1-3-5.四月二十四日⑤

 その後もこうくんと一緒に動物図鑑を見ながら話していると、みちる先生がこうくんを呼びに来た。どうやらお迎えが来たらしい。


「えっ、もうきたの? はやっ」


 とは言っても、もう午後七時を回ったところ。いつもが何時くらいなのかはわからないが、早いとは言えない時間だ。恐らく、時間を忘れてお話ししてくれていたのだろう。


「しえりおねえちゃん、あしたもくる?」


「うん、明日も来るよ」


「じゃあ、またあしたね。ばいばい」


「ばいばい。また明日ね、こうくん」


 わたしに手を振って入口の方へ向かうこうくんを見送って、ふう、と一息吐くと、にやにやとこちらに視線を遣る美祝みのりが視界に入る。おおかた、わたしとこうくんで勝手にカップリングを作っているんだろう。美祝は何でもすぐ色事に結び付けたがる。今はまだ子供たちがいるから抑えるけれど、後で覚えておけよ。



 子供たちが全員帰った後で、わたしたちは園長室に呼ばれた。保育士の先生たちも帰る前に今日一日の報告をしていたので、わたしたちもそれに倣って今日の所感を聞かれたのだ。


 わたしは適当に答えながら、頭のほとんどをこの部屋を探ることに使っていた。この園で最も怪しいのはこの人、園長だ。そしてこの部屋は園長の城。勝手に誰かが立ち入ることはない部屋だ。つまり、何かを隠すには絶好の場所なのだ。

 不自然にならない程度に周りに視線を遣り、怪しい箇所を探ってみるが、さすがに簡単に目に付くようなところには何もない。壁や床に不自然な継ぎ目があるわけでもなく、隠し扉の類があるようにも見えない。


 地下室の存在は間違いないはずなのだが、その出入り口を見つけられない。この園長室を含めて一階の部屋にはそれらしい場所はなかった。地面にカモフラージュした入り口が園庭にあるとも考えにくい。子供たちが誤って入ってしまう可能性もあるからだ。

 あと気にするとしたら、どこまでがこの教育に加担しているのかどうか。園長はクロと考えて、誰が園長とグルなのか。明日から探るとしても、敵の数を見誤ることのないようにしておきたい。


「今日は本当にご苦労様。実習や見学の受け入れは初めてだったから、私も要領が掴めずすまなかったね。こんなに長時間働いてもらっちゃって。ただ、保育園の一日というものを実感してもらいたかったんだ。ゆっくり休んで、明日もまた頼むよ」


 うちの学科としては現場の一日の流れを全部見せてもらえるのはありがたいことではあるけれど、逆に何故 今回受け入れることにしたのだろう。見学すら許したことがなかったのに、いきなり実習を受け入れるなんて。これまでは申し込みがなかったのか。そんなこともないだろう。こんな特異な教育をしている現場だ。同業者からだって注目されているだろう。“あにまる保育園”側にも、今回の実習を利用したい目的が何かあるのだろうか。



 更衣室で着替えていると、案の定、美祝がにやにやと小突いてくる。


志絵莉しえりさんってば、あんなことを仰っていた割に、初日から新しい男を作るなんて……さすがですわね」


「だから違うってば。わたしがそういう目で見てると本気で思ってるの?」


 美祝を窘めると、今度は脇から愛淑あすみも口を挟んでくる。


「そりゃあそうだよ。なんたって童貞キラーの志絵莉様だよ? それでもあたしもびっくりしたわ。あんたやっぱ、年下落とす天才なんじゃない?」


「なんか喜んでいいのか複雑なんだけど……」


「でも、志絵莉の気持ちもちょっとわかるな。可愛かったもん、子供たち」


 なんて、莉世りせは思い起こしながらうっとりした目をしていた。莉世の中で新しい何かが芽生えたらしい。それが母性本能のようなものであることを、切に願う。


「志絵莉はこれからどうする? 駅前寄ってく?」


 終わったらしゅうくんに今日の報告をしたかったが、思ったよりも時間が遅くなってしまったうえに、疲れた。慣れない場所で慣れないことをする以上、多少の疲れは想定していたが、この疲労は想定以上だった。周りに探りを入れるために集中し過ぎたのかもしれない。

