1-3.
1-3-1.四月二十四日①
今日からいよいよ“あにまる保育園”での実習が始まる。わたしたちは一度
朝は早く、六時半には到着しているようにとのことで、今日だけは全員閉園まで居るように言われている。閉園になるのは最後のお迎えが終わってからで、夜七時を過ぎることもざらにあるという。
保育園は基本的にシフト制だが、保育園の一日の流れを体験してほしくて、初日だけは最初から最後まで居てほしいという、園からの希望だった。これは事前に
二日目以降はシフトを割り振り、およそ七~八時間程度の業務を見込んでいるそうだ。
「初日からキッツいよねぇ~」
と
いつもはしっかりメイクをしてくる愛淑も、今日はさすがに控えめだ。香水だって付けていないんじゃないか? 乳幼児相手にどんなものが害になってしまうかわからなくて、迂闊に付けられなかったのだろう。
「向こうの言い分も理解できるけどね。むしろ私たちの学科にとっては、本来なら願ってもない好条件のはずだし」
「そうだけどさ~……あたし子供苦手なんだよね。騒がしくて」
愚痴が止まらない愛淑に、
「あら、将来わたくしも子供を授かる時が来るのですから、その予行練習だと思っていれば楽しみで仕方ありませんけれどね。ああ、いつしか大切な伴侶と共に、こうして我が子の面倒を見るのだなと思うと……感慨深いものすらありますわ!」
なんて、愛淑のことを宥める気があったのかなかったのか、終いには勝手に一人でうっとりしていた。
「だってよ。フミヤくんのこと妄想しながら仕事しなって」
「そう言う
浮気って、保育園児相手に? わたしを何だと思っているんだ。いくら何でもわたしへの偏見が酷過ぎやしないだろうか。年下が好きなのはこの際否定しないとしても、浮気なんて単語が出るような相手ではないだろう。
「保育園児はさすがに捕まるって」
「そこはあれだよ、志絵莉様ならどうにか手懐けて、バレないように上手くやるでしょ?」
「……それはそうかもしれないけど、別にやらないから」
言われて、確かにわたしならそうしそうだなと思えてしまった。愛淑はわたしという存在を大げさに見ているかと思えば、こうして的確に捉えている部分もある。やはりこう見えても
歩くこと十五分くらいで保育園に着いた。指定の集合時間より十分くらい早いが、園には既に他の保育士さんがやってきていた。さすがにまだ子供は来ていないようだ。
園の敷地を二、三メートルはあるかという高さのネットが取り囲んでいる。恐らく子供や動物が脱走するのを防ぐ目的があるのだろう。目は細かく、張りの強さを見てもそれなりの強度がありそうで、簡単には破れないだろう。あの目の細かさでは、指は通っても、よじ登って侵入するというのは難しそうだ。
入口のドアは子供が勝手に出ていってしまわないように、子供の手の届かない位置にロックを解除する機構が取り付けられている。ここを押しながらでないとドアが開かないようになっているようだ。鍵穴の位置を見る限り、鍵を閉めるとこのロックが固定されて機構を押しても解除されないのだろう。
さらに玄関口と建物内を繋ぐ部分にもう一枚ドアがあり、建物のつくりとしては、ちゃんと子供を預かる目的で造られているのだと思わせる。この入口のつくりだけを見ても、ここが保育園であることを疑う余地はないように思われた。
「おはようございます」
中に入って挨拶をすると、貫禄のある年配の保育士さんがやってきて、更衣室まで案内してくれた。更衣室のロッカーに荷物を入れ、着替える。
保育園ということもあり、動きやすい格好で、かつ汚れてもいい格好。そして、この一週間のためだけに新たに購入するのも手間なので、自前で持っている服。となると、ジャージが選ばれるのは必然で、みんな揃いも揃ってジャージ姿になっていた。と言っても、美祝は翠泉の付属高校の指定ジャージ、莉世は自分の高校の指定ジャージ、愛淑とわたしは大学に入学したときに新調したものを着ていた。
大学でもスポーツの単位があり、その際もそれぞれ思い思いの格好をしているので特別珍しい光景でもないが、こうして改めて見ると、ジャージ一つ取っても個性が出るのだなと思う。
着替え終わったら事務室に通され、それぞれ資料をもらって一通り業務の説明をされる。
「もし何か困ったことやわからないことがあったら、誰でもいいから近くの人に聞いてね。くれぐれも、自己判断はしないこと。一応、早番の責任者は私、
