1-3-6.四月二十五日①

 昨日は朝早くから遅くまでだったのを考慮して、今日はわたしたちは遅番での出勤だった。遅番の出勤時刻は午前十時。そこからお迎えが完全に終了するまで——午後七時頃までを想定したシフトだ。


 昨日と同じくジャージに着替えてから四歳児クラスに顔を出すと、こうくんと目が合って、泣きそうなくらいの笑顔を向けられる。今日もちゃんと来ると言ってあったのに、わたしが来るのが遅いもんだから不安になったのだろう。


 今日は給食の前に、園庭の遊具で遊ぶ時間が設けられた。昨日はお絵描きだった時間だ。この時間と給食の後の教育的プログラムの時間は日によってやることが違うらしい。


 “あにまる保育園”は動物を飼育しているため、動物と共に過ごす時間を作れるのが強みだが、それに依存し過ぎない多種多様な教育プログラムを展開している、とパンフレットにはあった。その通り、動物と関わらずに純粋に身体を動かすことも行っているようだ。


 今日は園庭のとある区画に少し距離を空けてコーンを置き、片方のコーンのところからもう片方のコーンまで走る、という遊びをやっていた。もう片方のコーンの方には別チームに分けた子供たちがいて、向かい側からやってきた子供にタッチされると

、交代で反対側のコーンまで走っていく。そしてまたもう片方のコーンのところにいる子供にタッチして、走り出した子が反対側のコーンにいる子供にタッチして……という繰り返しだ。

 正直何が楽しいのかはよくわからないが、この年頃の子供たちにとっては、走るだけで楽しいらしい。わたしとはるか先生も列に混ぜられて、一緒になって走らされる。もちろん本気では走らないが。


 さすがにこの運動をしている間は近くにいる子としか関われず、こうくんだけの相手をしているわけにもいかなかった。だからか、彼は少し寂しそうに下を向いていて、誰とも話そうとしなかった。というより、見ていると、誰もこうくんに話しかけにいかない。周りの子たちも、こうくんはどこか接しづらいと思っているのだろうか。


 どうにかこうくんの相手をしてあげたいが、今日のわたしは少し忙しく、なかなか時間を見つけることが難しかった。

 給食の準備を終えたら、昨日と同じようにちなつ先生と昼食を食べ、その後で飼育小屋の清掃と動物たちへ給餌をする予定になっていた。しかしわたしとしては、これは好機でもあった。ちなつ先生に探りを入れて、味方にできそうなら上手く説き伏せたい。こうくんを放っておくのは可哀そうではあるが、今はわたしの使命の方が優先だ。



 昼食を終えて飼育小屋の掃除をしながら、わたしはちなつ先生に何の気なしに聞いてみる。反応次第では、この話題自体を引っ込めることも考える。


「ちなつ先生、“あにまる保育園”のこと、どう考えてます? チャミちゃんのことも」


 特段感情を込めずに言ったことで、彼女にもわたしが真剣に問うていることが伝わっただろうか。ちなつ先生は少しの間 考えるように手を止めて押し黙ってしまった。しかしやがて、手に持った箒で掃き掃除を再開したが、動きは少しぎこちない。


「……しえりちゃんも、おかしいと思う?」


 その一言にはありとあらゆる感情が込められていた。悲しみも、疑念も、悔しさも、憤りも。だから、その一言だけで充分だった。


「わたしは、そのために来たんです。内緒ですけどね」


「え!? ……他の子たちも?」


「いえ、わたしだけです」


「……さすが、翠泉すいせんの子だね。そっか。すごいなぁ」


 こんなところでも翠泉の名が出てくるのか。やはりこの船迫ふなさこ周辺では、翠泉グループの影響力はわたしが思うより絶大なのかもしれない。

 もしかしたら“あにまる保育園”側が今回の申し出を受け入れたのも、翠泉からの依頼だったから断りづらかったのかもしれない。いや、この翠泉からの申し出を受け入れて実習を完遂させれば、あの・・翠泉の子が実習に来たという実績を残せる。それはこの地域で言えば、悪い噂を黙らせるのには格好の、何よりも価値のある箔なのだろう。疑いの目だって向きにくくなる。それを狙ってのことだったのかもしれない。


「この飼育小屋の下あたりに、恐らく地下室があると思うんですが、ちなつ先生は知っていますか?」


「いや、知らないけど……そうなの?」


 ちなつ先生でも地下室の存在は知らないのか。だとすると、やはり出入口は園長先生しか知らないのかもしれないな。それに、ちなつ先生が地下室の存在を知らないとなると、彼女は“お見送り”で本当は何が行われているのかも知らないのかもしれない。


「チャミちゃんや他の動物がこういう、死んでしまうのを待つだけになっている現状は、恐らく意図的なもの。それを決定付ける証拠になるものが地下室にあると、わたしは考えています。だからこっそり地下室に侵入して、証拠を掴まないといけない。そのために出入口を探しているんですが、さすがに昨日の今日では見つけられなくて……」


