1-3-12.四月二十七日②
「あとは……この、園長先生とやり取りをしている者は何者なのかってところか」
何らかの報告書のようなものを誰かに送っているらしく、そのデータが残されていた。中を見ようとするとパスワードが掛かっていて、簡単には見られないようにしているという厳重体制。重要なものに違いない。
だが、そのパスワードを突破して中を見てみれば、その内容は奇妙なものだった。
「“例の子に見せたところ、
例の子って……こうくんのことだろうか。青や黄色っていうのは、まさか……共感覚? わたしの絵を描いてくれた時に背景を青く描いていたのは、もしかして空ではなくて、わたしのオーラのようなものがそう見えていたのだろうか。
しかしながらそれがわかっても、こうくんにとっての青や黄色が何を指すのかわからないから、わたしが青だったから何だというのかがわからない。だけれどわたしは他とは違うと、こうくんにもそう見えたのだろう。
この情報をここまで厳重にしている理由は何だろう。こうくんが見分けたものに、それだけの価値があると言うのだろうか。
「大体 目を通してくれたようだな。先生も気付いたと思うが、その
「こうくんは今後、狙われる可能性はないの?」
それが一番気がかりだ。わたしが巻き込んだわけではないと思うが、彼らから目を付けられていた以上、今後も何らかの形で事件に巻き込まれる可能性はある。
それに今回は恐らく失敗したのだろうが、一応“お見送り”を経験したわけだ。これでこうくんの死生観が歪んでしまっていたら、例にもよって犯罪に利用される可能性もある。
「全くのゼロとは言わないが、可能性は低いだろう。森分少年は彼らの計画に関することは知らされていないだろうし、森分少年を生かしておいても向こうの不利益にはならないはずだ。彼がやってくる前からも計画は進められていたわけだし、どうしても彼が必要とは思えない」
「だとすれば、こちらも当然警戒するであろうこうくんに、わざわざ接触しようとは考えないってわけね。まあそれでも、しばらくは念のため、彼の周りを警戒しておいてほしいかな」
「わかった。うちの護衛に見張らせよう」
「ありがとう。今回の報酬はそれでいいよ。萩くんだって、わたしのその要望を聞くには、少なからず家の人に無理させることになるんでしょ? わたしだって今回は成功とは言い難い部分もあるし、約束していた成果に見合った報酬だと思わない?」
萩くんは何か言いたそうだったが、出かかった言葉を押し殺すように口を閉ざした。何か言ったところでわたしは聞かないと、直感的に悟ったのだろうか。
「それにね、この病室を手配してくれたり、治療費を払ってくれたのも萩くんでしょ?」
「……気付いていたのか」
むしろどうして気付かないと思っていたのか。本当に彼は、わたしが絡むと途端にポンコツになる。
「わたしの不手際なんだから、萩くんが責任を感じることはないんだよ? だけどね、わたしのために色々手を尽くしてくれたのは、素直に嬉しいと思ってる。ありがとう」
「それは……僕としては、先生に死なれることが何より困る。それを防げるなら何だってするさ」
今日はやけに素直じゃないか。普段ならそんな、わたしのことが好きだと明確に言っているような言葉を吐くなんてしないのに。今回のことはそれほど、彼にとっては堪えたのだろう。わたしが死んでしまうかもしれないということが、現実のものとして起こり得たかもしれないと、実感したのだろう。
これに懲りたら、今後はもう無茶なお願いはしてこないだろう。少しだけ寂しいような気もするが、一般人であるわたしがこういったことに関わるのは本来良くないし、それでいいのだと思う。
「一応、これらの資料はもう警察にも提出してある。以降の捜査は警察に引き継ぐつもりだ。先生もそれでいいな?」
「わたしは構わないけど……。お母さんには報告したの?」
お母さんのことを引き合いに出すと、萩くんは途端に寂しそうに顔を曇らせる。彼は今回の成果を、自分の手柄としてお母さんに報告するつもりだった。だけれど思いの外 大ごとになってしまって、警察が介入せざるを得なくなってしまった。そうなった以上は、少なくとも表向きには警察に捜査を任せるしかないのだろう。
「直接話してはいないが、この件は母の耳にも届くだろう。それだけの案件だと思う」
「そっか。……もう一つ、いい?」
「何だ?」
わたしはベッドの上に散らばった書類をまとめて、ベッドの脇のテーブルに置いた。そうして、改めて萩くんを見据えて聞いた。
「
今回のことは、そこから始まった。にも関わらず、その事件は解決できていない。これだけ色んなことがわかったのに、事件の解決には繋がらなかったのだ。わたしとしては、それが一番気がかりだった。彼の母は、これを
「少なくともあの事件の根底に、“あにまる保育園”の存在、ひいては“株式会社 青空教室”の存在があったのは間違いない。そして類似の犯行と目されていた“連続
「それならいいんだ。わたしは今回のこと、萩くんは満足のいく結果になったのかなと思ってね」
仮に満足していなくても、これ以上の捜査は彼の方ではしないだろう。いや、できないというのが正しいか。わたしという助手をこれまで通りに使えなくなってしまったから。
「そうだ、萩くん。例の話、しようと思ってたんだ。前に言われてた、一緒に住まないかって話」
このタイミングでその話題を切り出されることに、萩くんは不安を覚えたらしかった。既に答えを悟ったように、顔から覇気が消え失せていく。だけれど言うしかない。今回のことで確信した。だからようやく決心することができた。これを彼に伝えることを。
「わたしにとっても悪い提案ではないと、確かに思った。だけど、答えとしては“やめておく”、かな」
わたしのその答えを聞いて、萩くんはそっと目を伏せる。
「そうか……。理由を聞いてもいいか?」
「理由は色々あるけど……そうだねぇ。たぶんだけど、萩くんよりわたしの方が危ない人たちに狙われてるみたいじゃない? だから萩くんにも、それこそセレナさんや
「……なら、誰なら先生を守れるんだ? 今回みたいに自分で自分を守れなくなった時、先生はどうやって危機を脱するつもりなんだ?」
少しだけ語気が強くなった萩くんを宥めるようにわたしは返す。勝手に死なないから、と約束するまで応酬が続きそうだ。だけれどそんな約束はできない。今のわたしに言えることを、精一杯、真っすぐに、彼に伝えなくては。
「確かにわたしは今回、助けてもらえなければ死んでいたかもしれない。だけどね、それならそれで、わたしの運命なんだと思うの。でもまぁ、わたしは自分で思ったより色んな方面から注目されてるみたいだから、今まで以上に用心して過ごさなきゃなとは思ってるよ。あんな軽率な行動は、今後はしない。でもね、代わりに誰かが死ぬことになるっていうのも嫌なんだ。当たり前だけどさ。だから、わたしが命を懸けることで誰かを救えるなら、その時はそうすると思う。それは、許してね」
彼はわたしの言葉をゆっくりと咀嚼して飲み込むように考え込み、やがて小さく一つ頷いて、静かに口にした。
「……わかった」
「ありがとう」
ベッドの脇の丸イスに腰掛けた彼に目一杯手を伸ばして、抱き寄せる。彼に今までしたことがないほど、ぎゅっと抱きしめてやる。抱きしめながら頭を撫でてあげても、抵抗されない。ここは二人きりだから良いのかもしれない。
「大丈夫。わたしは死なないよ」
「……僕が死ぬまで、死なないでくれ」
「無茶言うね。わたしの方が年上なのに」
そうしてふふっと笑うと、彼も同じように笑ってくれた。彼のこんな柔らかい笑顔を見たのはいつぶりだっただろう。
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