1-2-16.四月二十三日②

 ここからはイメージの世界。情報に含まれる要素を限りなく記号的に、平面的に切り分けて、余計な主観を省く。そのうえで、それらを可能性の糸で繋いで論理を再構築する。



――深い、深い、青。

 青の群れと書いて群青とは、よく言ったものだ。


 真っ青な情報の海の中に身を投じて、深く、深く沈み込む。周りは薄暗い情報だらけで、息をしようともがけば、その情報が否応なしに入り込んでくる。それに抗ってはダメだ。周りの情報に適応する。情報を一度自分のものにしなくては。

 沈んでいるのではない。自分の意思で、潜っているのだ。そうしたら、今まで気付けなかったことが見えてくる。真っ暗な深海にも、光があることに気付ける。


「憩都さんにわざわざ横浜と船迫ふなさこの地名を出して、そこで見かけたと言っても、彼女は動揺一つしなかった。でも、それぞれの現場で目撃されたのは彼女で間違いない。現場に行っていないということはないはず」


 わたしは誰に言うでもなく、ぶつぶつと呟いた。


「別人の可能性はない? 一紀くんが言うように、彼女の姿はほとんどわたしと“生き写し”のようなもの。そして過去のお姉さんともそっくりだって話でしょう? わたしや彼女の他にも、そんな人がいるとは考えられない?」


 わたしは自分の呟きに対して、自分で問い掛ける。そしてそれに、自分で答える。


「いや、それはないよ。覚えのない場所で自分を見かけたなんて言われたら、否定するか聞き返すかすると思う。彼女はあえてその話題をスルーした。つまるところ、黙認した。だから彼女が二つの場所に行ったというのは間違いない」


 他にもわたしのそっくりさんがいるという可能性自体は否定しないが、それはこの事件には関係がない。だから今は、その可能性は切り捨てる。その情報は必要ない。


「だとすると、何故彼女は写真を撮らせてくれたんだろう。連絡先も交換してくれて、教えてくれた名前も本名だった。弟の前だったから?」


「わたしたちと話していた時は弟はいなかったでしょ。弟の前で偽名を使えないんだったら、さっさと話を切り上げて、弟が帰ってくる前に退散しても良かったはずだよ。それをしなかったのは、船迫と横浜に行っていたことを知られているとわかってもなお、自分の情報をオープンにして問題ないと思っているからじゃない?」


「どうせ調べても何も出てこないと思ってるとか? 実際、調べてもらった結果がそうだったし。というより、彼女はわたしをどう認識したんだろう。ただの大学生だと思ったのかな?」


「こっちの情報も掴んでたよね。別に言わなくてもいいことなのに、それをわざわざ言った。お前の情報も掴んでるからなって脅し? 連絡先を交換してくれたのは、逆にわたしの連絡先を手に入れたかったからってことはない? 例えばその情報を唯翔ゆいとくんに渡して、わたしを困らせようとするとか。そしてわたしがそのことを憩都さんに相談して、親身になって聞いてくれたら、この人はいい人だって思うように誘導してるとか」


「あり得なくはないけど……邪推が過ぎる気もするかな。大体、翠泉すいせん上杉うえすぎ志絵莉しえりちゃんを懐かせて何しようっていうの? 何か別の思惑があったんだとして、それと里脇教授の奥さんと娘さんの事件とはたぶん関係ないんじゃない? わたしを手懐けるにしても時間がかかることだし、それまでに警察が彼女を突き止めるでしょ。そもそも、まだあんなところで遊んでたってことは、警察に目を付けられてるっていう自覚はないんだろうし、もしかしたらもっとシンプルに考えて、警戒する理由がないから警戒していないんじゃない?」


「事件そのものには無関係ってこと? それにしては、見かけた場所の話をスルーするのは不自然だと思う。事件のことを知っていれば、その二つの地名を出されて事件のことを想起しないはずはないし、事件のことを知らなかったんだとしても、どうしてその二つの地名が出てきたんだろうって疑問に思うと思う。だからやっぱり、事件のことは知っていて、そのうえでスルーした。事件があった場所で見かけたって話をされたら、わたしに対して何らかの警戒を示すのが普通。疑ってるなとか、何か探ってるなとか、何か思うことはあるはず。それを踏まえても、彼女は友好的に接してきた」


