉じ込められるのではと不安になるようなエレベーターに乗り、薄汚れた廊下の奥の部屋に案内された。

 

 初めてマンションのワンルームというものをみた。


 小さな玄関。入ってすぐ横に小さなキッチン、反対側にユニットバス。短すぎる廊下の先に小さな部屋。どこもかしこも古くて汚い。埃とカビとタバコの臭いが酷い。

 

 そして何故か大量のおしぼりが部屋に散乱していた。それ以外は何もなかった。ベットも布団も無い。


 ここで寝るの?こんなところで暮らせるの?

 私は絶望的な気持ちで部屋を眺めた。


 男はお構い無しに部屋に座ると、買って来た弁当を食べ、私におにぎりをくれた。

 疲れていないか?店でイヤな事はなかったか?と労ってくれた。

 

 離れて暮らす妹に似ていてほっとけない。困った事があったら相談して欲しい。とも言ってくれ、私は密かに少し好意を抱きかけていた。

 

 こんなに急に無理やりに、そして生理じゃなかったら…抵抗なんてしなかったと思う。

 

 でも男は弁当を食べ終わり、タバコを吸い終えると、急に豹変し私を押し倒した。


 無理やり唇が押し付けられる。苦い。

 タバコと弁当、それにアルコールが混ざった味と臭いに吐きそうになるのをぐっと堪えた。

 

 どうせ死ぬつもりだったし、セックスもしてみたかったし、まあいいか…。

 一瞬悩んだが、生理中だったことを思い出した。


 死んでもナプキンの張り付いたパンツを触られたくない。見られたくない。私は必死で抵抗を初めた。

 

 大人の男の力は強い。どんなに必死でもがいてもびくともしなかった。

 

 でもそれはお互い様で、向こうも両手が塞がっているのでこれ以上はどうにも出来ないようだった。


 膠着状態がしばらく続いた。

 なんとかこの状態を打破しようと、

「店長に言いますよ」

 と言うと男は、

「みんな知ってるよ。お前が処女か賭けようって言ったのは店長やで」

 と鼻で笑った。

 

 みんなとても優しくて、良い店で働けることになり良かったと本気で思っていた私は、全くの子供でお馬鹿さんだったのだ。


 思わず涙が溢れる。

 流石にちょっと良心が痛んだのか、男が力を緩める。

「あぁ泣くなよ、もう…萎えるなぁ。離してあげるから最後にもう一回キスさせて」

 と男はまた唇を押し付けて来る。


 もう抵抗する気力もない。

 気を良くした男は舌まで絡めくる。嫌悪感でまた吐きそうになり、体に少し力が入り、男の手から逃れた。

 それでようやく長かった1日が終わった。

 

 男は帰り際、

「俺、この部屋の合鍵持ってるから、いつ襲いに来るかわからんよ」

 と薄ら笑いを浮かべ出て行った。

 

 すぐにシャワーを浴び、口を洗う。

 タオルが無いことに気が付いたが、ここにはおしぼりだけは大量にあって助かった。

 乾いたおしぼりで体を拭いて、濡らしたおしぼりで床を拭き、袋に入ったままのおしぼりを枕にして、私は目を閉じた。


 心身共に疲れきっていたが、こんな状態で寝られる訳がなかった。カーテンもない。明るすぎる汚い部屋で私はうとうとしながら宛の無い自由に早くも絶望していた…。

 

 それでも少しは眠れたみたいだ。ふと目覚めると、すでに陽が傾きかけていた。


 あの男がいる店に出勤するのか、少し悩んだが、他に行くところもないので出勤することにした。


 あれは、無かったことにしよう。


 どうせ私はもうすぐ死ぬんだ。

 私だけじゃない。みんないつか死ぬ。必ず死ぬ。死んだら何も覚えていない。何も考えられない。『無』なんだ。


 全ては何にも無い。なんでも無い。

 そう自分自身に言い聞かせた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る