1-3-19.四月二十九日④
「……
「
実際、わたしは男の人の裸を見たのはお父さん相手しかない。それも随分と昔の話だ。それこそ保健の授業を受ける前。だからこうして目の前にして見た時に、好奇心というものが先立ってしまうのも仕方がないのだと自分では思っていた。
「俺も興味はありますけど……こうして実際に見てみると、やっぱり男と女は違うんだなぁって思いますね」
「でもえっちな動画とかで、女の人の裸自体は見たことあるでしょ? 実物は違う?」
一瞬、一紀くんの手が止まる。が、すぐにまた ごしごしと洗い始めた。肩周りから腕と脇を終えて、ようやく胸から腹周りへ取り掛かる。
「それは、まあ……。でも実物というか、目の前のものは、モデルの顔がいいですし。とても綺麗だと思います」
「ありがとう」
そう言うことが言えるなら、彼はだいぶ平常心を取り戻したのだろう。少しずついつもの調子に戻ってきて、会話もスムーズになってきた。
「背中やるので、後ろ向いてもらえますか?」
はーい、と彼に背を向けるようにして座り直す。そしてそのまま、腰回りから足先まで洗ってくれた。正面を向いていなければ、彼としてはやりやすいようだ。平常心を取り戻したことで、あまり意識せずに作業的に取り掛かれた部分もあったのかもしれない。
最後に泡を洗い流してもらって、一緒に浴槽に浸かる。二人で入ることは想定されていない浴槽だから、向かい合って膝を折り、さらにお互いの足を互い違いに噛み合わせるようにして入った。すると、かさが増えた分、一気にお湯が溢れ出てしまう。
「ごめんね、狭くて」
「ああ、いえ……大丈夫です」
何をどう切り出していいかわからなくて、互いに沈黙してしまう。風呂の中に居ても、外ではまだ雷が鳴っているのが聞こえてくる。
わたしは手を伸ばして、一紀くんの頬に触れる。何をされるのかと彼は一度構えたが、すぐに力を抜いて抵抗はしない。
「わたし、一紀くんを困らせてばっかりだね。こんなに大事なんだけどなぁ。どうして意地悪したくなっちゃうんだろう」
「志絵莉さんは根が意地悪だから、しょうがないんじゃないですか?」
「そういうこと言っちゃうんだ。じゃあもっと意地悪しちゃおうかな」
わたしは膝立ちで前屈みになって、一紀くんに抱き着いた。彼の顔が間近に迫って、視線を逸らそうとそっぽを向いた彼の頬に口付けする。そうしたら、彼も仕返しとばかりにわたしの唇に吸い付いた。だからわたしも、仕返しの仕返しに、彼の唇に自分の唇を押し付ける。段々馬鹿らしくなって、お互いに笑い合う。
「話したことあったっけ? 最初にした約束で、どうしてわたしがセックスの誘いを禁止にしたのか」
わたしがふと口にすると、一紀くんは真面目な顔で少し考えてから答えた。
「たぶん、なかったと思います」
「わたしが本当にダメなことは、妊娠することなんだ。わたしが狙われてる理由って、わたしの血筋にあるみたいなんだよね。だから今はまだ、わたしの血を安易に繋ぐわけにはいかないの。そもそも、今妊娠しても育てられないっていうのもあるけどね」
「そうだったんですね……。だから、ハグやキスは別にいいってことだったんですね」
「うん、そう。だから、その……妊娠するようなこと以外だったら、別にいいんだ。……言ってる意味、わかる?」
一紀くんの身体をなぞるように、わたしの右手が彼の首元から胸を通り、腰まで降りていく。指先で軽く触れてみると、彼はびくっと小さく身体を跳ねさせた。
「わかりますけど……。志絵莉さんは、そうしたいんですか?」
やっぱりこの返しをされた。わかっていた。わたしも一紀くんも、たぶん願望としてはその先に進みたいと思っている、と思う。でも、どちらかがしたいと言わなければ、均衡状態のままうだうだと時間が過ぎるだけ。今夜は建前や駆け引きは無しだと言った。もう充分破ってしまっているけれど。今から守っても、遅くはないだろうか。
「……そうだよ。わたしは最初にした約束を訂正したい。禁止するのはセックスの誘いじゃなくて、妊娠する行為。今のわたしたちなら、その意味がちゃんとわかるはずだから。だから一紀くんも、したいと思った時、してほしいと思った時は、遠慮せずに言っていいんだよ。これからはそういう関係に、アップデートしよう。……嫌だ?」
