1-3-2.四月二十四日②

 しばらくしてあらかた登園し終わり、はるか先生もやってきた頃、改めてわたしははるか先生の紹介を受けて、四歳児クラスの皆に挨拶した。


「今日から五日間、このおねえちゃんが先生のお手伝いをしてくれます。みんなも仲良くしてあげてね!」


「しえりです。みんな、よろしくね!」


 受け入れられるか不安だったが、皆 元気良く はーい、よろしくと口々に返事をしてくれて、ほっと胸を撫で下ろした。とりあえず、いきなり泣き出されたりしなくて良かった。いや、もう四歳にもなればそんな心配はいらないか。


 それにしても、四歳ともなると長くこの園に通っている子もいるはずだ。そうなると、既に“あにまる保育園”の情操教育が浸透している子もいるだろう。それに、保育士さんたちは“あにまる保育園”のやり方をどう思っているのかも気になる。注視したいことはたくさんあるが、まずはこの園に慣れて、受け入れてもらわなければ調査どころではない。


 朝のお歌を歌って、今日は園庭で動物たちの絵を描くらしい。園庭には既に三歳児クラスの子たちもいて、彼らは動物たちと遊んでいるようだ。


 意外にも、動物たちの一部は室内飼いされており、飼育棟から直接保育棟の一部の部屋へ連れてくるらしい。

 飼育棟の扉には鍵が付いているが、基本的にこの鍵は開園中は開けっ放しなのだという。動物たちの排泄物の処理や給餌など、何度も行き来することがあるためらしい。また、飼育棟で飼われている動物が全て放し飼いにされるわけではなく、日によって開放する動物は変わるらしい。開放する際と回収する際に記録を付けるので、いなくなってしまうということは滅多にないという。


「せんせー、パピコ、うんちした!」


 一人の男の子が声を上げて先生を呼ぶと、保育士さんが駆け付ける。


「トイレ片付けて、えらいえらいしてあげてね。終わったら、ちゃんと手を洗うんだよ」


 パピコとは、茶色っぽい毛色のウサギらしい。


「せんせー、ミツエさん、かくれてでてこなくなっちゃった……」


 今度は女の子が先生を呼ぶ。と、莉世りせが彼女の元へ駆け付ける。


「えー、どうしちゃったんだろう。何かあった?」


 先生ではなく莉世がやってきたことで女の子は少し緊張していたようだったが、落ち着いて莉世に事情を説明していた。


「あ、えっと、ゆうちゃんがはしってて ぶつかっちゃって、それからかくれちゃったの」


「そっかぁ。きっとびっくりしちゃったんだよ。落ち着くまでそっとしておいてあげてね。落ち着いて戻ってきたら、ちゃんとごめんなさいしよ?」


 ミツエさんは、植木の影からこちらの様子を窺っている少しくすんだ白のモルモットらしい。

 莉世の言葉に女の子はうんと頷き、莉世はその後でそれを保育士の先生に報告していた。


 三歳児クラスは元気に走り回っている子が多く、莉世ももうすっかり溶け込んで、保育士の先生と一緒になって子供たちに接しているようだ。さすが、そつがないな、莉世は。


 なるほど、自由に動物とふれあって構わないけれど、そのふれあいの中で発生した問題にどう対処したらいいかを授けていく。そのうちに、慣れてきた子は指示を受けなくても自分で考えて行動できるようになる。といっても相手はまだ子どもだし、一回や二回では簡単に覚えてくれないだろうし、問題も度々起きる。先生は大忙しなのだろうな。


「うわぁ、おねえちゃん、おっぱいおっきい!」


「うちのママよりおっきい!」


「ねえ、さわっていい!?」


 何やらマセた子どもに絡まれる莉世。このくらいの年頃なら男女関係なくおっぱいは母性の象徴なんだろうし、しかたがないのかもしれない。


「ダーメ。だって、ママのおっぱいを他の子が触ってたら、ちょっと嫌でしょ?」


「うん……」


「だからおうち帰ったら、ママのおっぱい触らせてもらいなよ。ママのおっぱいは君のものなんだから」


 ……それ大丈夫? 莉世の対処は見事と言えるかもしれないけれど、教育的に大丈夫だろうか。親御さんからクレーム入ったりしないだろうか。



 さて、よそのクラスばかり見ていないで、わたしも自分の仕事をしないと。スケッチブックを抱え込んで、クレヨンを掴んで思い思いの絵を描いていく四歳児クラスの子たち。

 何人かで固まって一匹の動物を描いている子たちや、黙々と一人で描いている子、描いていた動物に逃げられて追いかけている子もいる。

 その中で、一人 隅の方でスケッチブックも開かずにぼうっと座っている男の子がいた。朝 わたしに挨拶してくれた子だ。彼の胸元の名札を見ると、“もりわき こう”と書かれている。わたしは思い切って彼に声を掛けてみることにした。


「こうくん、絵、描かないの?」


「……かかない」


 仏頂面で突っぱねるように言う彼に、わたしは隣に座ってその理由を聞いてみる。


「そっかぁ。あんまり絵描くの好きじゃない?」


 すると、彼は無言で首を振る。


「うーん……わかった! 描きたい子がいない? 今日はお留守番なのかな?」


 今度は彼は驚いたようにこちらを振り向いて、うん、と静かに首を縦に振った。


「じゃあさ、今日はおねえちゃんのこと描いてよ。ヤダ?」


 彼は首を横に振る。内気な子なのか、なかなか声に出して話してはくれないな。


「ありがとう。じゃあ、わたしも動物たちと遊んでくるから、描けたら教えて?」


 と言って、立ち上がって園庭の方へ行こうとすると、服の裾を掴まれたので座り直した。振り返ると、言葉はないものの、ここにいてほしいと目で訴えてくる。


「うん、わかった。じゃあ、ここにいるね」


 今度こそ、彼はスケッチブックを開き、クレヨンを手に持った。何故か青のクレヨンを。わたしに青要素ないと思うけれど、どうしてなんだろう。


「……なんでわかったの?」


 言葉が足りないけれど、恐らく彼が絵を描かない理由のことだろう。論理的に説明しても良いが、このくらいの年頃の子にそんな話をしても何も面白くはないだろうな。それに、難しくてわからないだろう。


「わたし、実は魔法使えるんだ。それでわかったの」


「まほう……? ウソだ」


 バレたか。やるじゃないか。だけれどわたしは諦めない。


「本当だって。実はわたし、遠い国のお姫様なんだ。その国ではみんなわたしみたいに魔法使えるんだよ」


「え、ニホンジンじゃないの?!」


 彼が少し大きな声を出したので、わたしはすかさず人差し指を口元に当てて、静かにするように言いつける。


「しーっ! みんなには内緒なんだから。いい? 内緒にしてね?」


「……うん、わかった」


 それからは黙々と描いてくれて、少しすると、できた、と言って見せてくれた。

 描き上がった絵は背景が真っ青に塗られて、かろうじて顔だとわかるものから赤い胴が伸び、肌色の手足が生えている。青はたぶん、空の色だったのだろう。赤はわたしが着ているジャージの色か。四歳児が描く絵の平均がどの程度なのかはわからないが、良く描けているのではないかとわたしは思った。


「ありがとう! 可愛く描いてくれて」


 とお礼を言うと、彼は照れ臭そうに微笑んでいた。

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