1-3-3.四月二十四日③

「こうくん、楽しそうだね」


 はるか先生が園庭の方からゆっくりやってきて、こうくんに声を掛ける。そのはるか先生の微笑ましそうな表情から、普段のこうくんの様子が垣間見えた気がした。


「せんせい、きょうも チャミはいないの……?」


「ごめんね……まだ具合が良くないみたいで……。もう少しお休みしたら、また一緒に遊べるようになると思うから、もうちょっと待っててね」


 そのはるか先生の言葉に、嫌な想像がよぎってしまった。そのチャミという動物は、休んでも良くはならない。近いうちに“お見送り”が待っているのだろう。その際に選ばれる一番仲が良かった子は、こうくんなのだろうか。


 一番仲が良かった子をどう選別しているのか気になっていたが、ここである仮説が思い付く。

 “お見送り”の前にこうしてあえて遠ざける期間を作り、その際にその動物を想って悩み苦しんでいる子を見つけるのだ。見つけるのはもちろん、一番近くで子供たちと接する保育士の先生。となると、この仮説では保育士の先生も園と共犯ということになる。

 こうして保育士の先生と接してみて、彼女らは純粋に子供たちと関わっているように思える。本当に子供や動物が好きで、この仕事にやりがいを感じながら仕事に向き合っている。この保育士さんたちは“あにまる保育園”の出身者のような特殊な死生観を持っていないはずだから、もし自分たちの行いを理解しているとしたら、多少の罪悪感くらい抱いていても良いはずだ。たった数時間でも接してみた限りでは、それを感じない。

 最悪の展開は、生き物を殺すことに罪悪感を感じず、またそうした価値観を持つように子供を育てることに何の躊躇いもない人間が保育士をやっているということだ。そうだとは思いたくないが、その可能性も考えてはおかないといけない。



 お絵描きの後は、給食の時間。委託契約している給食センターから届いた給食をクラスごとに仕分け、子供たちに渡していく。幸い、このクラスにはアレルギーのある子はいないそうなので、どれが誰に渡っても構わないそうだ。


「はい、じゃあみんな、いただきます」


 いただきます、と皆が声を揃えて言うと、一斉に食べ始める。四歳ともなれば一人で食べられる子も多いが、それでもはるか先生は見回りながら補助をしなければならず、この時間に昼食を取ることはできない。後から出勤してきた遅番のみちる先生も、三歳児クラスと四歳児クラスを行ったり来たりしながら子供たちの補助をするそうだ。


 わたしはと言えば、早番のちなつ先生と一緒に休憩室で食事を取って、その後は一部の動物たちの給餌と、飼育小屋の掃除を行う予定になっていた。


「どう? 少し疲れたんじゃない? 慣れないことが多くて大変でしょ」


 園に届けられた給食を食べながら、ちなつ先生の方から声を掛けてくれた。


「そうですね。賑やかで楽しいですけど、ちゃんと見ていなきゃって緊張しちゃって……」


「そんなに気を張らなくても大丈夫だよ。他の先生もいるし。でも本当に、子供たちを見守る目は多いに越したことはないから、居てくれるだけでも助かるよ~」


「今日、こうくんとお話できたんですけど、チャミちゃんっていう子が最近お留守番続きで寂しいみたいで。何かあったんですか?」


 ちなつ先生だって四歳児クラスを担当している保育士なのだから、何も事情を知らないということもないだろう。そう思って聞いてみた。

 するとちなつ先生は、露骨に話しづらそうに言い淀んだ。わたしは何も知らない体できょとんとしていると、やがてこそこそと話してくれた。どうせ今は誰もいないというのに、それでも小声で話すとは、やけに慎重だ。


「……これ、内緒の話ね。チャミちゃんはたぶん……もう助からないの。うちと提携してる獣医の先生のところで何回か診てもらってるけど、状況は変わらない。だからじきに、“お見送り”をしなくちゃいけなくなると思う」


 獣医の先生に診てもらっても、治療をしてくれているわけじゃない。だから状況が変わらないのは当然だ。それを知らないのか? こそこそと話しているのは、万に一つも子供たちに聞かせるわけにはいかないから、なのだろうか。