「あの、すみません」
愛淑が手を挙げて小林さんに質問する。
「あたし、お昼寝の寝かしつけって自信ないんですけど、いきなりでできるものですか?」
「大丈夫。今日は最初なので、見学だけでも構わないよ。一概にやり方というものがあるわけでもないから、先生方のやり方を見てできそうなことをやってみてもらえれば」
「ありがとうございます」
こういう時は愛淑もちゃんとした言葉遣いができるんだなと毎度毎度 感心する。丁寧にお辞儀までして。普段ならなかなか見られない姿だ。
「皆さんも、自信がない業務があれば今日は相談してくれれば、まずは見学だけでも大丈夫だからね」
「わかりました」
すると、園長先生が出勤してきたので皆で会釈しながら挨拶する。園長先生はちょうど改装した五年前に新しい人に変わったらしいが、どちらかというと学校の体育の先生のような、体格のいい短髪の活発なおじさんという印象だった。
「今日はよろしく頼むね。さ、そろそろ子供たちが来るから準備して! 挨拶は元気良く、ね!」
「はい!」
いきなり知らない人がいると子供が委縮してしまうかもしれないということで、わたしたちはそれぞれに保育士さんが付いてくれた。わたしと莉世は最初は広間の床に座った状態で、目線を低くしたままで対面する。
愛淑と美祝の方は、子供たちがやってくるのにあわせて動物を開放するべく飼育小屋の方へ手伝いに行っていた。
「おはようございますっ!」
子供が元気な挨拶とともにやってくると、保育士さんがそれに返すので、わたしもそれに倣って挨拶を返した。
「おはようございます」
できるだけ優しい調子で、にこやかに。怖い人じゃない、悪い人じゃないと思ってもらえるように。だけれどわたしは何故だか苦戦してしまって、明らかに子供たちから警戒されてしまっていた。ちらと視線を向ければ、莉世の方は子供たちから受け入れられて、順調に距離を縮めていた。
わたしの笑顔、そんなにぎこちなかっただろうか。子供には本性を見透かされているのか? いやいや、それだとわたしの本性は怖い人だということになるではないか。
「まあ、最初はこんなもんだから」
なんて、一緒にいた保育士さん――ちなつ先生にフォローされてしまう。
「私も最初は緊張してて、それが子供たちにはわかっちゃったみたいで、なかなか懐いてもらえなかったんだ。だから大丈夫。肩の力抜いて、自然体で接してみて」
言われるまま、できるだけ普段の自分を意識して――そう、
「おはよう」
すると、男の子が小さな声だけれど、挨拶を返してくれた。
「……おはよう」
たった一人に、たった一言だけでも返してもらえただけで、無性に嬉しくなる。わたしはこの子に受け入れてもらったんだ、わたしの自然体はちゃんと子供に届くんだと思って、自信にもなった。
「よかったね、しえりちゃん」
「はい、ありがとうございます!」
やってくる子供たちには一人ひとりに随時 自己紹介をして、わたしが何者なのかを知ってもらう。子供たちがやってくる時間は保護者の都合によって様々で、一斉に集まってからだと少し遅くなってしまう。しかし、普段はいない見知らぬ人がいれば、少しの間でも子供を不安にさせてしまう可能性もあるということで、こうして各自挨拶していくしかないそうだ。
わたしたちの仕事は基本的に、子供たちのお世話の手伝いの他に、子供たちの動物とのふれあいの補助をすることになっている。子供たちの方にもわたしたちに慣れてもらうため、事前に希望を聞かれ、年齢ごとに分けられたクラスにそれぞれ付きっきりで対応することになった。美祝は一歳児、愛淑は二歳児、莉世は三歳児、わたしは四歳児を担当する。ただ、状況によって他のクラスの手伝いをすることもあるらしい。
わたしの担当になった四歳児クラスは、早番のちなつ先生と中番のはるか先生、遅番のみちる先生の三人で担当しており、人数は二十三人。一応、クラス担任ははるか先生だが、ちなつ先生とみちる先生が三歳児クラスと兼任で補助に入っているそうだ。人数に対して保育士さんの数は多いと言えるが、動物の方も見ておかないといけないので、その人数でもなかなか大変なのだろうと思う。
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