1-3-8.四月二十六日①

 今日も今日とてシフトは遅番。園長先生もわたしがこうくんと打ち解けられていることをわかってか、お迎えが遅くなる彼に合わせてわたしのシフトを遅くしているようだった。



 お昼の前の時間は、今日は四歳児クラスは動物と遊んで過ごすようだ。わたしとちなつ先生はこの時間を使って、飼育小屋周辺の掃除を行うことになっていた。


 自立式の背の低いネットを使って園庭を仕切り、子供たちや動物たちが飼育小屋の方へ近付かないようにする。飼育小屋の周辺はちなつ先生に任せて、わたしは焼却炉の周りを掃除することになった。ここ連日飼育小屋ばかりの掃除をしているから、他の部分にも目を通せるようにと、ちなつ先生が気を回してくれたのだ。


 焼却炉の裏には墓地があり、大きな慰霊碑が一つ建てられていて、その周辺に小さな石の祠のようなものが並んで置かれている。慰霊碑の周りだけは綺麗に舗装されていたが、祠の周りは雑草が伸び放題。と言ってもそこまで背が高くないので、定期的に手入れはされているらしい。


 焼却炉の周りは砂利になっていて、地面には隠し扉があるような違和感もないし、当然 焼却炉本体にも気になる部分はなかった。予想では焼却炉か飼育小屋の周辺が怪しいと思っていたが、どちらも地下に続く道はなかった。園長室にも飼育小屋の中にもそんなところはなかったし、ことごとく予想が外れている。

 そもそも地下室があるという想定自体が間違っているのだろうか。いや、それだとあのダクトの説明がつかない。間違いなく地下に何らかの空間がある。そうでなければ、あのダクトはミスリードのためのフェイクでしかない。そこまで用意周到なことはあるか?


 そう思いながら焼却炉周辺の掃除を終えて、今度は慰霊碑の掃除を始める。バケツに汲んできた水をかけて、ブラシで汚れを取っていく。

 ふと、流れていく水が特定の方向に向かっていくのに気が付いた。傾いているのか。慰霊碑の後ろから正面にかけて傾斜になっているらしいが、別に地形的には真っ直ぐに建てることもできたはず。この傾きは意図的なものだ。

 慰霊碑の建てられている周辺の地面はコンクリートで固められ、不思議な模様を形作るように溝が入っている。最初はこれは雨水を流す水路の役割を果たしているのかと思っていたが、傾斜があるならその必要はない。というより、その役目を果たしていない。となれば、この溝が入っているのは単なるデザインか、それとも別の目的があるのだろう。


 わたしは少し思い立って、竹箒の柄でコンクリートの舗装を軽く叩いてみる。溝は真っ直ぐに入っているわけではなく、入り組んでいて、一つひとつ形の違うタイルが何枚も敷き詰められたようになっていた。それらを一つずつ叩いていく。

 そうすると、明確に音が違う部分があった。音の響き方が違う。この下は、恐らく空洞になっている。よく見てみれば、この一枚の周りだけ少し隙間が空いている。わたしはこの隙間にチリトリを差し込んで、押し上げてみた。石でできているのかと思ったら意外にも軽く、簡単に持ち上がり、姿を見せたのは地下への階段。


 どうやらこの模様に沿って、一枚だけ樹脂か何かでできたものを用意し、地下室へ続く階段の蓋をしていたらしい。確かに隙間に対してほとんどぴったりはまっていたので、何か差し込めるような器具がないと開けられないだろう。子供たちはもちろん、保育士の先生も気付かないだろうし気付いても開けられない。


 入り口を覆い隠していた蓋を少しズラして置き、スライドさせればすぐにでも入り口を塞ぐことができるようにしておく。万が一のためだ。わたしは周囲を再度確認して、そっと隙間を広げ、中を確認する。

 明かりは点いていないのか、真っ暗で何も見えない。もう少し隙間を広げて光を入れないといけないか。そうして再度見えてきた入り口は、石でできた階段のようで、スペースがないのか傾斜が急だ。上り下りは大変だろう。明かりが点くような仕組みがそもそもなさそうなので、ここに入る時は懐中電灯か何かを持っていくのだろうか。


――そんな時だった。

 中ばかりを気にしていたわたしは、背後に現れた気配に反応が遅れてしまった。振り返る間もなく、しゃがんでいた脚に激痛と鋭い痺れを感じたと思ったら、そのまま階段の下へ転がり落ちていってしまったのだ。


 迂闊だった。スタンガンか? 油断はしていないつもりだったのに――。昨日だってあれほど心配されて、気を引き締め直したはずだった。そんな矢先にこの失態だ。情けないことこの上ない。

 そうは言っても、現実として誰かに気付かれてしまい、襲撃された。悔やんでも仕方がない。切り替えなければ。


 痺れた脚を動かせないまま、出入り口の蓋を閉められてしまった。蓋は軽かったが、恐らく上に重石を乗せるなどして、わたしをここに閉じ込めるだろう。あの出入口からの脱出は諦めた方が良さそうだ。