「そう、なんですね……。動物は人間より短命ですし、仕方ないことではありますけど……つらいですね……」


「うん……。それでもチャミちゃんは長生きした方だけどね。あ、チャミちゃんはゴールデンハムスターなの。もうじき二歳になるから、こうくんがこの園に来たのと同じくらいのタイミングでうちに来たんだったかな、たしか」


 わたしはちなつ先生に頼んで、飼育小屋の掃除の時にチャミちゃんを見せてもらうことにした。ちなつ先生はまたも、内緒だよ、と言いながら、そのお願いを聞いてくれた。



 二階建ての飼育棟は、一階に動物たちのケージが並べられていて、二階には餌やトイレ用品、掃除用品などの消耗品が置かれていた。その他にも、二階は相性の悪い動物を引き離すために、一部は動物のスペースになっていた。もう一棟の飼育棟も同様になっているそうだ。


「先に掃除しちゃおうね。しえりちゃん、二階に上がってすぐのところに掃除用ロッカーがあるから、ホウキ持ってきてくれる?」


「わかりました」


 言われた通り階段を上がってすぐのところに、確かにロッカーが一つ立っていた。ざっと見渡してみても、二階にはスチールラックが多く並んでいて、聞いていた通りの光景が広がっている。壁際には棚はなく、通路としてのスペースを確保しているようだ。それを踏まえると、壁際に隠しスペースがあるようには見えない。窓も不自然に深くはまっていることもなく、壁が二重になっている可能性もなさそうだ。


 あまり時間がかかっても不審に思われてしまうので、軽く視線を向けただけで、わたしはロッカーからホウキを二本取って一階へ戻っていった。


 むしろ怪しいのは一階。地下の存在を疑うなら、一階の床に何らかの不自然な造りがあってもいいはず。わたしは掃き掃除をしながら床や壁を注視するが、これといって見つからない。

 というより、一階は押し込まれるようにケージが詰められていて、これでは床や壁に仕掛けがあってもそれを起動させることは難しいだろう。それに、人間が姿を見せれば動物たちが騒ぎ出す。隠し通路をここに造るというのはどうも現実的ではない。


 飼育棟の外には水道があり、餌や水を入れる器を洗いながら、飼育棟の外側にも目を向けてみた。飼育棟の外側も同様に、近付けばそれだけで動物が騒ぎ立てる可能性はあるが、室内よりはマシだろう。


 飼育棟の裏を覗き込めば、地中から伸びる太い排気管が見えた。あのサイズだと、子供が乗って遊べてしまう。それをわかっているのか、周りは柵で覆われていた。

 これがあるということは、地下室の存在が確定したようなものだ。あれは大きな換気扇が存在することを意味する。地下に溜まってしまう空気を地上のものと入れ替えるためのダクトだ。問題は、その地下室にどうやって入るのか、ということだ。


 わたしが器を洗っている間にちなつ先生の方で掃除はあらかた終わったようで、ちなつ先生は二階から餌の袋を持ってきていた。


「お皿に名前のシールが貼ってあるでしょ? 今日 開放してる子は園庭の方であげるから、リスト見ながら開放してない子のお皿を並べてくれる?」


「わかりました」


 飼育棟の入り口の小さな折りたたみテーブルの上に置かれたリストを見ながらお皿を仕分けると、ちなつ先生が流れ作業で餌を盛っていく。餌を盛ったお皿から順にケージの中に入れてやると、動物たちは一心不乱に食い付いていた。


 飼育棟の子の分が終わった後で、今日 開放されている動物たちの餌をお皿に盛って、あとはこれを園庭に持っていくだけ。

 その前に、とちなつ先生が小さくわたしを手招きした。


「これがチャミちゃん」


 飼育棟の一階の奥に、ケージに入れられたゴールデンハムスターが一匹。生きてはいるようだが、じっとしたまま動かない。


「可愛いですね」


「でしょ~?! でもこの子、ほとんどご飯食べなくなっちゃって、走り回る元気もないの」


 ハムスターのような小動物は他の動物のように園庭に自由に開放するわけにはいかず、同じ園庭の中でも小動物用に仕切られたスペースの中でのみ開放するそうだ。そこで自由にさせてみても、やはりほとんど動かずにじっとしたままなのだそうだ。


「年齢もあると思うんだけどね。獣医の先生が診ても良くならないとなると、私たちもどうにもね……」


 内緒だからね、と言うちなつ先生と約束して、わたしは餌のお皿を園庭の方に持っていった。

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