「つまりそれは、わたしの直感通り、彼女はシロってことでいいのかな。連絡先を教えてくれたのも、わたしが疑っているのをわかっていて、何か聞きたいことがあれば何でも聞いて、という意思表明。そうか、弟のいる前では大っぴらに話せない事情があるけれど、情報提供はできるってこと?」


「それが一番納得できそうな仮説だね。あとは本人から裏を取れれば正解がわかるけど、違った時に困るね。これだけ考えておいて、実は犯人だったりしたらね」


「そう思うなら、まだ連絡は保留にしておこうよ。もう少し探りを入れて、もう少し確度の高い仮説にしたい。今はむしろ、唯翔くんが絡んでくれたら話すネタになるんだけどなぁ」


「それは確かに。こちらからおびき寄せるって手もあるけど、この忙しいタイミングではちょっとね。このこと、萩くんには報告しとく?」


「今の萩くんにはやめた方がいいかも。結果を求めて冷静になれてない気がするから、今は“あにまる保育園”のことに集中させてあげよう?」


「“あにまる保育園”といえば、気になる可能性として、同じ会社が運営している児童養護施設の方も、もしかしたら“あにまる保育園”同様に特殊な価値観の植え付けを行っている可能性もあるよね。憩都さんも里脇教授絡みの事件に全くの無関係ではないとは思うし、この件も連続殺人事件の方も、元凶をたどっていくと株式会社青空教室に行き当たりそうな気はしてきたね」


「わかった。じゃあ、憩都さんは里脇教授の奥さんや娘さんを殺した犯人じゃないとして、一先ず気にしない方向で」


 だとすると、結局犯人の手掛かりは何も掴めていないままという状況になるが、かといってわたしにできることはそれ以上ないと思われた。

 だから、わたしの思考も一度ここで終わらせる。“潜る”のはもうおしまい。


 どちらにしろ、憩都さんからはいずれ話を聞かなきゃいけないと思っていた。事件のことじゃなくて、わたしのお母さんのことを何か知っているかもしれないから。だけれど、今でなくてもいいのかなと思う。



 久しぶりに“潜った”けれど、一気にお腹が空いてしまった。これは燃費が悪いからできればやりたくなかったが、こうでもしないと考えを整理できる気がしなかった。


 家に備蓄してあるお菓子を広げて適当に摘まんでいると、一紀くんからメッセージが届いた。メッセージの差出人を見ただけで心臓を鷲掴みにされたように血の気が引いて、急に息が止まりそうになる。


〈体調は大丈夫ですか? 俺はあの後無事に帰れましたので、心配しないでくださいね〉


 とりあえず一紀くんの方は元気そうで良かった。体調を心配されるということは、昨夜のわたしは目に見えて酔っていたんだろうな。彼の前で醜態を晒してしまうとは……次に会うのが気まずい。


〈朝起きた時は頭痛が酷かったけど、今は大丈夫〉


 と一旦返事をして、聞くかどうか悩む。昨夜のわたし、変なこと言ってなかった? と。うじうじと悩んでいると、彼の方から痛いところを突いてくる。


〈志絵莉さん、昨日の記憶あります?〉


〈……怒らないでね?〉


 もうその切り出し方をした時点で、自白したも同然だった。だから一紀くんにも、ないんですね? なんて言われてしまう始末。


〈ちょっとだけ、ある〉


〈ある方がちょっとなんですか。でも昨夜の志絵莉さん、めっちゃ可愛かったですよ〉


 何があったんだろう。全然覚えていない。話をしながら帰っただけじゃないのだろうか。何か変なことしたのだろうか。聞きたいけれど、聞きたくない。知らない方が幸せな気がしている。


〈昨夜のことは忘れてとは言わないから、一紀くんの中だけに留めておいて。誰にも言わないでよ? 絶対だからね!?〉


〈言えませんよ、あんなこと〉


 いや、どんなことなの?! 言えないようなことって。


〈あと、志絵莉さんが選んでくれたストラップ、俺ってホッキョクグマだと思われてるんですか?〉


〈そう、シロクマだよ。逆にわたしは何でフクロウ? って思ったけど〉


〈志絵莉さんでもわからないことってあるんですね。じゃあいつか、当ててみてください〉


 そりゃあ、わたしだってわからないこともあるよ。というより、わからないことの方が多いと思う。


〈考えてはおくよ〉


 彼とやり取りをしていると、自然と気が緩んでしまう。もう明日から実習なんだから、いい加減気を引き締めないと。実習期間中は、彼とのやり取りも少し控えた方がいいのかもしれないな。

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