1-2-15.四月二十三日①

 目が覚めたのは、意外にもまだ朝と呼べる時間帯だった。壁に掛かった時計を見上げれば、短針は八のところにあるように見える。目が覚めてすぐに締め付けるような頭痛が襲い来て、起きたというより眠れなかったのだと思い至る。ふらつく足取りで何とかキッチンまでたどり着き、水を飲んで、ついでに顔を洗う。


 頭が冴えてきて、少しずつ昨日のことを思い出す。冷静になって部屋を見渡せば酷いもので、脱いだ服や荷物はそのままに、毛布も床に転がっている。というより、恐らく昨夜はこのまま床で寝ていたのだろう。


 とりあえず片付けをしながら、昨夜のことを思い起こす。が、どうやら途中からの記憶が曖昧で、よく思い出せない。いつ店を出て、どうやって帰ったのか、一紀かずきくんはどうしたのか、よく覚えていない。

 こんなこと、今まではなかった。自分で思っている以上に酔ってしまったらしい。まさか記憶が飛ぶとは。いや、完全に覚えていないわけじゃない。帰りは家まで歩いて送ってもらって、何か話した気はする。でも、その話の中身をまったくと言っていいほど覚えていない。


 何か変なことを言っていないだろうな。一紀くんに確認するのも怖い。とんでもないことを言ってしまっていて、この関係はもうやめにしましょう、なんて言われたらどうしよう。


 恐る恐るスマホをチェックしてみるが、彼から何も連絡は来ていなかった。彼はわたしを家まで送ってくれてから自宅に帰ったのだから、もっと遅くに家に着いたのだろう。何時だったのかはわからないが、相当遅くなってしまったはずだ。さすがにまだ寝ているか。


 昨夜から放りっぱなしにされたままの鞄を片付けていると、中から紙の包装袋が一つ出てきた。これは動物園の帰りに売店で買ったもの――いや正確には、一紀くんが買ってくれたものだ。お互いをイメージした動物のぬいぐるみのストラップをそれぞれ買って、贈り合おうと彼が提案してくれた。面白そうだと思って、中身は家に帰ってからのお楽しみという条件で、わたしもそれに賛成したのだった。

 彼はわたしをどんな風に見ているだろう。こうしたものは相手の思考が強く反映されるから、その意図を想像し、汲み取るのが、わたしにとってはこれ以上ない愉しみでもあった。


 紙の包装を破らないようにそっと開けてみると、中から出てきたのは、手のひらに収まるくらいのフクロウのストラップ。全身真っ白のシロフクロウだ。

 正直、意外だった。彼だったら、もっと露骨に可愛げのあるものを選ぶと思った。確かにフクロウだって可愛くはある。ただ、万人がそうは思わないだろう。どちらかと言えば、好きな人は好き、というタイプの可愛さだ。何故フクロウなんだろう。わたしの可愛さは人を選ぶと思われているということなのだろうか。

 しかし……一紀くんはフクロウについてどの程度知識があるのだろう。生態や種類といった話ではない。フクロウにまつわる言い伝え、神話や伝承の類だ。……いや、知っていたらわざわざこれを選んだりしないか。知っていたとしても、ギリシャ神話の知恵の女神であるアテナの眷属、くらいだろう。


 知識があり過ぎるというのもつらいものだ。いや、言い伝えや伝承だって、誰かが勝手に言い出したことで、何か科学的な根拠があるわけではない。そんなものを真に受ける方が馬鹿馬鹿しい。ただそれでも、贈り物というのはそうした非科学的な言い伝えに重ねて、相手に暗にメッセージを贈ることがままある。だからフクロウを贈るということは、フクロウの持つメッセージそのものをわたしに贈ろうとした可能性だって、完全に否定はできない。

 自分でも面倒くさい人間だと思う。単純に、可愛いぬいぐるみをもらった、嬉しい、ありがとう。それで済ませられればいいのに。その方がよほど可愛げがある。それなのに頭でっかちに考えてしまうから、素直に、純粋に喜べなくなってしまう。


 頭が痛いせいか、考えることが悪い方、悪い方へと転がっていく。どうにか気を紛らわせて、体調を戻さないと。せっかくのプレゼントなのに嫌な気持ちで受け取りたくない。


 すると、ちょうど一通のメッセージが届く。相も変わらず添付書類だけのメッセージだ。開いてみると、わたしが前に依頼していた一紀くんが昔お姉さんに助けられたという事件と、“雨村あめむら憩都けいと”の調査結果についての資料だった。


 一ページ目は、ただ“この事件について知る権限は、今のお前にはない。”という一文が書かれているだけで、他は真っ白だった。本当に、わたしに伝えられることはこれだけなのだろう。やはり意図的に情報封鎖がされていたらしい。わたしが探しても何の情報も見つからないわけだ。

 そうなると、一紀くんの両親も何か知っていることがあっても口止めされている可能性が高い。それほどのこととなると、その事件で死なせてしまったのはよほどの要人だったのだろうか。もしくは、その人物が一紀くんの代わりに死んでしまったことが公になれば、一紀くんへ非難の矛先が向く可能性があったからなのか。その子供が飛び出していなければ彼女は死ななかった、その子供のせいで偉大な人を失った、などと。

 いずれにせよ、この件に関してはから得られる情報はないということだ。


 二ページ目に書かれていた“雨村憩都”の経歴については、きちんと書かれてはいたが、ところどころ抜けがある。いや、意図的に伏せられている形だ。彼女についても、わたしでは知ることができない情報が含まれるのか。


 彼女は雨村家に引き取られた養子らしい。しかも彼女だけではなく、あの姉弟三人ともが全て養子で、同じ児童養護施設の出身なのだという。その施設に来る前の彼女については伏せられていてわからないが、一つわかったのは、彼女らが暮らしていた児童養護施設の運営元会社は、株式会社青空教室あおぞらきょうしつだということだ。そう、“あにまる保育園”と同じなのだ。これは単なる偶然……と考えて良いのだろうか。

 雨村家に引き取られてからの彼女の人生には、目立って不自然な点はない。というより、これもあっても伏せられているのだろう。


 知る権限がないというのはどういうことなのだろう。お父さんが言っていた、国家機密に触れるくらいのことだというお母さんのことと同じようなことなのだろうか。国家機密に触れるくらいのことって一体何なんだ。お母さんも憩都さんも、何をしたと言うんだ。


 結局、里脇さとわき教授との関係は何もわからなかった。しかし、無関係というわけではないはずだ。偶然、二件とも事件のあった日にその場所に居合わせるとは考えづらい。わたしに伏せられている秘密の情報を、里脇教授は何らかの形で知ってしまったりしたのだろうか。それで消された、とか。

 いや、だとすればそもそもこの事件そのものが揉み消されてもおかしくない。警察がしゅうくんを頼っているのは、国の上層部に対する反逆のつもりなのか? それとも揉み消されてしまうはずの事件を秘密裏に萩くんに依頼して解決してもらおうとした、一部の正義感の強い警察官の行動なのだろうか。それが明るみになれば、その警察官だってただでは済まないだろうに。

 何の証拠もないのにピースが嵌っていくような感覚。これは経験上、その推測が当たっていない可能性が高い。単に都合よくこじつけただけだ。もっと冷静に、俯瞰的に、客観的に考えなくては――。


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