一紀くんは少し怒ったように、でも語気は強くなくて、ぼそぼそと話してくれた。怒っているのは自分のためではなくて、わたしのために怒っているのだろうと思った。怒っているようなのに、どこか泣き出してしまいそうだったから。
「どうしてそう、献身的なんですか。志絵莉さんは俺に良くしてくれ過ぎですよ。だってその約束は、志絵莉さんに何の得があるんですか?」
「わたしがしたいと思ってるから、じゃダメ? まあ確かに、ちょっとした引け目みたいなものはあるよ。彼女ができた男の子は、少なからず彼女とそういうことがしたいと期待するものでしょう? でも最初からそれを禁じてきた。今も、結局は肝心の行為は禁じたまま。男の子の界隈だとどこから童貞卒業扱いになるのかは知らないけど、わたしに縛り付けておくくせに、恋人としての役割を果たせないのは申し訳ないなって思うよ。だけど、それだけじゃない。わたしは、わたしがしてくれたら嬉しいって一紀くんが思うことは何でもしてあげたいの。できる限りで、ではあるけどね」
「そんな、引け目なんて感じなくていいんですよ。俺はえっちなことしてくれなくたって志絵莉さんのことを大切にしますし、彼女だから彼氏とえっちしなきゃいけないとも思いません。そりゃあ、してくれたら嬉しいことではありますけど、俺もそれで志絵莉さんを縛るような真似はしたくないです」
一紀くんならそう言ってくれると思っていた。そう思ってくれていると思っていた。だからわたしは、君を選んだのだから。
「ありがとう。でも、そういう一紀くんだから、わたしはむしろしてあげたいんだ。身体の関係がなくたってわたしを大事にしてくれる一紀くんだから、それがちゃんとわかってるから、わたしは一紀くんの望みを叶えてあげたいの。もちろん、嫌だったら嫌だって言うし、できないことはできないって言うよ。だから、何でも言ってみて。一紀くんは、どうしたい? わたしに何してほしい?」
「俺は……」
一紀くんは少し考え込むように言い淀んだ。わたしは急かすことなく、彼の言葉の続きを待つ。こうして近くで見てみると、大してスキンケアなんてしていないだろうに、一紀くんの肌はつやつやして綺麗だ。だからこんなにも、ずっと触っていたくなるのだろうか。
「志絵莉さんの考えはわかりました。約束のアップデートも、それで良いと思います。でも俺は、自分だけがしてもらうなんてことは嫌です。だから、俺も志絵莉さんのしてほしいことをしたいです。俺は志絵莉さんと、そういう関係でありたいから」
「うん。わかったよ。ありがとう、ちゃんと考えてくれて」
わたしがよしよしと頭を撫でてやると、一紀くんは少し気恥しそうに視線を彷徨わせた。そんなところがどうしようもなく可愛くて、つい意地悪したくなって、わたしは彼の耳元で囁いた。
「それで、どうしてほしいんだって? お姉さんに言ってごらん」
そうしてそのまま、真っ赤になって熱を帯びた耳たぶを食む。すると、小さい悲鳴のような声を上げて、一紀くんはまたも身体をびくつかせる。
「何でそんな、えっちなお姉さん風なんですか……」
「だって今、えっちなお姉さんなんだもん。ほらほら、正直に言ってごらんなさいな」
「じゃあ、その…………おっぱい、吸わせてほしいです」
真っ先に出るのがそれなのか。でも、一紀くんらしいと言えばらしい。
「いいけど……別に何も出ないからね?」
「大丈夫、わかってますよ」
「こっちはいいの? なんか、すごいことになってるけど……」
さっきからわたしの右手は彼の股に触れたままで、そこはずっと硬く屹立したままになっていた。人間の身体ってこんなに硬くなることができるのかと思うくらいに。痛かったりしないのだろうかと心配すらしていた。
「そっちはたぶん、手で少し触られただけですぐイってしまうと思います。呆気なくて、志絵莉さんとしてはつまらないかもしれません。ごめんなさい。でもこれも、志絵莉さんがえっち過ぎるからいけないんですよ」
わたしのせいなのか。いや、でも、そっか。確かにそうだ。わたしのせいだ。そう思うと俄然嬉しくて、もう一度彼の頬にキスをした。
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