1-2-7.四月十九日②

 講義が終わると、わたしは一度家に帰ってきた。今日もバイトが入っているので、その支度をしつつ、今日の一枚を一紀くんに送ってあげた。

 一紀くんが自撮りを送ってほしいと言うので、あれからわたしは律儀に一日一枚は送ってあげるようにしている。続けていると日課になって別に手間とも思わないし、自分で見返せば、その日の服装やメイクを確認できて便利かもしれないと思い始めていた。


〈今日もありがとうございます〉


 というメッセージと一緒に、カワイイ! とゆるキャラみたいな謎の動物が蕩けているようなスタンプが送られてくる。これもいつものことで、もはや一つの習慣、儀式と化していた。

 しかし今日は、その続きがあった。


〈この間の合コンで一緒だった、雨村あめむら唯翔ゆいとを覚えてますか?〉


 苗字は知らなかったけれど、一紀くんとは反対側の、わたしの隣に座っていた獰猛な笑顔のイケメンのことだ。なかなか強烈だったので、今でもちゃんと覚えている。


〈覚えてるよ。彼がどうかした?〉


〈どうも志絵莉さんのことを聞いて回ってるらしいんです。うちの大学の人とか、翠泉すいせんの人にも接触してるらしいですけど、さすがにそっちの学校までは行ってないですよね?〉


 知らぬ間にそんな悪質ストーカーみたいになっていたのか、彼。やたらわたしに絡んできていたし、わたしに気があるんだろうなとは思っていたが、そう転ぶとは思わなかった。それに彼も、まさかわたしが自分ではなくて一紀くんを選ぶとは思っていなかったんだろう。それだけ自分に自信もあっただろうし、反転していないといいんだけれど。


〈え、何それ怖……。とりあえず今のところは、直接わたしに会いに来たりはしてないよ〉


〈良かった……。ちょっと普通じゃないような感じがしたので。万が一ということもあるので気を付けてください〉


 って言われても、何をどう気を付ければいいんだろうか。


〈俺の方でも、うちの彼女にちょっかい出さないよう言っておきますが〉


 何それ、その現場 目撃したい。思わず口元が緩んで、変な笑いが出てしまった。部屋に一人で居る時で良かったと心から思う。


〈ありがとう。どんなやり取りしたか、今度教えてね〉


〈わかりました〉


 わたしがやり取りの中身を知りたいのだと、彼は思っただろう。だが、わたしはそんなことなどどうでも良くて、彼がユイトくんに何と言ったのかを聞きたいだけなのだ。それを正直に言うと、きっと恥ずかしがって言ってくれなくなってしまうから、こうして意図的に誤解させたままにしておこう。


〈彼はどんな感じなの? 殺してやる! みたいな感じ? それとも、俺と付き合った方が幸せだってわからせてやる! みたいな感じ?〉


 それによって対処も変わる。警戒の仕方も変わる。できれば後者であってほしい。前者だと対策できないこともないが、あまりにも手間だ。しかもこの忙しい時に。


〈唯翔は俺と志絵莉さんが本当は付き合ってないんじゃないかって疑っているみたいで。乗り替える気がないか、会って話したいみたいです〉


 それで、うちの学校に乗り込んできてないかって心配していたわけか。面倒ではあるけれど、対処としては楽な部類かな。


〈じゃあ、そんなつもりはないってさっさと言ってあげたら解決?〉


 少し時間が空いて、返信が送られてくる。何を悩んでいたのかと思ったが、送られてきたメッセージを見て一つため息を吐いた。


〈志絵莉さんは、本当に俺でいいんですか?〉


〈え、何を今更〉


〈だって唯翔、イケメンじゃないですか。志絵莉さんみたいな美人が連れて歩くには、同じくらい見てくれが良い方がいいんじゃないですか?〉


 何を卑屈になっているのかは知らないが、ちゃんと話してあげた方がいいかもしれないな。まだ家を出るまで時間はあるし、文字じゃなくて、声で話してあげよう。


〈ちょっと今 電話できる?〉


〈いいですよ〉


 了承をもらったので、わたしの方から彼に電話を掛けると、彼はすぐに電話に出た。


『もしもし、どうしました?』


 電話口の声色は、至って普通だった。文面ではあれほど落ち込んでいたとは思えないくらいに。


「どうしました、じゃないよ。何をそんなに落ち込んでるの?」


『いや、まぁ……送った通りです』


「言いたいことはいくつかあるけど、まずね、彼がわたしと同じくらい見てくれがいいって? わたしの可愛さって、あれと同じくらいなの? 一紀くんはそう思う?」


『自己評価高いですね。でも、そうですね……志絵莉さんと同じくらい、というのは盛り過ぎました。反省します』


 強引に言わせたような感じもするが、まあいいだろう。実際、わたしは自分の見てくれは悪くないと思っている。ユイトくんも面はいい方だと思うけれど、わたしと釣り合うかと言われれば系統が違う気がする。彼の隣を歩くなら、もっと頭が緩くて可愛げのある子の方が良いだろう。