「……私は、何をすればいい? 私に話してくれたのは、私に何か協力してほしいからだよね?」


 話が早くて助かる。いや、そう申し出てくれるように仕向けているのはわたしの方だから、これでそう言ってくれないと困ってしまっていたが。


「わたしはバレてもただの学生ですから、そこまで痛手を負うことはありません。あっても停学くらいでしょう。ですがちなつ先生は、バレたらマズいんじゃないですか?」


「うん……。だから、バレないようにやってくれるんでしょ?」


 ニヤリと笑みを向けてくるけれど、その眼は縋るようでもあった。何でもするから助けてほしい。そんな思いを暗に含んでいるようにも思えるほどに。


「ええ、任せてください。翠泉の首席は伊達じゃないですからね。ちなつ先生にお願いしたいのは一つだけ、十分間だけでいいので、園長先生を園長室から遠ざけてください」


「その間に園長室を探るの? ……確かに、あの部屋は私たちもじっくり入ったことないな。掃除も園長先生が自分でやってるくらいだし」


 そこまで他人を許していないのは、やはり怪しい。あの部屋に何かがあるのは間違いなさそうだ。


「十分きっかりでお願いします。それより延びるのは助かりますが、短くなるとわたしでも厳しいです。お願いできますか?」


 ちなつ先生は少し間を開けてから、やがて覚悟を決めたように静かに頷いた。


「……わかりました。やります」


「ありがとうございます」


 これでちなつ先生の協力は仰げることになった。とは言え、あまりそれを信用し過ぎるのも良くない。他人任せの作戦は失敗する可能性も大きいということを肝に銘じておいて、別の作戦も考えておかなければ。



 作戦の決行はお昼寝の後、ちょうど郵便が来る時間。その時間には外出していた園長先生も帰ってきていて、そこをちなつ先生に呼び出してもらい、別室で足止めする。その間に、わたしがこっそり園長室に侵入し、しゅうくんから預かった機器を園長先生のPCに挿してデータを抜く。そんな作戦だった。


 作戦は順調で、園長先生はまんまとちなつ先生に連れ出されていった。それを確認して、わたしは園長室に侵入する。慎重な園長先生のことだから、席を外す際も部屋に鍵を掛けるかもしれないとも思ったが、鍵は掛かっていなかった。ちなつ先生の用事がそれほど長くは掛からないだろうと判断したのだろうか。何はともあれ、予定より簡単に中に入れた。


 わたしは真っ先に、園長室の執務机の上に開かれているノートPCにUSBメモリのような機器を挿した。これが一番重要で一番時間も掛かるから、何よりも優先しないといけなかった。挿したらすぐにデータの吸い出しが始まる。機器の緑のランプが消えたら吸い出し完了だ。それまで室内の調査をすることにした。


 昨日 確認した通り、床や壁には怪しい通路や扉はない。昨日は見えなかった机の裏や、机の下にもない。通路の類を探すのは早々に諦めて、今度は引き出しの中を開けて調べてみる。鍵が掛かっている引き出しは開けられないが、他は特に大したものが入っているわけではないようだ。


 刻一刻と時間が過ぎていくが、何も手がかりを見つけられない。書棚にも大した資料はないし、そうしたものは全て電子化しているのだろうか。

 残り時間も少なくなった頃、機器の緑のランプが消えたので、まずはそれを回収して、残り時間ギリギリまで調査を続けることにした。機器さえ回収できれば、この部屋に侵入したことがバレたとしてもどうにかはなる。


 最後に、執務机の横に引っ掛けられていた園長先生の鞄に手を伸ばし、中を見てみる。部屋の物と違い、これは園長先生が持ち歩いているものだ。この部屋のどこにも何もないというなら、データ化しているか、持ち歩いていると考えるのが妥当だろう。

 すると、ある書類を見つけた。クリアファイルにまとめられた一式の書類。一番上の紙にはわたしの顔写真とわたしの来歴が記されている。学校側から提出されたものではない。園側が独自に調べたものだろう。二、三枚目も同様にわたしについて調べたらしい報告書のようなものがまとめられていた。いや、これは報告書というような一方的なものではなく、この書類を介して誰かとやり取りをしているようだった。わたしという存在について、誰かとやり取りをしているであろう赤いペンの書き込みが残っていた。


「“天才遺児”……? “彼女を調査することで今後の“優等生計画”の進行に寄与する可能性がある。また、彼女は別の計画でも重要なパーツになり得る。可能であれば遺伝子を採取せよ”……。何、これ……」


 もう少しこの資料を読み込みたいけれど、もう時間がない。急いで元の状態に戻して、持ってきた郵便物を園長先生の机に置き、部屋を出た。

 部屋を出るとき向かい側からやってきた園長先生と目が合って、近くにやってきたときにわたしの方から声を掛けた。


「園長先生宛に郵便が届いていたので机に置いておきました」


「ありがとう」


 それだけ言って、園長先生は園長室に入っていった。怪しまれているだろうか。どういう反応だったのかはわからない。園長室に戻った園長先生は何をするだろう。何か気になって確認するだろうか。気になるけれど、今振り返ったら確実に怪しまれる。わたしはそれをぐっと堪えて、帰り際のちなつ先生と合流し、一言お礼だけ言って業務に戻った。彼女と話し込んでいてもそれはそれで怪しい。共謀しているのではないかとちなつ先生にも疑いの目が向けられる可能性がある。それをちなつ先生もわかってくれたのか、彼女もそれだけで素直に帰ってくれた。

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