 転がり落ちたせいであちらこちらを擦りむいたり打ったりしてはいるが、幸いにも大きな怪我にはなっていないようだ。痺れたのが脚だけで助かった。しばらくは立って歩けはしないだろうが、這ってでも先に進まないと。


 そう思って、とりあえず階段を一番下まで降り切って、壁伝いに道が続く限り進んでみる。すると、突然 光が見えた。どうも近い場所から漏れてきているらしい。さっきまでなかった光が急に現れたということは、この先にある空間に誰かが先回りして、明かりを点けたのだろう。

 それはつまり、その先に誰かが居るということで、待ち伏せられていると考えるべきだ。しかしながら、わたしが見つけられなかった別の出入り口が存在するということでもあり、上手くすれば逃げられる可能性もある。

 そのためにはまず、この脚の痺れを取らないといけない。少なくとも、立って歩けるのが最低条件だ。


 壁を支えにして立ち上がろうとすれば、ゆっくりではあるが立ち上がれた。痛みも痺れも、少し収まってきた気がする。まだ支えがないと、不意に力が抜けて倒れてしまいそうになる。だけれど、これなら何とかなりそうだ。どうせ隙を見つけるのだって時間がかかる。その間に休めればいい。


 壁伝いに歩いていって、光の漏れている壁の前に辿りついた。触れてみると、思った通り、扉になっているようだ。石や土の通路の中にあって、この扉だけが触った感触が異質。恐らく金属か何かでできているのだろう。ノブがあるわけではない。引き戸のようだ。

 この戸を引く前に、わたしは紐を通して服の中に隠していた機器のボタンを二、三回押した。萩くんからもしもの時のためにと渡されていたものだ。今がまさにもしもの時だろう。この先に進んだとしても助かる保証はない。

 スマホは実習中はロッカーに置いてあり、通信機器として役には立たない。アクセサリーの類は禁止されていたが、これだけ小さな機械なら胸元に隠すことはできる。萩くんがこれを預けておいてくれて助かった。


 すると、突然 自動で扉が開いた。さっき触れたことで開いたのか。それにしては時差がある。わたしがやってきたことに気付いて中から開けたのだろうか。

 いきなりの明るさの違いに目が眩んで、少しずつ目を開けてみれば、コンクリートが打ちっぱなしの広間が広がっていた。天井の灯りはコンクリートにそのまま蛍光灯が固定されていて、天井の隅に排気口が見える。恐らくあれが地上のダクトに繋がっているのだろう。

 わたしが入ってきた入り口の向かいにもう一つ入り口があり、その道筋を塞ぐように、園長先生がパイプ椅子に腰掛けていた。この部屋にはあまりにも何もなく、そのパイプ椅子くらいしか物がなかった。


「ようこそ、上杉うえすぎ志絵莉しえりさん。こんな短時間でこの場所を突き止めるなんて、さすがは翠泉すいせんの首席、生まれながらの天才少女だ」


 そうふんぞり返るように座ったまま、乾いた拍手を響かせる。わたしを拘束もせず、自分は座ったままか。わたしが逃げることも抵抗することも、無駄な足掻きだと思っているのだろう。大した余裕だ。だけれど、事実としてわたしは一対一ですらこの男から逃げ出す術を持たない。本気で抑え込まれたら、為す術はないだろう。


 そして恐らくこの部屋が、“お見送り”の部屋なのだろう。殺風景で冷たい部屋だ。“お見送り”だなんて言葉が不釣り合いな、無機質な空間。ここで最期を迎える動物たちが不憫でならない。


「……何が目的ですか?」


 まだ向こうもわたしがどこまで把握しているかはわかっていないだろう。漠然とした質問をぶつけて出方を見よう。


「それは君の方じゃないか。何のためにこの部屋を探していたんだ?」


 質問返しで来たか。さすがに向こうもそこまで馬鹿ではないらしい。


「まるでわたしが、この“あにまる保育園”に何か疑いを持ってやってきたみたいに言うじゃないですか。実習を楽しみにしていたというのに。たまたま・・・・あんな入り口を見つけてしまったら、少しくらいの好奇心も湧くというもんです」


「それはそれは。研究熱心で良いねぇ。では君は、あくまで学校の実習で、たまたま・・・・うちに来ただけだと言うのかい?」


 わたしのその言い分を信じてはいないようだが、そういうことにしてくれるらしい。彼にとっては、この“あにまる保育園”を調べられていること自体はさほど重要ではないのだろうか。調べられても大した影響はないと考えているのだろうか。


「ええ、そうです。そちらこそ、随分とわたしに興味がおありのようですね。お生憎様、ファンクラブは開設していませんのでストーカー行為はやめていただけますか?」


「おや、それは残念だ。ではファンとしてではなく、怖いおじさんとして問い詰めることにしよう」


 彼がそう言うと、少し空気がひりついたように感じた。お遊びはここまでらしい。ここからが、彼がわたしを狙う本当の目的。“あにまる保育園”の枠に留まらない、もっと大きな計画の一端が垣間見えるはずだ。

 危険ではあるが、それを知りたいと胸を高鳴らせる自分もいた。


「君の母親の名は?」

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