 明日は遅番としての出勤だから、朝は少し遅くてもいいし、気力が続く限りは話してあげるか。


「今から? 元気だねぇ……。わたしはパス。この後寄るところあるから」


 すると、三人とも揃って口元を緩めやがる。


「彼氏でしょ」


「彼氏だね」


「彼氏ですわね」


「……違うから」


 終始 揶揄ってくる三人を適当にあしらって、わたしは萩くんの家に向かった。

 彼の家は駅を挟んで“あにまる保育園”とは反対方向だったが、真っ直ぐ帰るよりは直接寄った方がいい。いつもは申し訳ないと思ってしまうが、今日だけは、佐路さじさんに送ってもらいたかった。



 いつもより遅い時間になってしまったけれど、萩くんはわたしを快く出迎えてくれた。


「お疲れのようだね、先生。今温かいお茶を淹れさせるから、少し休んでいくといい」


「ありがとう。ごめんね、遅くなって」


「構わないさ。僕もどうだったか気になって眠れそうになかったからな」


 セレナさんが熱過ぎない温かいハーブティーを供してくれる。一口含むと、ほのかにハチミツのような香りと甘さもある独特の味わいだ。セレナさんのオリジナルブレンドなのだろうか。


「想像以上に隙がないよ。さすがによそ者を入れるとあって、警戒はしてるみたい。結局 今日だけじゃ地下室の入り口は見つけられなかった」


 他にも今日あったことを、重要度の高い順から話していくと、萩くんは途中で口を挟むことなく最後まで一通り聞いてくれた。


「先生としては、保育士の全員が計画に加担しているわけではないと思っているのか?」


「そうだね。もしかしたら、保育士の先生は全員知らされていないのかも。園長が知りたい内容を報告させて、利用してる可能性もあると思う。共犯だとしても、クラス担任の先生だけじゃないかと思う」


 ちなつ先生とみちる先生は、明らかにはるか先生とは違う。特にちなつ先生は、この園のやり方にどこか違和感を覚えているような感じだった。彼女が共犯でないと確信を得られたら、味方に引き入れることもできそうだ。


「現場の保育士の協力が得られれば、調査は格段にしやすくなるな。そのちなつ先生とやらともう少し話をしてみたらどうだ? 共犯だったとしても、寝返らせることができるかもしれない。先生ならそれくらいのこと、朝飯前だろう?」


「わたしを何だと思ってるわけ……? まあ、やってはみるけど、あんまり過度な期待はしないでよ?」


 言われなくてもそうするつもりではあった。もう少し園長室を調べたい。そのためには、現場の保育士の協力が不可欠だろう。誰でもいいから最低でも一人は味方に付けないといけない。可能性が一番高いのはちなつ先生だろうとわたしも思った。


「先生にこれを渡しておく」


 差し出されたのは、小さなUSBメモリーのような機器。この機器が何なのかにはすぐに思い至った。


「これ、本気の犯罪じゃん……。バレたらどうするの?」


「バレないようにやってくれ」


 そう丸投げにする彼に、わたしはついついため息を吐いてしまう。


「ねえ……わたしの負担大きくない?」


「それは……悪いと思っている。難しければいい。だが、リスクに対して得られるものは大きい。そこは先生の判断に任せる。もし見つかってしまった場合は、すぐにボタンを押してくれ」


 萩くんのボディーガードが突入して、どうするのだろう。揉み消すのだろうか。できれば穏便に行きたいなぁ。わたしの今後の学生生活にも関わるし。


「わざわざ寄ってくれてすまなかった。……いや、ここはありがとう、と言うべきか」


 彼も少しは成長したらしい。わたしはそれが嬉しくて、彼の頭をよしよしと撫でてやる。


「帰りは政守まさもりに送らせる。明日も、疲れていたら電話でも構わないからな。疲労を残さないようにしてくれ。その疲労が万が一の命取りになりかねない。くれぐれも、無茶や無理はしないでくれ」


「わかってる。ありがとうね、心配してくれて」


 とは言っても、多少の無茶はしないと攻略できそうにはないな。堅く構える相手を崩すには、こちらも大きく攻めるしかない。奇襲という手もあるが、それを使うにはまだこちらの情報が足りない。

 明日の目標はとりあえず、ちなつ先生か。それからこうくんからも目を離さないようにしないと。

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