「よろしい。じゃあ、次。イケメンの彼氏を持った女の子は大変です。何故でしょう?」


『えっと……あ、イケメンってだけで女が寄り付くから? 彼女持ちだとわかっても、強引に奪おうとする人もいそうですもんね』


「それに、それだけ女が寄ってくるってことは、浮気のリスクも高いでしょう?」


 イケメンともなると、寄ってくる女が最初から彼に好意を持って寄ってくるから、扱いやすい都合の良い女として置いておきやすくなる。一番目はわたしだったとしても、二番目、三番目の女なるものができている可能性もある。


『確かに……逆に俺みたいに、他の女の人から相手にされない方が、彼氏にするには安心できるってことですか?』


 それを認めてしまうと、かえって彼を傷つけることになってしまうんじゃないか。少し軽率な発言だったと胸が痛くなる。彼を案じて電話を掛けたのに、これでは本末転倒だ。


「あんまり断言したくはないけど……それ自分で言ってて悲しくならない?」


『本当のことですから。じゃあ逆に、志絵莉さんみたいな彼女を持った俺は、浮気されるかもってヒヤヒヤものなわけですね』


「別にしないけど……まあ、そうなるね。誤解のないように言っておくけど、別に浮気しても構わないからね? この関係を始める時にも言ったけど」


『でも俺にそんな相手はいないって、思ってるんですよね?』


 わたしの言ったことは、確かにそう捉えられても仕方がないものだ。というより、そう言ったも同然だ。彼からしたらその言葉は、浮気した時にわたしが免罪符として使うつもりだったんじゃないかと思ったかもしれない。


「ねぇごめん。……怒ってる?」


 すると、電話口から堪え切れないような笑いと、宥めるような優しい声が返ってくる。


『怒ってないですよ。たまには俺の方から意地悪してみてもいいかなって』


「せっかく、卑屈になって落ち込んでる彼氏を慰めてあげようと思ったのに。……あのね、違うの。ごめん。仮初の彼女なんだから、わたしのことは大事にしなくていい、ぞんざいに扱ってくれていいってことが言いたかったんだ。だから例えば、わたしが一緒にお出かけしよう? って言ったって、面倒だから行きたくないとか言ったっていいよってことなの。別にそれでも全然怒らないから」


『ちゃんとわかってますよ。大丈夫です。意地悪が過ぎましたね。それに、それを提案した志絵莉さん自身が浮気するつもりなんてないことも、わかってますからね』


 ちゃんと伝わっていたなら良かった。いつもの意趣返しとは言え、これはなかなか堪えた。彼はいつもこんな思いをしていたのか。百花が言っていた“すぐ彼氏を虐める”の意味がちゃんとわかった気がする。彼への意地悪も、少し手加減するようにしよう。


『でも、気分が落ちていたのは本当です。だから、声が聞けて良かったです。仮初の恋人だとしても、声が聞けただけで嬉しくなるんですよ。俺はそういう単純な男なんです。だからこれからも、別に意地悪してくれたっていいんですからね? でもその分、ちゃんと甘えさせてくださいよ?』


「わかった。今度会った時は目一杯甘えさせてあげるよ。だから、これからも意地悪するね。たぶんわたし、意地悪しないと生きていけないし」


 一紀くんには申し訳ないけれど、わたしは本質的に相手に意地悪したい質なんだと思う。だからきっと、やめよう、やめなきゃと思っても、やめられない。


『酷い人ですね……。ちなみに、今週末って空いてますか?』


「うん、空いてるよ。どこか行く?」


『父から科博のチケットをもらったんですけど……興味あります?』


「科博って、国立科学博物館? え、行きたい!」


 お父さんの都合が付かなくて、子供の頃はほとんどどこかに連れていってもらったことはなかった。高校生になっても、それほどお金に余裕があったわけじゃないから、遊び回ったりはしなかった。今でこそ首席入学者の特権である翠泉の特別奨学生制度を使って授業料の全額免除を受けているけれど、今になって自分の行きたかったところに行くということもあまりしてこなかった。

 それに、わたしの行きたいところが他の人も行きたいところとは限らない。だから自分からも誘いづらかった。


『本当ですか? それなら良かったです。女の人って、こういうところ好きじゃないかと思ってたので。でもよく考えたら志絵莉さんって普通じゃないですから、先入観を持って考えてちゃダメでしたね』


「おい、失礼でしょ。わたしだって普通に女の子なんだけど。でもまあいいや。また日にちとか、待ち合わせ場所とか時間とか決まったら連絡ちょうだい?」


『わかりました。じゃあ、唯翔の件はくれぐれも気を付けてください』


「うん、わかった。ありがとうね、連絡くれて」


『こちらこそ、志絵莉さんの可愛らしい声が聞けて良かったです』


 その言葉を最後に、通話が切れた。

 相変わらずキザな言葉を吐くけれど、それがキザな言葉だという自覚はないんだろう。一番たちが悪い。

 でもわたしも、少し彼と話せて良かった。彼と話すと相変わらず調子が狂うけれど、それでもどこか居心地がいい。それは間違いなく、今までにない感覚だった。

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